第3話 我が名はサビーヌ

 信太郎のスマホが鳴り出した。警察からだった。二言三言話して、落胆したように信太郎は電話を切った。

『どうしたのだ?』

 チビが問い質す。

「うん。警察から。祥子の遺書が見つかったって」

 言うと信太郎は涙を拭った。

『泣いてる場合じゃないぞ』

 チビが信太郎を叱責した。慌ててチビの方を見る信太郎。チビはまた香箱座りで自分の方を見ていた。

「ああ・・・」

『泣いている場合じゃないと言っている』

「でも・・・」

信太郎が既にベタベタのハンカチでまた涙を拭った。

『警察が自殺と判断すれば母上の遺体は司法解剖もされず返される。そうなっては、あとで自殺じゃないと分かってもどうすることも出来ない』

「でも警察は遺書があったって」

『それはどんな遺書だ。紙に書いた直筆の遺書なのか?』

 チビが信太郎に確かめた。

「あの、会社のパソコンに・・・」

『単なるデータか。そんなものはいくらでも偽造できる』

「偽造?」

『母上は絶対自殺などしない。するわけがない』

 チビが断言した。それで信太郎も不審に思った。

「何の根拠があってそう言い切れるんだい?」

『母上は、来週病院の予約を入れていたんだ。あたしの健康診断だ』

「健康診断?」

『あそこで血を採られるのは嫌だが、あたしの健康のために病院に予約を入れていた。それで、母上はあたしに言ったんだ。覚悟しときなよって』

「ほお・・・」

 信太郎は猫を見詰めていた。

『でもそれはあたしが長生きするためだからだとも言った。ずっと一緒だからね、と』

それを聞いて信太郎は少し嫉妬を覚えた。

 だけど、動物病院に電話をして聞くと、確かに予約が入っていたのだ。

『だから、母上は自殺なんかしない』

「でもな、人間てのは、急に死にたくなることだってあるんだ。警察も突発的な自殺じゃないかって言ってる」

 信太郎が猫にさっきの警察からの電話の内容を伝えた。

『おまえは馬鹿か。警察の言うことなど鵜呑みにするんじゃない。警察は面倒なことはしたくない。自殺で済ませば簡単だからな』

 チビがそう言い放った。

「チビさあ、警察をそんなに悪く言っちゃ・・・」

言いかけた信太郎をチビが罵倒した。

『チビ、チビとうるさいわ!』

「ええ!?」

『あたしをチビと呼べるのは、あたしがチビの時を知ってる母上だけだ。おまえは違う』

信太郎はチビに怒鳴られてしまった。

「でも、おまえはチビだし・・・他に呼びようが・・・」

 するとチビが厳粛な声で言い返してきた。

『これからはあたしのことをサビーヌと呼べ』

 信太郎はひっくり返ってしまった。

「サビーヌ!? フランスかよ。サビ猫サビーヌか?」

 実はこの名前には曰くがあった。子供の祥子は最初からチビと呼んでいた。小さかったからだ。それは間違いない。

 だけど保護猫団体にいた2ヶ月間で1回だけチビはトライアルとなったことがあった。

 結局1ヶ月もせずに返されてしまうのだが、その時にサビーヌという名前を貰った。チビは子供心に洒落た名前だと感じたそうだ。

 サビ猫サビーヌは捨て猫チビにとって夢のような将来を期待させる名前だったのだ。

 信太郎はこの事実を祥子に伝えたいと思った。おまえのチビは本当はサビ猫サビーヌなんだぞって。だけど、もう伝えることが出来ない。祥子はいないんだ。

 信太郎は改めて悲しみに暮れた。それを見透かしてチビが、いやサビーヌが信太郎に言った。

『サビーヌの名前は母上は知ってる。知ってて、やっぱりあたしはチビだって』

「知ってた? どうして? あ、祥子と話した!?」

 サビーヌは目を細めてにやっと笑ったように見えた。

「おまえたち、僕の知らないところで話してたのか?」

 信太郎は強い嫉妬を感じた。僕抜きで酷いじゃないか。そういう気持ちだ。

『いや、こんなにうまく言葉を伝えることは出来なかった。母上はあたしと話していたという感覚ではなかったと思う。気持ちが伝わる、そういう感覚だったはずだ』

 サビーヌが言うことに信太郎は納得した。何度か祥子が、

「私にはチビの言うことが分かるんだ。チビも私が言ってることが理解出来てる」

そう言っていたことがあったのだ。

 信太郎は本気にはしていなかったが、それは本当だったのかも知れない。

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