第28話 顧問弁護士

 家に帰ってパソコンを見ていた信太郎があの女性こそ大島精機で専務秘書をしていた柏木であると確信した。

 柏木は意外に有名人だったのだ。5年前の全国高校総体女子柔道で準優勝を飾った人物だった。

 ネットには様々な記事が残っていた。柏木選手の得意技は一本背負いとも。

 あの中学校は私立の名門校で柏木もそこの卒業生だという。

「だが、彼女が柔道をやっていたと言うだけで、祥子を投げ殺した犯人だとは言えないなあ。第一動機が・・・ない」

 信太郎は思った。


 雑賀王彦は御手洗とともに大島精機の顧問弁護士である滝口を訪ねていた。もちろん大島浩一暫定社長の了解は得ている。

 最初御手洗は同席を求めたのだが、特許侵害の件で対応に忙しく、大島浩一は同席していない。

 滝口は民事専門の弁護士ファーム富士見弁護士事務所に所属していた。代表は富士見佐助弁護士である。

 大島精機は元々富士見のクライアントだったが、滝口に引き継いだ経緯がある。それで今日は富士見代表同席となった。

 王彦と御手洗の目的は大島智の遺言状ゆいごんじょうである。

「残念ながら、遺言書いごんしょは本当にないんですよ」

滝口が答えた。

「しかし、80歳ですよ。プライム上場の企業トップとしては当然承継問題はーーー」

 王彦が言うのを遮るように滝口が話し出す。

「当然私も社長にはお勧めしましたよ。でも、今日明日のことではないから、じっくり考えると・・・」

 すると御手洗が一口コーヒーを啜ると声を上げた。

「ああ、分かりました。急でしたからね。雑賀君、遺言状はないという前提で承継問題はコンサルするしかないよ」

「そうですか・・・あの訴訟さえなければ問題点は1つだけだったんですが」

 王彦が返事をすると、富士見が口を挟んだ。だが、到って穏やかな調子である。

「問題点というのは、娘さんの自殺。いや、殺人でしたっけ?」

「そうなんです」

と王彦。すると御手洗が続けた。

「まあ、智翁は認知もとうにしてるし財産分与は当然ですが、承継問題には影響はないと考えております」

「ただ、犯人が挙がらないことには・・・」

と、これは王彦だ。

「とは言え、相続も相当の金額になるのでは? 未亡人と3人の子供たちにしてみれば面白くないかも知れませんね」

 富士見が不謹慎なことを言い出した。すると御手洗がすぐ反応した。

「はっはっは、確かにね。昔風に言えば妾腹の子ですからな。そんな女に何億もくれてやる謂れはない」

そして王彦に目配せをする。

「東京総研としてはスキャンダルにさえならなければ、相続問題は範疇でないんですが」

 そこで滝口も会話に参加してきた。

「大島家の浩一さん、貞夫さん、佳那さんもその辺は充分心得ておりますよ。今回は全員が相続放棄して未亡人1人に相続させることを考えていらっしゃいます」

 滝口の言うことはかなり重大なことだった。

「まさか、そんなこと・・・」

御手洗が驚きの声を上げる。

「いや、会社経営に関係の無い奥様が会社株式を含めて一括相続はちょっと・・・」

「いや、それで奥様を会長に据える計画で・・・」

「何ですって!」

王彦が思わず声を上げた。

「でも、これで会社と財産と奥様が一括相続して、遺言書いごんしょのない今回の相続と承継を乗り切り、次の相続に持ち越すことが出来ます」

「それ許されるんですか?」

「民法上は配偶者の全相続で税金問題含めクリアに出来ます」

「ううむ」

 これには御手洗も唸ってしまった。

「富士見法律事務所からの提案なんですか?」

王彦が聞いた。

「いやいや、大島家から出てきたアイディアです」

ここで、王彦があることに気が付いた。

「そうだ。非嫡出子については」

「須合祥子さんでしょ? 彼女なら相続放棄する書類にサインすることになっていました。亡くなってしまったのでもう不要ですが」

「え? 相続放棄すると言ったんですか?」

「私は知りません。この件は貞夫夫人がやってましたから。私は単に書類を用意しただけです」

「結果として須合祥子の同意は・・・?」

と御手洗。

「本来は急ぐ話じゃなかったので、まだじゃなかったですかね」

すると王彦が、

「須合祥子さんの弟については・・・」

と続けた。

「それはもう何年か前に済んでいると聞きましたが」

「誰にですか?」

「智翁にです」

「手回しのいいことですな。もう他にはいないんでしょうねえ」

と御手洗もかなり不謹慎だ。いわゆる下世話な会話というやつ。

「しばらく前に智翁が秘書だか受付だかの子をクビにしたいと言ってきましたが・・・」

「そんな些末な人事に、智翁が?」

「いや、私も怪しいと思ったんですが、すぐに取り消してきたから、仕事上のことなんだと思います。さすがに2人だけでしょう」

 富士見法律事務所を出ながら王彦と御手洗は大きな収穫にほくそ笑んだ。

「口の軽い弁護士たちで良かった」

御手洗はそう言って高笑いした。


「サビーヌ、おまえもやっぱりチュールは好きなのか?」

 パソコンを閉じると信太郎はベッドに寝そべっているサビーヌに聞いた。

 最近では信太郎の寝室のベッドにもサビーヌは乗るようになっていた。ただ、信太郎の寝室と祥子の寝室を目的別に使い分けている節がある。

『あれは美味しいな。好きだ』

サビーヌが答えた。だが、信太郎は家の中でチュールを見たことがない。

「祥子はくれたか?」

『ああ、週に何度か。おまえは全然くれないな』

 サビーヌはそう言って頭をもたげて信太郎を見た。

「いや、家の中で見たことがないから・・・」

『母上はあれを鍵の掛かるドレッサーの引き出しにしまってある』

「そうなのか?」

『ああ。母上は、あれは特別な物が入っていて常習性があるから食べ過ぎはダメだと』

 信太郎は吹き出してしまった。チュールは決して麻薬みたいなもんじゃない。

ただ、サビーヌの腎臓を慮って無制限にはしなかったのだろう。信太郎はそう思い直した。

「よし、チュールを食べに行こう」

 信太郎が寝室を出るとサビーヌがベッドから飛び降りて着いて行った。

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