第5話 遺書

「柏木さん。祥子から何度かお名前を聞いたことがあります」

 嘘だった。だいたい仕事の話など祥子から聞いたことはない。

「はい。須合さんは先輩なんですけど、色々親切にして貰ってて・・・」

 柏木が答えたが、嘘ではないようだ。

「確か、社長、いや副社長秘書でしたっけ?」

 信太郎が鎌を掛ける。すると、

「いえ、専務です。専務秘書です。その前は常務の秘書を。凄いです、須合さんは。抜擢されておろおろしていた私を須合さんには助けていただきました」

「そうでしたか。祥子の方こそ、お世話になりました」

「気苦労は多かったみたいです。疲れた、疲れたって。それであんなことを・・・」

 それを聞いて信太郎は目頭を押さえて見せた。すると柏木秘書が声を潜める。

「私、奥様が広報部長に怒鳴られてるの見たことあるんです」

「広報部長に?」

「ええ。社長の娘さんなんですけど、酷い言い方で。直接は見てないんですが、バチンと叩くような音も聞きました」

「ええ!? そんなことが? 僕は会社辞めればいいって言ってたんですけど。頑張りたいって」

 柏木はうんうんと頷いた。

 その時玄関を出た先にある守衛所の方から飛び立つ何かが見えた。鳥か? 

「あれはドローン?」

と信太郎。

「実証実験をしてるんです。ちゃんと許可を貰って」

 柏木が答えた。

「そうなんだ・・・。妻の会社のこと、何にも知らなくて」

 信太郎はこれを潮時に大島精機本社ビルを後にした。


 家に戻った信太郎はパソコンにUSBメモリーをセットした。ファイルはよく使われるワープロソフトだ。

「確かに、しっかりした文章だ」

 遺書を読んだ信太郎が独りごちた。遺書には毎日の仕事がいかに楽しいか書いてあり、その上で突然死ぬことの迷惑を詫びている。

 そこへサビーヌがやって来た。一気に机の上に飛び乗る。

「おまえ、元気だなあ」

『うるさい。あたしは猫だからな、このくらいのことは死ぬまで出来る』

「そうかい」

『これが母上の遺書か?』

「うん。秘書室長の話ではパソコンのデスクトップにあったそうだ」

『読め』

「え?」

『あたしには字は読めない』

「そうなんだ」

『あたしを何だと思ってる? 猫だぞ。字など読めるか』

「開き直ったな」

『いいから読め』

 それで信太郎は画面の遺書をサビーヌに読んで聞かせた。

『おかしいな』

聞いたサビーヌが言った。正しくはそういう趣旨のことを信太郎の頭の中に直接送ってきた。

「うん。僕もそう思う」

『あたしのことが書いてない』

 サビーヌがいかにも不満といった顔で言った。

「それを言うなら、僕のことも全く書いてない。そんなのおかしいよ」

『まあ、それは置いといてだ・・・』

「置いちゃうのかよ」

『整然とした遺書だな。先ず日付。挨拶に始まって、会社と仕事への感謝。突然死ぬことに対する謝罪。関係者へのお詫び。そして署名・・・』

「こんな理路整然とした遺書を・・・。突発的に飛び降りたなんて信じられないな」

と信太郎。

『ビジネス文書みたいだ』

 サビーヌが言う。それに信太郎も膝を打った。

「確かに。秘書室長はこれがあったから自殺なんだって言ってたけど・・・」

 するとサビーヌがパソコンの画面を叩いた。

ディスプレイが揺れる。

「こら。何するんだ」

 信太郎が注意するとサビーヌからまたテレパシーが送られて来た。

『この遺書はいつ書かれたものなんだ?』

とサビーヌ。

「夕べはこんな物なかったって。昨日は普通に出勤した。朝は役員会議の準備に忙しかったって言ってたから、飛び降りる直前?」

『こういうファイルは作った日時が分かるんじゃないのか?』

 サビーヌが言い出した。

「そうだ。ファイルに作成日時と編集履歴が残ってるはずだ」

 信太郎がいったんファイルを閉じで、その情報を表示させる。

「作成日時は・・・」

 信太郎が読み上げると、サビーヌが大きな声を上げた。

『3日も前じゃないか?』

「あ!」

信太郎が声を上げた。

「待てよ。その後の履歴が・・・、移動、コピー・・・」

 祥子の遺書ファイルは、3日前に新規作成され、移動。つまり昨日パソコンのデスクトップに移された。その後のコピーはこのUSBへコピーされたことだ。

「ちょっと待て。デスクトップへ移動されたのが死亡時刻後だ!」

 信太郎が移動の日時を読み上げる。

『誰かが事前に遺書を作っておいた。母上を殺してからそのファイルをパソコンに移動したんだ』

「自殺じゃない・・・」

『母上は誰かにビルの屋上から突き落とされたんだ』

 サビーヌが言うと、信太郎は涙に咽んでいた。

『だから、泣いてる場合ではない。すぐに警察へ行け。他殺の可能性を指摘して司法解剖をさせるんだ』

 サビーヌが信太郎に命じた。

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