薄紙一枚の齟齬

「ごめんね! 来られなくて……! クラスでは他の人の目もあるから言葉も交わせないし」


「お互いのために教室では距離を置いたほうがいいと分かってるし、君が来れなかった理由は先生に聞いていたからいいんだ。久々に二人きりで会えて嬉しいよ」


「聞いて?」


「一年を教えていないから名前は分からないが、銀髪の教師がそう言っていた」


「オリヴェル先生かしら……でもなんで……」


「そんな名前だっけな? まあいい。昼休みは長くないんだ。食事にしよう」


「私じゃなくて、ランチボックスを楽しみにしていたんじゃないの?」


「それもあるって言ったら、怒るか?」


「怒らないわ」


「そんな悲しそうな顔をするなよ。冗談に決まってるだろ。君と二人で過ごせるだけで嬉しいんだ」


「私も、あなたと二人で過ごせるのが嬉しいわ」


 耐え難いほどの甘さに、ソフィアが苛立つ気配がする。


『はぁあ?』


『今日は確かめるだけって約束したよね。おちついて』


『わたくしスカ趣味はないので、汚物と戯れる友人をこれ以上見てられませんわ!』

 

『ちょ……! ダメだって。出たら』


 リアムが立ち上がりかけたソフィアの腕を強く引くと、バランスを崩したソフィアがリアムの胸の中に飛び込んできた。

 突き飛ばされるかと思ったが、ソフィアは凍りついたように動かない。

 これ幸いとリアムはソフィアが二人の元に飛び出さないように、騒ぎ立てないように、その顔を胸元に押し付けるように抱きしめた。


『り、リアム……』


『しっ……』


 テオドールがレジーナをなだめるように近づいてポニーテールの青いリボンの端を掬って口付けを落とした。


「リボン、つけてくれたんだな。瞳の色に映えて、よく似合ってる」


「つけるのがもったいなかったけど、つけて良かった。あのね、これお返し。文化交流祭は剣術大会に出るんでしょ? 剣帯守を学生会で作ったんだけど、これは貴方に渡したくて……」


 レジーナが剣帯守をテオドールに差し出した。

 エリアス——アレックスの瞳の色というには緑が濃いと思っていたがテオドールの色味だったならば妥当だ。


「ありがとう。これをつけて敵に打ち勝ち、勝利を捧げよう。将来的には復権と融和を」


「復権……? 融和? なんのこと?」


 怪訝そうなレジーナにどこか酔ったようにテオドールは返す。


「先生が教えてくれたよ。大丈夫。僕に任せてくれ」


 二人の雰囲気は甘いのに、どこか齟齬がある気がする。薄紙が一枚噛んでいるような気持ちの悪さだ。

 首を傾げながら話を聞いていると、食事が始まり他愛のない話に話が移りかわって、そして2人が去っていく。

 とん、と胸を押されて我に帰ると、顔を真っ赤にしたソフィアが立ち上がっていた。


「いつまで! わたくしを抱きしめていますの!?」


 はっと、リアムは自分が先ほどまでソフィアを抱きしめていた事実に気がついた。

 あの二人の様子を観察するのと、ここでテオドールと相対するのは避けたいという気持ちが先走って、ソフィアを抱きしめていた事に意識がいっていなかった。

 ふと思い出した彼女の洗髪剤の爽やかな柑橘の匂いやそれが腕の中にあった感覚と、ソフィアが押さえ込まれたでも止められたでもなく、抱きしめられていたと認識していた事に、リアムの顔も一気に朱く染まった。


「え?! ごめん! 飛び出して行きそうだったからつい! 話がおかしな雰囲気だったし。もっと早く離せって合図してくれれば良かったのに」


 動揺して言葉を重ねると、ソフィアの顔がさらに赤くなった。


「強く抱きしめられたから! だから振り払えなかっただけです!」


 強く抱きしめたつもりはないが、彼女はそう思ったのだろう。

 わたわたしていると呆れた顔でライモンドが近づいてきた。


「おいおい、なにいちゃついてるんだ。あいつらにあてられたか?」


「「べ! べつに、そんなわけじゃ!!」ありませんわ!!」


 図らずも声が重なって、リアムは気まずげに咳払いをするとライモンドに尋ねた。


「ライ、そっちから見てどう思った?」


「テオドールの唇は七割読めたが、レジーナの方は死角になってて無理だったな。まあ二人が付き合ってるのは間違いないだろう」


 ただ、と、顎をつまんだライモンドは首を傾げた。


「教師、というのがどうにも怪しいな……。それに復権やら融和やら、レジーナ殿下の周りでその言葉が出てくるのはどうにもきな臭い」


「それはどういう意味ですの?」


 真面目な顔になったソフィアにライモンドが解説をはじめた。


「海亀島でも少し話したが、ノーザンバラ帝国は陛下を傀儡として立たせるためにエリアス殿下への襲撃を皮切りにメルシア王国の王家の係累を暗殺した。だから、テオドールの阿呆を切り捨てられないほど王族が不足しているわけだが、暗殺をなしたノーザンバラの本来の狙いはレジーナ殿下がメルシア旧王国の王位を継ぐことだった。子をなして用済みの陛下を殺し、レジーナ殿下を即位させて宮廷に帝国の息のかかったものを送り込めばノーザンバラの血を引きその意思を代行する傀儡のメルシア王の出来上がりだからな」


 頷くソフィアにライモンドは続ける。


「それを逆手に取って面従腹背の末にノーザンバラの皇帝を暗殺し、取り込んだ皇子を皇帝につけ、レジーナ殿下を皇太子にするか穀倉地帯を割譲するかを迫って穀倉地帯をぶんどったのが陛下とケインさんなわけだが……そういった結婚を基軸とした王家と国家の乗っ取りの事を粉飾して言うと、メルシア王国とノーザンバラ帝国の融和となるわけだ」


 ざっくりと説明してライモンドは難しい顔を作った。


「そうなってくると復権はテオドールの復権という意味か怪しくなってくる。テオドールみたいな自分が頭がいいと思っている間抜けは操りやすいからな。リアム、気をつけろよ」


 これは命の危険があるから気をつけろという意味だ。いまさらではあるが、改めて警告されれば恐ろしい。

 顔がこわばったのが分かったのだろう。ライモンドがその厳つい顔を緩めて衒いなく笑った。


「飯抜きで張り込んで腹が減ったな。今日は公務で午後は休みということにしてあるから昼を食べに行こう」


「たしかに空腹は怒りを増長させますし、食堂で用意してもらいましょう。わたくし今日はカレーにしますわ」


「ほ、ほんとにぃ?!」


「ああ、カレーか、辛くて美味いよな。俺も最近ハマって毎日食べてる」


 さきほどの会話をしらないライモンドはともかく、ソフィアはカレーの話をしていてカレーが食べたくなったにしてもあの話からのカレーは豪胆がすぎるのではないか。

 胃弱の自分はそもそも選べないが、違うものにしようとリアムは心に誓い、ついでに空気も読んで二人がカレーを選ぶことについては口を挟まなかった。

 

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