第26話 サビーヌのウインク
『まさか、そこまでなのか?』
サビーヌが信太郎に言いながらどたりとテーブルに寝そべった。
信太郎に次の言葉はなかった。
「須合さんのお怒りは尤もだと思う。だが、想像以上にこの事件は複雑なんだ。お家騒動って奴は単純な構図が多いんだが、大島家はどうもそうはいかない」
堂上が沈黙した信太郎に代わって話した。
「我々も大雑把に言ってそういう構図だと思ってる。ただ警察は物証がないと動きようがない。我々探偵は人間関係を追うことで事件の真相に迫れると考えている」
王彦である。隣でくららも頷いていた。
『この人たちは信用できそうだな。抱え込まずに全部話したらいい。ただ、おまえの母上に対する気持ちに嘘はないようだ。そこは信じるよ』
サビーヌである。サビーヌは首を回すと信太郎の顔を見て片目を瞑った。
それをくららが見逃さなかった。
「あ、サビーヌさん、須合さんにウインクした!」
「あれはね、分かってるよっていう合図さ」
「へえ」
「実家に昔いた猫も何度か、ウインクしてみせた。話は分かった・・・そんな意味だったと私は思ったね」
「そうなんだ・・・」
雑賀夫妻が話している間にサビーヌが信太郎に囁いた。それを信太郎が声に出す。
「最初祥子が頼んだ仁藤興信サービスを断らせて帝都興信サービスの大西に三浦芳信さんの調査を頼んだ奴がいる。大西は報告書を捏造し、僕に渡した。当然警察にそれが流れると予想してだろう」
これを聞いた堂上がすぐに反応した。
「その報告書を貸してくれ。出所を確かめる。そして都合の良い報告をさせたかった相手を探し出す。依頼主は誰だ!」
すると王彦が声を上げた。
「三浦芳信さんともっと話をしてみたい。須合さん、連絡は付きますか?」
ここで御手洗教授がおもむろに話し出した。
「帝都興信サービスという社名が気になるんだ。今回大島精機を特許侵害で訴えたのがステラ精工。だが実体はパテント・トロールの美加登正三が社長を務める帝都企画がオーナーだ」
「まさか・・・」
「そうだ雑賀君、東京総研のデータベースで調べてくれんか」
「分かりました、早速に」
「ねえ、どういうこと?」
とくららが王彦に尋ねる。
「この興信所とパテント・トロールが繋がっていたら・・・。それはつまり大島精機の反社長派と繋がっているかも知れない」
「刑部常務の最近の動きを調べるんだ」
「分かりました」
ところが御手洗が再び口を開いた。
「事件の詳細は雑賀君から逐一聞いているんだが、ひとつ気になることがあって・・・」
「何でしょう。教授」
「うん。祥子さんは社屋の屋上から柔道の一本背負いのように投げられた・・・と聞いた。プロの殺し屋の手口じゃないな」
「まあ、そうですね。プロだったらもっとうまくやる・・・申し訳ない、須合さん」
「いえ、僕も最初に聞いた時変だなと思ったんです。遺言も後から置いたわけだし」
「ついうっかり投げてしまってから、自殺に見せかけるべく取り繕った」
王彦である。すると御手洗が、
「可能性はある。事件関係者に柔道経験者がいないか、調査はしたのか? 警察は」
「いえ、そこまではさすがに」
堂上が答えた。
「雑賀君の方が調べられるだろう。大島精機の社内を調査だ」
と御手洗。
「分かりました」
王彦が返事を返すと何かをメモした。
やはりみんなの力が必要だ。信太郎がそう思ってサビーヌを見るとローテーブルの上にサビーヌは既にいなかった。
見廻すがどこにもいない。寝室か・・・、そう思ったが信太郎は後を追わなかった。
残りの酒を片付けると、一同は帰っていった。次の会合の約束をして。
「また来るのか!」
信太郎が言ったが誰も聞いていなかった。
それから寝室へ行くとサビーヌが四つ這いになって苦しそうに口を開けていた。
「どうした! サビーヌ」
駆け寄る信太郎だが、どうすることも出来ない。サビーヌは毛を逆立てゲボゲボと蠕動運動のように腹から首へ一定の周期で身体を震わせていた。サビーヌの毛皮が波打っている。心配そうに見守る信太郎。
やがてサビーヌは何か黒い物を吐き出した。信太郎はぎょっとしてそれを凝視した。すると、
『心配ない。毛玉だ』
サビーヌが言った。
「そうなのか・・・」
信太郎には猫が定期的に毛玉を吐き出すことを知らなかった。身体や顔を舐めた時に毛を飲み込んでしまう。それをまとめて吐き出す自然な行動である。
『頼みがある。スーパーに売っている猫草を買ってきてくれないか』
サビーヌが信太郎に言った。
翌日信太郎はスーパーで猫草を買い込んだ。
最初野菜売り場で探したがどこにもなかった。店員に聞いて自分の無知に笑ってしまった。
「これを食べると吐き易いんです。胃の薬みたいな物です。高齢の猫だとあまり身体を舐めません。体内に入る毛の量も少ない。するとそれを吐き出すのに苦労するんです」
ペット用品コーナーの店員の説明を聞いて信太郎は大いに感心するのだった。
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