第4話 捜査開始

 サビーヌに急き立てられて、信太郎は祥子が飛び降りたビルへ向かった。

 祥子の勤め先大島精機株式会社の本社ビルである。15階建ての大きなビルだった。

 信太郎はよくテレビドラマで見るロープで作った人型がその辺にあるんじゃないかとビクビクしながら歩いていた。

 だけど、そんなものはどこにもなかった。規制線すら張られていない。警察はやっぱり自殺で終わらせる腹なんだ。信太郎は思った。

 サビーヌに言われるまでもなく信太郎も真実が知りたい。祥子は本当に僕やサビーヌを置いて自殺したのか? 事故ではないのか?

 まさか殺されたなんて考えたくはないが、真実は知りたいと思っている。

 受付には若い女性が1人座っていた。胸のネームプレートには三木とだけある。最近はフルネームのネームプレートは少ない。大島精機も社員のネームプレートは姓だけのようだ。

「あの。秘書室長をお尋ねしたいのですが」

 信太郎は三木に秘書室長への面会を求めた。

「お約束ですか?」

「いえ、あの、私は須合祥子の夫で・・・」

信太郎がそう切り出すと、受付の三木は少し驚いた顔をした。が、すぐに、

「それでは、こちらにご記入をお願いします」

と言って、来訪者カードを差し出した。

 その時明るいグレーのダブルのスーツを着た男性がエレベーターを降りてきた。信太郎にも分かるくらい上等のスーツだ。

 玄関前には黒塗りの車が止まっていた。運転手がドアを開けて待っている。男は受付の前を通り過ぎて行った。

 三木は立ち上がると、

「行ってらっしゃいませ」

そう言って和やかな笑顔を見せた。信太郎は振り返ってその男を見る。

「あ、お名前だけで結構です。あとはこちらで」

 三木は慌てて信太郎にそう言うと12階の秘書室を案内した。

 信太郎は12階の応接室に通された。

「この度は・・・本当にどう申し上げたら良いか・・・」

 そう切り出して名刺を差し出したのは秘書室長の向山むこやま晃子という中年の女性である。

「ありがとうございます。それで、当日はどんな・・・祥子はどんな様子だったんでしょうか?」

 恐る恐る信太郎は向山室長に尋ねてみた。

「それが・・・」

 向山は口籠もった。信太郎と向山が向き合ったまま時間が流れる。でも信太郎はじっと答えを待った。

「あの、警察の方にも申し上げたんですが、須合さん、須合祥子さんは毎日生き生きと仕事をされていて、昨日も普段と全く変わらなかったんですよ。だから・・・、だから・・・」

 ここまで言うと向山室長はまた口籠もった。

「だから?」

 信太郎は先を促した。

「ええ。自殺するなんて信じられなくて」

 向山ははっきりとそう答えた。

「ですよね・・・」

言ってしまってから信太郎は後悔した。ですよね、じゃないだろう。それで、

「そうなんです。うちでもよく仕事のことは話していて。もちろん企業秘密は話しませんよ。大島精機が今度ヨーロッパに支社を作るけど、私、駐在してもいいかなとか、冗談なんですよ。私をドキッとさせるために。後は大笑いで・・・」

そう話を繋いだ。

 これに向山室長も小さく笑った。そこで信太郎はチビ、いやサビーヌに言われた遺書のことを尋ねてみた。

「警察からは?」

「ざっと内容を聞かされただけで、見せて貰ってないんです。私は夫なのに」

「それは酷いですね。私もあの遺書があったので、そうかなとは思ったんですが・・・でも・・・、ちょっと待ってください」

 向山室長は席を立つと応接室から出て行った。しばらくして戻って来たが、手にはUSBメモリーが握られていた。

「これは?」

「彼女の遺書です。遺書はデスクトップのトップ画面に置いてありました。警察はそのプリントアウトを持っていきましたが、パソコンは別に押収もされず・・・」

「事件性はないわけですから、遺書があればそれで・・・と言うわけですか」

信太郎が言った。

「結構しっかりとした文章です。私には屋上から飛び降りる前に書いたとは思えなくて・・・」

 急にドアにノックの音が響いた。大きな音だ。信太郎もビクッとする。ドアが開いて秘書室の女性が顔を出した。

「室長、専務がお呼びです」

 彼女はそう言ってから座っている信太郎にぴょこんと頭を下げた。

「来客中ですよ」

 向山室長は部下に注意しながらも席を立つ。

「申し訳ありませんが・・・」

 専務に呼ばれてはどうしようもないのだろう。面会は終了になった。


 信太郎は秘書室を出ると下りのエレベーターを呼んだ。上着のポケットの中には向山室長から受け取ったUSBメモリーがある。

 エレベーターのドアが開くと中には秘書と思しき女性と若い男が乗っている。

「今日はすいませんでした」

女性秘書が頭を下げている。

「アポなしですから」

「申し上げてなかったかも知れませんが、専務は週に2日朝稽古に参加してて」

「専務が黒帯だとは知りませんでした」

男は到ってあっさりした返事を返した。

 信太郎は会話の途切れた2人に黙礼してエレベーターに乗り込む。そのままドアの右横行先階ボタンの前に陣取った。

 受付の三木に入館証を返した信太郎は柏木秘書が男を送った後まだ玄関ホールにいるのを見つけた。

「あの。柏木さん」

 信太郎が呼びかけた。柏木秘書が振り向く。

「柏木さん、ですよね」

「そうですが、あなたは・・・」

柏木は怪訝そうな顔だ。

「私、須合信太郎と言います」

 信太郎が名乗った。

「須合さん!? すると・・・」

「須合祥子の夫です」

「あ、こ、この度は・・・」

柏木秘書は慌てたように悔やみの言葉を述べようとした。

「いいです、いいです。僕はまだ祥子の死に納得してないですから」

 信太郎が言った。

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