第13話 技術本部長夫人
大島精機は同族企業である。大島家の人々が大株主であり、会社は大島家のものだった。よって株主総会で承認が得られないということはあり得なかった。
「御社が未だに同族で経営をやっていることに批判的な人もおります。ここは逆に同族だからこそのスムーズな承継とその発表が欠かせません」
と、東京総研の雑賀王彦。
「分かっています」
「そのためにも相続についても揉めるようなことのないように願います」
「大丈夫ですよ、それは」
「しかし、須合祥子の件、警察は遺産相続絡みの殺人と見ているようです」
王彦はわざと言って、大島浩一の反応を確かめた。
「雑賀さんは私ども身内がやったとでも思っていらっしゃるのですか?」
大島浩一が少し怒ったような口調で聞いてきた。
「まさか」
「結構。急いで家に戻りますので、これで」
これを合図に柏木が内線電話で車の用意を確認した。大島浩一が簡易礼服の上着を着る。
「専務、これをお持ちください」
柏木が差し出したのは虎目石の数珠だった。
「ありがとう。これはきれいだな」
「こちらの方がイメージがいいかと存じます」
柏木はそう言って専務に微笑んだ。まるで荒れた土地に咲いた一輪の花のような笑顔だった。
「気に入らないな・・・」
2人が出て行った後で王彦が独りごちた。
一方法条くららは大島精機取締役技術本部長大島貞夫邸を訪ねていた。もちろん貞夫を訪ねたわけではない。目当ては夫人の美代子である。
「あなたは適当に話を合わせてくれれば良いから」
美代子夫人が出て来るのを待ちながらくららは同行させた店員猿渡杏子に言った。
「は、はい」
「当社では社長自ら個別営業に廻るのですか?」
猿渡がくららに尋ねた。
「彼女のご主人は大島精機の幹部なの。次の発表会にお招きしようかと、ね」
「あ、なるほど」
今まで怪訝そうだった猿渡が納得したように微笑んだ。
玄関先に大島貞夫夫人が現れた。意外にも落ち着いた色合いの着物姿だ。くららはこれを80万円と値踏みした。あくまで着物だけである。
「突然にすいません。渋谷CLARAの法条くららと申します」
くららが和やかな表情で頭を下げた。
「奥様、いつもありがとうございます。本日はこんな時に申し訳ありませんでした」
猿渡もそつなく頭を下げる。猿渡がこの急なアポを取った。
猿渡は臨時雇いの準社員である。成績如何で正社員に採用するとの条件だ。社長直々のご指名に、こんなチャンスはないと考えている。
「お電話でも申し上げましたけど、明日はお通夜で、色々と忙しくて・・・」
貞夫夫人は言いながらも2人をリビングに案内する。するとお手伝いさんと思しき女性が奥からお茶の盆を持って来た。
お通夜だからと言って、何もすることはなさそうだ。くららは思った。
「実は、次回の新作発表会に奥様をご招待申し上げたくご挨拶に」
くららが満面の笑みで美代子に言った。お通夜と聞いて、笑顔は避けるべきかとも思ったが、そういう雰囲気ではなさそうである。
「あらあ。CLARAの新作発表会に?」
「メインゲストは都知事ですの。他にも各界の名士の方々と奥様たちにも来ていただきます」
美代子夫人は既に前のめりだ。
「では、主人も一緒に?」
「どちらでも。主役は女性ですから」
くららが言った。すると猿渡が絶妙なタイミングで話し始めた。
「ああ、そうだ。何度かお越しいただいているお嬢様もいかがですか?」
だが、その途端に美代子夫人の顔が曇った。あからさまに不快な表情である。
猿渡はしまったと思ったが、くららはナイスジョブと心の中で声を掛けていた。
「あの子は亡くなったのよ。あなたニュース見てないの?」
「え!?」
猿渡はほとんどテレビもニュースも見なかった。自宅では専らゲームだ。それで、須合祥子の事件を知らなかった。
猿渡は失態に頭の中が白くなった。
「猿渡さん、あなたニュース見てないの?」
今度はくららが言った。万事休すだ。正社員への道が閉ざされる。猿渡は絶望の淵に立ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます