女の一生2(過去と119話アネット視点)

「殿下は自分の子を喪って独り身に戻ったらこんな血も涙もない事をするのか?! 他の子持ちが妬ましいのか?!」


「私のドレスや宝石を一番格式の高い物以外全て売り払って、領地を抵当にいれればなんとかなります。アニーアネットの物は取っておきましょう。結婚相手を決めるのに、あまりにも貧相だと足元を見られます」


 察しの悪い方ではない。以前した男爵との会話と母の言葉で、アネットは兄の治療費のために自分は売られるのだと理解した。


「そうだ! アネットが幼い頃、リアム殿下との婚約を陛下に打診されたことがある。あの時は断りを入れたが、この間の夜会で殿下はヴォラシア公爵の姪と婚約破棄されたし、キュステ公爵令息との婚約で瑕疵がついたベルニカ公爵令嬢とも婚約を結んでいない。そうするとアネットが王太子妃の最有力候補ではないか?」


「もしかして、それを見越してエリアス殿下はアニーアネットを学園に入れられるようにおっしゃってくださったのではないですか?」


「アネット! 三年間の寮生活でなんとか殿下に取り入って、王太子妃の座を射止めるんだ! 金のある家の令息でもいい。三年間でそれを成せなければ、成金の下位貴族かどこかの後妻か、ともかく金だけはある我が家にとって1番益になる家に嫁いでもらう」


「……はい」


 父の言葉に、それまで感じたことがなかった両親に対する汚泥のような嫌悪感が這い上がった。

 王太子のリアムは国王と山の民と呼ばれる民族出身の現王妃との間に庶子として生まれた。

 それを厭った父は彼との婚約を断って、兄をキュステ公爵令息と親しくさせていたはずだ。

 時世を読むのが貴族の倣いとはいえ、それはあまりにも調子が良く、王太子に失礼ではないだろうか。

 アネットにとって、王太子と結ばれる事は一番避けるべき未来だとその時に自覚した。


 学園に入学してから、兄の悪評は伝え聞こえてきた。ただ兄は夜会の前に休学したことが幸いし、他の二人ほど話題にはなっていなかった。

 また、アネットは小さい頃から近隣の同世代の貴族の子女達とそれなりに付き合って気の合う友人を作り、兄も妹の友人は妻候補であると認識していたらしく手を出すのを控えていい顔を見せていたから、アネットのおっとりとした交友関係はなんとか維持できていた。

 だから、兄に対する直接の悪意をぶつけられた事はなかったのだ。その時までは。


『ほんっとうにカールマンの妹を入れるんですよね? 後悔はしませんね』


 扉越しから伝わる声に含まれた嫌悪と悪評高い兄の妹であるという偏見にアネットは立ちすくんだ。

 そのまま辞退を申し入れた方がいいのではないか、そう逡巡していると、穏やかで柔らかな響きがその刺々しい声の主を嗜めるのが扉越しに聞こえて、アネットはその声に引き込まれた。


『テストの成績も素晴らしかったし、数字にも強かったし、字も綺麗だったし、面談した時の感じも良かったんだよ』


 王太子リアムの声はアネットの心の中に喜びと共にじんわりとそれは染み渡った。

 王太子とは面談の時に雑談程度に少し話しただけだ。それなのに、こうやって兄の妹としてではなく自分自身を見てくれている。


「あら、どうしたの? こんなところで」


 アネットが戸惑いに立ちすくんでいると、鈴の音のような愛らしい声の気安い口調が、横から響いてアネットは振り向いた。


「殿下。その……入っていいか、悩んでいたんです」


「クラスを出る時から一緒に行けば良かったかしら」


 ドアの向こうの会話が彼女にも聞こえているのに、レジーナはそれを気に留めるでもなくにこりと微笑んだ。

 窓から差す木漏れ日が蜂蜜のように濃く甘やかな色味の金髪を彩り、天使の輪を浮き上がらせる。


『その妹なんて短い面接じゃどんな女か分かりませんよ。正直なるべく関わりたくな……!』


「レジーナと呼んで。さ、入りましょ」


 聞こえているはずなのに、全く聞こえていないかのように扉を開けたレジーナについて学生会室に入る。

 その後のやり取りはアネットの常識からかけ離れていた。

 兄と同年代の男性が非を認めアネットに謝罪した。

 権威のある男性教師が、職務とは言え飲食のサービングをすると言い、アネットが作った食べ物を申し訳ないが毒見をすると断りを入れてくれた。

 全てが対等な人間同士の関わりでしか出ないもので、アネットにとってそれらは何もかもが新鮮だった。

 だが、何よりも心を震わせたのは、兄に命じられて作り、兄と友人に差し入れても結局気まぐれに捨てられていた菓子をわざわざ理由までつけて、リアムが受け取ってくれた事だ。

 捨て置けばいいのに、王太子自ら理由を探して皆で食べようと言ってくれたのだ。

 単純な親切心からなのも分かっている。

 その日の態度からも、その後の学生会のたびの態度からも、自分に対して特別好意を持ってくれているわけでないことだって分かる。

 せいぜい大変な兄を持った可哀想な妹、仕事の出来る後輩ぐらいだ。

 その視線がほんのりと熱を帯びて、ソフィアを追っている事も気がついている。

 ソフィアは素敵な人だ。誰にも媚びず、男性に臆さず、自然体で凛としているのに思いやりがある。

 親の思惑に乗らないためにも、二人を応援する為にも、好きになってはいけないと思っていたのに。

 アネットはリアムに恋心を抱いてしまった。

 温厚で思慮深く、思いやりにあふれた、自分の周りにはいなかった素敵で優しい男性なのだ。

 恋に落ちないはずがなかった。


 

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