第29話 アイリッシュ・アフタヌーン

 法条くららは新作発表会の打合せをしたいと、大島美代子をセントラル・ファッション本社に招いた。

 隣には猿渡杏子が名誉挽回を胸に控えている。

 やがて大島美代子がくららの部屋に案内されてきた。意外にも美代子は1人の女性を連れて来ていた。

「奥様、よくいらしゃいました」

 猿渡がすかさず頭を下げる。そして隣の女性をどうしたものかと考えていると、くららが手を差し出した。

「お初にお目に掛かります。大島部長」

「どこかでお会いしたことが?」

 大島佳那がくららの手を握りながら言った。

呆気にとられている猿渡杏子。

「大島精機広報部長佳那様のことは皆存じ上げておりますよ」

 くららが満面の笑みで答える。猿渡は知らなかった自分を恥じた。

「さっきまで一緒にいたの。それでこれから法条先生のところへ行くと言ったら」

 美代子が佳那の方を見た。

「私、若い頃からCLARAブランド大好きなんですよ。この年になって着られる服も多いじゃないですか。それで着いて来ちゃったの」

 佳那が和やかに言った。

 CLARAの総務の女性が紅茶のカップとマフィンを持って入って来る。ポットから香り高い紅茶が注がれる。僅かにウィスキーの香りも。

「英国式の午餐と参りましょう。構いませんよね?」

 くららの宣言で話が始まった。

 猿渡は法条くららの話術、そしてタイミングの良さ、言葉使いのセンスに感嘆した。

「でも、今訴訟で大変なんじゃありません? テレビで拝見しましたよ」

 更に猿渡には知る由もないことをくららは絶妙のタイミングで切り出した。

「大丈夫、大丈夫。あんなことどうってことありません」

 佳那は鷹揚に構えている。そう言えば、隣は技術本部長夫人なのだが。

「奥様だって、ご主人もテレビ、出てましたね」

 すると美代子は大声で笑い出すと、佳那同様問題ないと言い切った。

 この自信は何なんだろう、くららが訝しがる。そこでくららはもう一押ししてみることにした。

「でも莫大な賠償金だとか・・・?」

「形だけですよ。すぐに取り下げられるでしょう」

 佳那がそう答える。取り下げられるとはいったいどういうことだ。だが、そんなことはおくびにも出さずくららは机の上からレセプションの招待客名簿を持って来た。

「まだ案です。早速大島部長も加えさせていただきますわ」

 招待客名簿のトップは2期目に入った女性都知事の名があった。2番目には元女性宇宙飛行士の名前である。

「ああ、2番目のその方は今は文部科学省の参事官でいらっしゃいます。昔はCLARAに興味はなかったそうなんですが、今は大ファンで」

 くららが満面の笑みで解説した。そして続ける。

「あの訴訟のことがありましたので、大島様には無理かなと思ってたんですよ。それでしたら、お越しいただけそうですね」

 くららの口調は力強いが優しい。絶妙の抑揚で相手から答えを引き出していった。

「問題ありませんよお、ねえ佳那さん。話は着いていますからね」

 大島貞夫夫人が口を滑らせた。佳那が急に顔色を変えて睨む。

 くららは紅茶にウイスキーをちょと多めに加えていた。濃いめのアイリッシュ・アフタヌーンである。熱いがお茶ではなくカクテルの一種だ。

 

 信太郎は王彦と新幹線の中にいた。向かう先は京都だ。

 信太郎は芳信と連絡を取り芳信の今の住まいがある京都へ雑賀を誘った。表向きは祥子の形見分けである。

「済んでいるとは、どういうことでしょう」

 信太郎が尋ねた。

「恐らく、祥子さん同様相続放棄の書類を示されていたんじゃないですか?」

「それにしても祥子からも身を隠してしまった芳信君がよく大島智に見つかりましたね」

「いや、書類を示されたのは身を隠す前じゃないのかな。祥子さんから芳信さんの居場所は聞いた」

「ああ」

「で、話の内容から芳信さんは身を隠すことにした・・・ここは事件とは関係ないのかもしれないけど興味ありません?」

 2人の間に沈黙が広がった。すると王彦がスマホの中の写真を信太郎に見せながら言った。

「これ、私が子供の頃飼っていた猫です」

 スマホの画面には真っ白の長毛種の猫がいた。

「顔と手足、尻尾の先だけクリーム色が入っています。クリームポイントってやつです」

「さすがにゴージャスな猫ですね。うちのサビーヌとは大違いだ。何という種類の猫ですか?」

「ラグドールです。ぬいぐるみの意味です」

 その猫はまさにぬいぐるみのようだった。

「当時はまだ保護猫活動もそれ程浸透していなかったので。ペットショップで買って貰いました」

 信太郎には豪華な猫もそうだが、写っている部屋の大きさと重厚な調度品に度肝を抜かれた。

「お高いんでしょうねえ・・・」

 何気なく信太郎は口にしたが、王彦にはその言葉が引っかかった。

「いや、猫に高いも安いもないですよ。今のような時代なら私も保護猫を選ぶかも知れません。たまたまタマはペットショップで手に入れたけど、そんなことは関係ないでしょう」

「タマなんですか? この猫」

 信太郎は似つかわしくない名前に笑った。

が、怖い顔の王彦を横目に、サビーヌも人のことを言えた名前ではないと思い、口を閉じた。

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