奸智に長けた蛇は誘惑の実を愚者に差し出す(テオドール視点)

「先生、なんのご用ですか?」


 今まで毎日ここに来ていたレジーナが姿を見せなかったかわりに、冬の庭で教師とテオドールは廃墟の中で対峙した。

 彼は今年から入った教師で、一年の授業を持っていない。関わりのない彼が自分に用があるとは思えなかった。


「キュステ令息、いや、テオ君って呼んでもイイ?」


「先生、それでご用件は?」


 教師とは思えぬ馴れ馴れしい口調で人懐っこく笑う教師にテオドールは警戒を覚えて、冷たくあしらった。

 去年までの自分ならともかく、今の自分にはなんの利用価値もない。去年まで自分と懇意にしていた教師がどうなったのか知れ渡っているのにわざわざ近づいてくる彼はあまりにも胡散臭かった。


「やだなぁ! そんなに警戒しないでヨ。僕の今の身分は人畜無害な教師ですヨ。君の彼女のレジーナ姫をこの連合王国の後継に、そしてテオ君をその王配にするツテはあるけれド」


「は?」


「あー、やだやだ、そこはすぐに察してヨ。ああ、でも戦争を知らないヌルいお坊ちゃまはこんなもんカナ。髪の色見てわかんない?」


「ベルニカの王族が、その色味の髪の色だが」


 それに男の大陸共通語の喋り方、語尾などのイントネーションの訛りがかなり強い北部のそれだ。


「半分正解。ボクの母はベルニカ公爵の親戚らしいから。でも、同じぐらい髪の色が薄い北の国のことは知ってるよネ? 君は去年二年生の授業やってるハズさ」


 それともサボってた? と、揶揄するように肩をすくめて上を向けた両手をほんの少し上げた彼をテオドールは睨めつけた。


「……ノーザンバラ」


 低く声に出すと男は嬉しそうに手を叩いて、テオドールの頭を撫でる。


「よく、出来ました。ボク達は雌伏していたんだ。帝国の血と連合王国の血を継ぐ正嫡であるレジーナ姫が連合王国を継いで両国の架け橋となり、レグルス神聖皇国を越える大帝国の統治者になるこの時をサ。だから今日は彼女にかわって君と話をするためにここに来たんだヨ」


「ノーザンバラはこの国の敵だ。……そんな危ない企みに僕は乗らない」


「えー、連合王国の教育が行き届いてるネ。やだやだ。ま、もう少し時間をあげるから考えておいてヨ。君と姫君はこのままだと絶対に結ばれないとか、ボクらといっとき手を組むことで誰を排除できるのか、とか。君が後塵を拝したあの邪魔者のせいで姫様は世界の果てで平民みたいな暮らしをさせられていたこととか。ちょっとばかし賢い君は、君と彼女にとっての良い道を選べるでしょ?」


 その教師の言葉は正鵠を得ていて、テオドールの心をひどく揺らした。自分の境遇は自業自得の面も強いがレジーナは違う。レジーナの話を聞いた時から、彼女のことはリアムがいるがゆえに排除された被害者のように思っていた。

 彼女に正当な地位を与えるために、自分は彼女を助けて目先の敵を排除するために、禍根から目をつぶって利害関係として敵と手を組むことも必要なのではないかと。


「さてそろそろいかなきゃ。王立学園の教師が悪名高い君と密談してたのがバレたら懲戒解雇されちゃうかもだし。あっ、今日の話は僕達二人の秘密でヨロシコー。まあ言えないよネ。今の君は執行猶予中の身だ。ノーザンバラの手先と話をしただけで物理的に首が飛ぶかもしれない。それともリベルタで強制労働かな。あの可哀想な黒犬の仔みたいにさ。あんなささいな事でいいところのお嬢様を綿花農園に送るのってほんとひどいよネ。今頃腰を曲げて、指先をカラカラにしてむちうたれながら綿花を摘んでるんじゃない?」


 ふふっ、と甘い眦を細め、自分をしっかりと脅迫しながら冷淡に笑った男が身を翻して廃墟の影から姿を消した。

 身を震わせて日常に縋るようにいつもレジーナと座っているベンチに腰をかけて、いつものサンドイッチの包みを開いたところで別の教師がやって来て、誰か来なかったか、なぜここにいるのか、必要以上に敵対的な強い口調で尋ねられた。

 テオドールはそれに首を振って、食事を教室や食堂で取れないからここで一人で食べていると俯いて答えることしか出来なかった。

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