第30話 京都へ
「タマはわずか8年で逝ってしまいました。悲しかったですねえ、もう涙が涸れるくらい泣きました。で、このあとは捨て猫を拾ってきて、ノアールと名付けました」
王彦はそう言ってスマホの画面を送って別の猫の写真を見せた。
「今度は黒猫なんですね」
「選んだわけじゃありませんから。公園に捨てられてたのがノアールです」
「ノアール・・・黒ですか」
「黒猫ですから。この子は不思議な猫でした。まるで私が考えていることが分かっているような気がした・・・」
王彦の話に信太郎はドキリとした。
「よく猫は孤高だとか言うじゃないですか。でも本当は愛情深い生き物なんですよ。私はそう思います。猫は人と深い友情、あるいは愛情を育むことが出来ると思っています」
王彦の話に信太郎は思い至ることがあった。祥子とサビーヌの間には人と猫を越えた愛情があると思っている。
ここで猫談義は終わりとなった。京都へ到着したのだ。
三浦芳信の住まいは京都市内にあった。表通りからはやや奥まった静かなワンルームマンションである。
ワンルームと言いながらかなり広い造りだ。部屋に通された信太郎は部屋の大きさに驚いた。
30畳はあろうかという部屋がリビング、ダイニング、書斎、ベッドルームとうまく分割レイアウトされており、キッチンもそこそこ広い。
「本日はお忙しい中ありがとうございます」
王彦が頭を下げた。信太郎は、
「元気そうで何よりです。素敵な部屋ですね」
と言って改めて室内を見廻した。壁にアメリカ現代アートのリトグラフが飾られている。ナンバーの入った本物だ。
芳信がお茶を入れに席を立った隙に、信太郎の見ていた方を指して王彦が言った。
「80万はすると思いますよ。今人気の作家だ」
「80万!? 羽振りが良さそうですね」
芳信がお茶の盆を持って来たところで王彦が話を振った。
「ここはもう長いんですか? 意外に駅にも近いし、静かでいいところだ」
すると芳信は屈託のない笑顔を見せて答えた。
「まだ1年ちょっとです。円安もあってNY市場で利益が出て・・・」
「株の取引を?」
王彦が尋ねる。
「ええ。NY市場は初めてでしたが、ラッキーでした」
信太郎の中で通夜の夜に会った芳信のイメージが崩れていった。株の取引でマンションを買ったというのか?
すると王彦が名刺を取り出すと自己紹介を始める。
「東京総研の方?」
「ええ、大島精機のコンサルティングを任されています」
「そうでしたか」
信太郎は祥子の死の真相を調べて貰っていると付け加えるのを止めた。
「単刀直入に申し上げます。3年ほど前、大島精機社長の智氏から相続放棄の依頼を受けましたか?」
王彦がストレートに芳信に聞いた。芳信はちょっとびっくりしたような顔をしたが、すぐに頷いて、これを肯定した。
「その時、お金を貰いましたね?」
「え?」
信太郎は驚いた。だが芳信はこれもあっさり肯定した。
「はい。悪くはないでしょう」
「もちろんですよ。そのことをとやかく申し上げるつもりはありません。で、お幾ら?」
王彦が問いかけると芳信は片手を広げて見せた。
「私は父に今まで何もして貰っていません。相続を放棄しろと言われて、これくらいは当然じゃないですか?」
芳信の片手は500万じゃない。5千万だ。信太郎はこれをどう考えれば良いのかパニックになりそうだった。だが、王彦は到って冷静に話を詰めていく。
「その覚書き、ありますよね。コピーさせて貰えませんか?」
「それは・・・」
「申し訳ない。大島精機の社長交代に関することです。コンサルティングするには確実な証拠を持っていないと」
コンサルとはそう言うものなのか、信太郎は思った。が、本当の芳信はどっちなのか。信太郎には答えが出ない。
あの晩棺の中の祥子を見ておいおい泣いていた芳信が本当の芳信だと思いたい。だが・・・。
覚書と領収書を写真に撮った王彦が尋ねた。
「姉の祥子さんと連絡を絶ったのはこれが理由ですね?」
芳信は信太郎の顔を盗み見たが、すぐに真っ直ぐ王彦に向かって答えた。
「ええ。私が聞いたんですよ。姉も貰ったのかって。するとあの男はこう言ったんです。祥子には言ってないって。姉には、自分の会社に迎えて仕事をして貰っているとね」
3人の間に沈黙が広がった。そして芳信が続けた。
「ああ、自分は5千万円で家族を売り払ってしまったんだって・・・無性に悲しくなりました。姉貴に申し訳なくなった」
「それで、祥子と連絡を絶ったのか」
信太郎が言った。
「姉は、家族がいることをとても喜んでいた。私と繋がっていることも嬉しいと言ってくれた。きっと大島家の人たちとも家族になりたいんだなと思いました」
信太郎は胸が張り裂けるような気持ちがした。祥子が愛おしい。
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