第19話 通夜

 葬儀の案内は祥子に来ていた年賀状で対応した。

 そして今日の通夜は寂しいものになってしまった。こんなことなら本当に自分とサビーヌだけでやれば良かったと信太郎は思う。

 しかも弔問客は祥子への哀悼もそこそこに噂話に余念がなかった。

 祥子は母子2人で育った。当然だ。父親は大島智なんだから。つまり祥子の母は愛人、古い言い方をすれば妾だったわけである。

 祥子の母には縁者はいない。従って弔問の大半は信太郎の縁戚関係と2人の職場、友人関係となる。

 事件であることが報じられていることもあり、大島精機から弔問に来たのは秘書室長の向山晃子だけだった。

 そして祥子が大島精機社長の娘だと、警察は何も発表していないにも拘わらずすっかり噂になっていた。

 それで信太郎のある同僚が、

「亭主には遺産は入るのか?」

と耳打ちして来たのだ。

 信太郎はもう少しでこの同僚をぶん殴っているところだった。


「サビーヌ。最低だよ。こんなお通夜はないよ。祥子が可哀想だ・・・。おまえと2人だけで済ませば良かったよ」

 信太郎がサビーヌ相手に愚痴った。通夜を終えサビーヌの食事のために自宅マンションへ戻って来ていた。

『所詮他人だ。そんなもんだ』

 サビーヌが返す。

「あの野郎。僕にも遺産が入るのかと、言いやがった。冗談でも許せねー」

 信太郎が思い出して悪態をつく。だがサビーヌはありついた缶詰キャットフードとカリカリを黙々と食べている。それ以上は何も言ってこなかった。

「でも、葬儀屋さんはここを選んで正解だった。ちゃんと納棺師がいて、祥子もきれいにして貰ったから・・・」

 信太郎が言った。

 でもサビーヌは食事を止めて、何も言わずにグルーミングを始めた。

「サビーヌ、もういいのか? だいぶ残ってるよ・・・」

『昔と同じには食べられない』

「そうなのか・・・。そのまま置いて行こうか。腹が減ったら食べれば言い」

『いや、ゴキブリがたかると不衛生だ。皿は洗ってくれ』

 サビーヌはそう言った。

「そうだ。秘書室長の向山さんが来てくれたんだが、警察が押収した物以外の祥子の私物を持って来てくれた。と言っても通勤に使っていたトートバッグだけなんだが」

『中身は?』

「ハンカチとか定期券とか事件とは関係のない小物だけだ」

『肝心な物は返してくれない・・・』

サビーヌが言うと信太郎が、

「でもな、バッグの内ポケットにお守り袋が入ってた。市谷亀ヶ岡八幡宮のだぞ」

とニコニコしながら言う。

『それがどうかしたのか?』

「この神社ではペットの祈祷もしてくれる。ペット用のお守りもあるんだ。それだったよ。自分のお守りじゃなくてサビーヌの為のお守りだ」

 それを聞いてサビーヌも思うところがあったようだ。

「お守り袋の中におまえの毛が入ってた。おまえはお守り持っていられないからな。祥子がおまえの代わりに持っていたんだろうな」

 信太郎がしみじみと説明を加える。サビーヌは黙っていた。

「じゃあ、僕は祥子に着いていてやるから出掛けるぞ」

『ああ。宜しく頼む。あたしは夕べ充分別れを惜しんだ・・・』

 昨日大学病院の法医学教室から帰って来た祥子の遺体はベッドの上に安置された。

 サビーヌは信太郎には内緒で祥子のお腹の上に乗っていたのである。当たり前のことなのだが、祥子の身体は温もりがなかった。

 母祥子の胸の上には守り刀が置いてあった。悪いものが入り込まないようにとのまじないである。

 まさに猫は死人を操るなどと言われたりする。だからサビーヌは信太郎には黙っていたのだ。もっとも言ったところで信太郎にそんな知識もなかったのだが。


 葬儀場に併設された通夜のための部屋に向かう道すがら、信太郎は誰かに見られているような感覚に襲われた。

 とは言え、祥子のことに気持ちは向いており、そのまま葬儀場に到着する。

 信太郎は早速祥子の棺が安置されている部屋へ行った。渦巻き状の線香がまだ燃え続けていた。

 信太郎は新しい線香を点けると祭壇に並べ、棺の窓を覗いた。

「祥子・・・。いったいどうして・・・」

 すると突然男の声がした。

「すみません・・・」

 飛び上がらんばかりに驚く信太郎。振り返ると若い男が立っていた。

「だ、誰ですか? 出て行ってください」

「すみません・・・。私にもお顔を見せてもらえないでしょうか」

 そう言うと男は2歩3歩近付いてきた。身構える信太郎。

「おまえは誰だ?!」

「私は、彼女の弟で三浦芳信と言います。私にもお別れをさせてください」

 男の言葉に信太郎は更に驚いた。三浦芳信だ!? 先日その情報を聞いたばかりの調査対象者、三浦芳信が目の前にいる!?

 芳信は細面で華奢な体つきをした男だった。

「三浦芳信・・・さん?」

「はい。あなたはお姉さんのご主人ですよね?」

「僕は須合信太郎。祥子の夫です」

「お初にお目に掛かります」

芳信はそう言って腰を折った。

「あなた、今ご自分がどういう立場にあるのかご承知ですか? こんな所へのこのこ出て来て・・・」

 信太郎は自分でも言ってることが変だなと感じていた。だが、本人を目の前にして悪い感情を抱けなかったのである。

 自分に人を見る目があるかどうか、それは分からない。だけど、調査報告書を見た時から、これは違うなあと漠然とだが思っていた。

 だから・・・、

「まず、こちらへ」

 信太郎は棺の横へ芳信を手招きした。

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