1-3 異世第一高等学校

 心臓の手術をしてから、重友はたびたびどうにも視界がぼやけることがあった。心臓と視神経に関係はないはずだが。

 学校で宛がわれた席はどこだろうか。前のほうだといい。黒板が見えずに慌てふためく事態にもならないだろう。


 あまりにひどいようなら眼鏡も検討しなくてはならないが、ぼやけるのは常にではなかった。それもしばらくすると何事もなかったかのようにけろりと治る。ということは、これも体の不調のせいなのかもしれない。よけいな心配を増やしたくなかったので、このことは両親にはまだ話していない。


 休憩を挟みつつ歩き続け、ようやく異世第一高等学校の校門が見えてくると安堵で溜息が出た。黒い板に金字の学校銘板が掲げられている。ポケットから懐中時計を取りだして時刻を確認すると午後五時を回ったところだった。懐中時計は高等学校の合格祝いにと両親にあがなってもらった品である。


 今日の授業はすべて終了しているためか、校庭に人の気配はなく森閑としたものだった。倶楽部クラブ活動に精を出す生徒の姿も見かけない。今日は倶楽部も休みなのかもしれない。


 重友はひと気のない校庭を通り抜けて校舎内へ入り、暑さに耐えかねて被っていた学帽を脱いだ。夕方を回ってもまだ暑い。山道をずっと登り続けてきたせいもあるだろう。汗を含んで乱れた髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。


 持参していた内履きへ履き替えるとその足で職員室をおとなう。校舎内の見取りは事前に説明を受けていたので迷うことはなかった。


 歩くたび廊下の木がぎしぎしと鳴る。わりと疳高かんだかく耳につく音だった。廊下の掲示板に催しの知らせや校内新聞などが貼られている。それらを横目に廊下を進んだ。


 やがて目当ての場所へたどり着き、扉上の職員室と書かれた室名札をしっかりと確認すると軽くノックをしてから扉を開いた。


 複数の視線が一斉に重友に向けられた。


 気圧されて思わずぐっと言葉に詰まっていると、奥から丸眼鏡をかけた痩せぎすの男性教諭がやあやあと言いながらこちらに近づいてくる。


 白いシャツの襟の釦をひとつ寛げ、腕まくりをしている。職員室は少々蒸した。窓が細く開けられているのが目に入ったが、しょせんは気休めだ。今日はほとんど風もないからあまり意味を成していない。部屋の隅には扇風機も置かれていたがひどく頼りなさそうな風体で、ノロノロと微弱な風を吐いている。どうやらこちらも気休め程度の代物らしい。


 痩せぎすの丸眼鏡は担任の足柄あしがらに違いなかった。重友が小さく会釈すると、足柄は丸眼鏡の奥の小さな目を柔和に細めた。


「到着を待っていたよ。重友だね」

「はい。足柄先生ですか」


 足柄は頷き、重友に職員室のなかへ入るよう促した。いくつか渡したい書類や説明したい事柄があるという。重友は手招かれるまま足柄のあとに続いておずおずと職員室へ入った。

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