秘密の庭の黄金の果実(レジーナ視点)

「あっ、テオドール」


「僕を追ってきたのか? レジーナ」


「偶然よ。自意識過剰。あなたこそ、何でここにいるの?」


「聞こえよがしに囀る雛鳥共がピーチクうるさくて不味い飯がよけいに不味くなるから、ここで飯を食べてる」


 そう言ったテオドールは、レジーナと話す時間がもったいないとばかりに蝋引きの紙に包まれたパンにチーズとハムと茶色いピクルスを挟んだ物に齧り付いた。

 それは公爵令息として、いや、貴族としても慎ましい部類に入る食事で、見た目の華やかさや伝聞とずいぶん違って意外だった。


「なんだよ。自分で作ってるからこれが限界なんだ。父上から頂いている補助は最低限で下働きに毎日払う金はないし、食堂で食べるなら無料だが、朝や夜と違って時間をずらせない昼の食堂で昔の同級生に後ろ指を指されながら毎食食べるのは苦痛だ。自業自得と笑えばいい」


「笑わないわよ。私だって同じだし……」


「同じ?」


「食堂に居づらいから、ここでお昼を食べようと思って来たの」


 テオドールは納得したかのように頷いて、質素なサンドウィッチの最後の一口を咀嚼し飲み込んで、皮袋に入れた飲み物を流し込んだ。


 レジーナはテオドールの斜向かいに腰掛けて、小さな机の上にランチボックスを広げる。


「そうだ、お礼を言うの忘れてた。文化交流祭の説明の時、庇ってくれてありがとう」


「は? 庇ったわけじゃない。全部事実だろ? お前はリアムやリアムの母親と違って、国同士の決め事で婚姻した両親の元から産まれた正統な王女だ。それが貶められるのを黙ってみているわけにはいかない。当然の事を言っただけで感謝されるいわれはない。お前のために言ったわけじゃないから、勘違いするな」


「それでも嬉しかった。お礼でもないけれど、よかったら私のランチボックス少し食べない? こんなには食べられないし」


 寮で有償で頼める持ち出し用のランチボックスは量が多い。

 レジーナは一番食べたかった豆のサラダを取ってからテオドールにランチボックスを勧めた。


「恩には着ないからな」


「こんなもので恩着せがましくしないわ。好きな物をどうぞ」


 ためらいがちに伸ばされた手が小ぶりに作られたゲームパイを取った。

 それは熱した脂で練った生地の中にゼリーで固めたみじん切りのジビエ肉がみっちりと入ったパイでかなり重い。それ一つ食べるだけでお腹が一杯になる代物だ。レジーナならサンドイッチを食べた後にそれを食べるのは無理だろう。

 だがテオドールは年齢相当に食べ足りなかったらしい。上品な仕草でそれでもレジーナがサラダを食べ終わる前にパイを全て食べ切った。


「美味い。朝晩も思ってるが、今年から急に学園全体の食事の味が良くなった」


「パパ……リベルタ大公がね、食事は美味しい物を食べてこそだって考えだから、学園のシェフを私費で追加で雇い入れたの。『皆のためなら問題ない。こんな量ばかりの食事を食わせられるか』って」


「今のは大公の物真似か? 似てないな。きっと僕の方が上手いぞ」


 養父の口調を真似て言ったレジーナを笑ったテオドールは咳払いをして続けた。


「量だけが取り柄の不味い餌は豚にでも食べさせてしまえばいい。そうすれば次の料理の材料になるだろう? ああ、このおがくずを作った料理人共々だ。代わりにもっと腕のいいシェフを紹介しよう。それならば問題ないだろう?」


「やだ、ぜんっぜん似てない! 言ってる事に問題もありすぎ!」


「そうか? 自信があったんだけどな」


 ひとしきり笑ってから、似ていないと言われたのに少し嬉しそうな顔をしているテオドールの様子が意外でレジーナは目を瞬かせた。


「下手な物真似ってけなしたのに嬉しそう」


「ずっと似てるって言われていたから、似てないって言われるのが新鮮なだけだ」


 その言葉に隠れた傷に、レジーナは気がついてしまった。自分がそれを抱えているから。

 義父アレックスはレジーナに優しかった。甘いと言ってもいい。学園の食事の改善だってレジーナが入学するから嘴を挟んだのだ。

 レジーナと亡くなった娘は違うと言ってくれて、レジーナとして慈しんでくれている。

 だがそれは表層的なところに過ぎない。

 アレックスの優しさを無碍に出来ないから口にした事はないが、彼は無自覚の心の根深い部分で自分と実の娘を重ねているとレジーナは知っている。

 テオドールも幼い頃からエリアスに似ていると言われ続けてきたのだろう。

 優秀で品行方正であっただろうエリアスと比べられるのは苦痛だろう。

 別人の影を求められるのは呪いのようなものだ。反発するにしても従うにしても縛られて、心に傷がつく。

 そこから目をそらすようにレジーナはバスケットの中のパテを挟んだサンドウィッチを食べ、スコッチエッグを一切れテオドールに渡して自分もそれを食べた。

 それで沈黙の溜めを作ったレジーナは話を変える。


「貴方、リアムやソフィアから聞いてたのと印象が違うわ」


「どうせクソミソに言われているんだろ。特にあの口汚い田舎女に」


「ごめん、撤回するわ。印象通りよ」


「ふはっ……! お前、面白いな。久しぶりに楽しい気分だ」


「お前じゃないし、リアムの妹でもないから」


「まだそれを擦るのか、レジーナ姫。親愛なる従姪殿」


 顔をくしゃりと歪めて笑ったテオドールが、スコッチエッグを食べて、最後にランチボックスに二つ入った小さな青林檎を手に取るとレジーナに渡す。


「これももらっていいか? ああ、久しぶりだ。こんなに晴れた気持ちになったのは。腹も膨れたし」


「もう取ってるじゃない」


 満足げに林檎に齧り付いたテオドールを見て、レジーナは微笑んだ。

 口には出さなかったが、レジーナも同じだった。

 この暗くて寒い旧大陸に戻ってきてから開きっぱなしだった心の虚ろが、ほんの少しだけ埋まった気持ちになった。

 その日からレジーナは示し合わせたわけでもなくテオドールと二人、だれも訪れない庭の廃墟を模した寂れた東屋の中で昼食を取るようになった。

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