第11話 妻のことを知らない

『つまり、遺産相続絡みの殺人だと』

 家に帰ってサビーヌに信太郎が報告する。

サビーヌはそう言ったきり黙り込んでしまった。

「それで、行方不明の三浦芳信が犯人かもしれないって」

 信太郎はそこまで説明すると冷蔵庫から缶ビールを取り出した。

『妻が亡くなったというのにビールですか』

 サビーヌが冷たく言い放つ。その言葉に信太郎は固まった。

『人間てやつは・・・』

 まだ何か言いたそうだったサビーヌだが、言葉を止めた。

 信太郎にその余韻が残る。それだけ自分がしていることが非道なことのように思えた。

 信太郎はビールを冷蔵庫に戻すとソファの上のサビーヌの前に来た。

「サビーヌ、僕をそんなに責めるなよ」

信太郎はやや怒りの籠もった言い方をした。

『責めてなんかいない』

サビーヌが答える。

「責めてるじゃないか。僕だって悲しいんだ」

 するとサビーヌもやや感情的な態度を見せた。急に立ち上がって座り直したのだ。そして信太郎の顔を見た。

『おまえは本当に母上のことを愛していたのか?』

「な、何なんだよ急に」

 想定外の言葉に信太郎が狼狽うろたえる。

『おまえは祥子さんのことを愛していたのか? いや、祥子さんはおまえのことを愛していたんだろうか・・・』

 こうしてサビーヌは信太郎の心に強烈なパンチを浴びせた。見えない猫パンチだ。堪えるパンチだった。

「な、何を言い出すんだ。ね、猫なんかに言われる筋合いじゃないぞ」

 信太郎が慌てて言い返す。

『本当に何も知らないのか・・・』

 そう言うとサビーヌはヘナヘナという感じで香箱の形に座り込んだ。

「何も知らないって、どういうことだよ」

 さすがの信太郎も気色ばむ。この猫は何を言い出すんだ。信太郎は憤慨していた。

『三浦芳信、母上が探していた』

 サビーヌが言った。

『おまえは母上ときちんと向かい合っていたのか? 母上の複雑な家庭環境を知っていたのか? それで本当に愛していたのか?』

サビーヌは更に畳みかけていく。

 だけど信太郎には全く見えない。

「祥子は三浦芳信を知っていたのか?」

信太郎はそう呟くのが精一杯だった。

 それにサビーヌは答えた。それで信太郎はその場にくずおれてしまった。

「何だって? もう一度言ってくれ」

『だから三浦芳信は母上の双子の弟だ』

 信太郎は頭を振った。祥子に弟がいたなんて聞いたことがない。

「双子だって? いやそれじゃあ、大島智が認知したのは双子の姉弟だったというのか」

 1人と1匹の間に沈黙が流れた。互いに動けなかった。いや動けなかったのは信太郎の方だ。サビーヌが動かないのはいつものこと。

「いや、でも変だろう。警察でも分からないなんて・・・」

 するとサビーヌが説明した。

『母上の双子の弟芳信は生まれてすぐ養子に出された。母上は経済上の理由からと聞かされていた。だが、養子に入った家で不幸が重なり芳信は三浦という夫婦に再度養子に出されたそうだ。だが、その三浦夫婦も交通事故で死んだ。母上は10年前から弟と連絡を取り合っていた。しかし3年くらい前から芳信は行方知れずになってしまった。それを母上は探していたんだ』

 サビーヌの説明に信太郎は戸惑った。

「探すって、どうやって」

『三浦家を調べていた。興信所を使って』

「そんなことまで?」

『おまえは何も聞いていないのか。何故だ?』

サビーヌの追及は厳しかった。

「何故って・・・こっちが聞きたいよ」

 だが信太郎は考えた。自分は本当に祥子と分かり合えていたんだろうか。コミュニケーションは取っていたつもりだ。仕事終わりに待ち合わせて食事をした。フレンチ、イタリアン、懐石料理。映画も観に行った。

 でもサビーヌに言われて、それらが本当に薄っぺらい上辺だけの付き合いそのものだという気がしてきた。

 彼女の苦しみや悲しみ、そうしたものを自分は分かち合えていたのだろうか。

 祥子は残った1人の家族を探していた。僕には内緒で。

「僕は祥子の家族じゃなかったのか」

 信太郎は涙を溢れさせて呟いた。だが、再びサビーヌが言い放つ。

『上辺だけの涙など目障りだ。おまえが母上を愛していたのなら、母上の寂しさや悲しさを探せ。母上の本当の心を見つけてみろ』

 信太郎は打ちのめされた。

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