第17話 憎むべきは・・・

 サビーヌは食事の後いつものように毛繕いを始めた。それを見ていた信太郎は考えた。

 最近はめっきり毛繕いが適当になったような気がする。二、三度舐めるともう止めてしまう。

 以前はもっと念入りに身体中を舐めていたような気がするのだが。

「サビーヌ。祥子が帰ってくる」

 信太郎が静かに猫に話し掛けた。

『母上が。司法解剖の結果が出たのか?』

「ああ。明らかな他殺の痕跡があった」

『どんな?』

「これは当初から科捜研で分かっていたことらしいんだが、落下地点がビル壁面から離れ過ぎていたらしい」

『つまり、母上は我らと同じように勢いよく蹴り出して飛んだ、と』

「普通自殺の場合、そんなに遠くへ飛ぶようなことはないそうだ。絶望して自殺するんだから、その場からすっと落ちるらしい。あるいは一歩踏み出すように飛び降りる」

『一般論だな』

「だが、祥子の遺体はビル壁面から3メートルほど離れていたそうだ。勢いよく助走でも付けて飛ばなければ無理な距離だ」

『警察は不審なのに自殺で処理しようとした』

「うん」

 テレパシーを使うサビーヌと信太郎は普通に会話できていた。信太郎がすっかり慣れたせいかも知れない。

『で、どういう説明が付いたんだ?』

「祥子の服の右腕に指紋が付いていた、祥子以外の。ただ不鮮明で照合出来るようなものではないらしい。だが同一人物の左右の手指の指紋であるのは間違いないそうだ」

『どういうことだ』

 サビーヌが焦れったそうに信太郎の顔を見る。

「今回の解剖の結果、右腕に誰かに強く握られたような痕跡があった。それを元に衣類を再鑑定した結果指紋が出たそうだ」

『つまり、母上は何者かに腕を掴まれてビルの外へ投げ飛ばされた? そう言うことだな』

 サビーヌが推理する。

「解剖結果でもうひとつ。左足くるぶしに打撲の痕があった。警察の見解では祥子は足払いを掛けられて、体勢を崩したところを右腕を取られて一本背負いで投げられた、と」

『酷い奴だ・・・』

 サビーヌは歯噛みするように口を真一文字に結んだ。もっとも猫には平らな歯はない。歯噛みは出来ないはずだったが。

「柔道の有段者かな。祥子はどんなに怖かっただろうなあ・・・」

 信太郎は声を詰まらせる。

『あの3人はどうしたんだ? あれから何も進展していないのか!』

 そんな信太郎にお構いなくサビーヌが喚く。だが信太郎はおいおいと本格的に泣き出してしまった。

『おまえ、泣くのは事件が解決してからにしろ』

 またしてもサビーヌの叱責。

「サビーヌ。もうひとつ司法解剖で分かったことがあるんだ」

 信太郎が絞り出すように猫に言った。

『なんだ。さっさと言え』

「うん。祥子のやつ妊娠6週目だった」

『おまえの子か?』

とサビーヌ。

「当たり前じゃないか。長年出来なかったんだけど、とうとう子供が出来た・・・」

 そこまで言うと再び信太郎は泣き崩れた。

『憎い犯人だ・・・』

 サビーヌが今度は天を仰いで呟いた。

「祥子は知っていたんだろうか・・・」

 ようやく泣き止んだ信太郎が言う。すると猫が答えた。

『知ってたよ。喜んでた・・・』

 信太郎は猫を睨んだ。

『糠喜びでおまえをがっかりさせないように、病院へ行ってから言うつもりだった』

「そうなのか?」

『あたしが最初に気が付いた。母上のお腹の中から変な感じがしたからな。それで母上は検査キットを使った。それで分かったんだ。ただ、あれも100%じゃないからな。病院へ行くと言ってた。おまえに言うのはその結果を聞いてからだと』

 信太郎は猫を見ながら歯噛みした。ゴリゴリと音がするくらいに強く。

 突然電話が鳴り出した。普段はほとんど使うこともない固定電話の方だ。

『電話だ』

 サビーヌが声を上げた。だが、信太郎はまた涙に暮れていた。

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