揺らぐ諦観(ソフィア視点)
「ごぶさたしておりますわ。テオドール様」
入学式の後、婚約者に挨拶をしておくようにと母に強く言われたソフィアは仕方なくテオドールの元に向かった。
煌めく金髪に翠の瞳の見目の良い婚約者はたくさんの取り巻きに囲まれて愛想良く微笑んでいた。
さっさと挨拶を済ませて帰りたくて、それを散らして彼に相対すると手を差し出した。
「誰だ?」
「ソフィア・ベルグラード。お会いするのは婚約の時以来かしら。両親に婚約者に挨拶しにいくようにと言われて伺いました。同級生として婚約者としてよろしくお願いします」
「ああ、久しぶりだな……ソフィア」
その手も取らずにテオドールは整った容貌にそぐわない下卑た視線で上から下までソフィアを舐め回すように見た末に、胸部に視線を止めてため息をついた。
ため息をつかれる部分があったかと内心首を捻り、ベルニカ騎士団で男達が女性の胸の大きさでおおいに盛り上がっていたのを思い出し、ため息の理由に思い至ってカチンと来た。
その苛立った気持ちを押し殺し、渋々といった体で伸ばされた手に自らの手を取られる前に引っ込めた。
そして上から下までテオドールの整った容貌とあまり筋肉のついていない細い身体を舐め回すように観察してやり、下腹部やや下の一点をじっと見つめて鼻で笑ってやる。
「なんだその態度は!」
その白皙の美貌を紅潮させたテオドールをソフィアはさらに挑発するように小首を傾げた。
「先に人のことをジロジロと見たあげく、ため息をついたのは貴方ではなくて? 私は同じようにあなたを見つめて、不躾にならないように微笑んだだけですが、何か問題でも?」
「鼻で笑って、小馬鹿にした目つきで見たろ!」
「あらあら、笑い方については解釈の違いがありますわね。それと目つきと言われましても、父に似てきつめなので、誤解されやすくてわたくしも遺憾に思っておりますの。あしからず。わたくしからの
言い捨てて母からギリギリ及第点をもらった正しい礼を慇懃に取ったソフィアは、遠巻きにこちらを見つめる取り巻き達の視線や陰口めいた批判を意に介することもなく女子寮へと戻った。
それがよほど彼のプライドを傷つけたのか、知己の多いテオドールはこれ以来、影に日向に自分を排斥した。
男子のみならず、女子の方も、王子リアムの婚約者でテオドールの幼馴染でもあるエミーリエがテオドールに協力して地味にソフィアを女生徒同士の仲間の輪から外してくる。
ソフィアはベルニカの公爵令嬢だ。いくら彼らが刺々しい態度を取ってきても、ベルニカ出身の生徒達と仲良く出来れば学園生活で孤独を感じることもなかっただろう。
だが、ソフィアはベルニカで同年代の生徒達との交流を疎かに蔑ろにしてきたのだ。
結局、星氷姫などという響きだけは綺麗なあだ名をつけられお高く止まった氷のように冷たい女と見なされ遠巻きにされて、一人ぼっちで一年を過ごすことになった。
落ち込むことこそなかったが、その悪意に三年も付き合うのはあまりにも馬鹿馬鹿しく面倒で、テオドールとの婚約破棄を画策していたら、向こうに先を越された。
衆人環視で婚約を破棄されたソフィアは、せめて自分の有利になるようにエミーリエの婚約者のリアムを巻き込み、テオドールが借りていた隠れ家に乗り込んだ末に拉致され、リベルタに売り払われかけた。
リアムの機転とライモンドのおかげで売られることは避けられたものの、新大陸に送られる羽目になったのは避けられず、ディフォリア大陸に戻るためにリアムとライモンドと旅して過ごすことになったのが去年一年だ。
向こうに一年いたわけではないが、ノイメルシュに帰ってきても休学扱いの学園には復学せず、リアムやリベルタで出会ったレジーナ達と濃い毎日を過ごした。
テオドールとエミーリエにしてやられた事については腑が煮え繰り返るほど悔しかったが、それはそれとして自分を偽る事なく、自分らしく過ごし、リアムにもそれを受け入れてもらえたあの一年はソフィアにとって、とても楽しくのびのびと過ごせた日々だった。
帰国し忙しなく過ごした末に行われた夜会のあの日、リアムが『あの時間がずっと続けばよかったのに』と言ってくれた。
寝ぼけたことを言うなと返しながらも、内心はそれに頷いてもいたのだ。
あの南溟の楽園で過ごした日々は自分にとって素晴らしい
夢破れ、親に押し付けられたとは言え、歩み寄ろうと思っていた婚約者に初対面で不躾に見られてやり返したら拒絶され、迷子になって凍りついていたソフィアに自分らしさを取り戻すきっかけをくれた。
今年は学生会のメンバーとしてまた同級の親友としてリアムと時間を過ごして、それなりに平穏に卒業するのだろう。
学生会の課題を書き取りながら、そういえばとソフィアは心に引っかかって、いまだに直視できないでいる事を思い起こした。
リアムの夜会の時の好きだから考えて欲しい、はどういう意味合いだったのだろうと。
言葉通り、異性として好意を持っているという意味か。
それとも、友人として自分に好感を覚えるという話だったのか。
考えて欲しいという事は前者の可能性があるが、あの後答えを促されることもないから、単に後者の意味合いで、ライモンドに腐されたフォローとして自分に友愛を伝え、自信を持てというエールだったのだろうか。
あの日あの後の査問会と、リアムの元婚約者が起こした騒動のインパクトが強すぎてその話がソフィアの中で棚上げされていたのだ。
リアムに対して抱く気持ちは、恋愛感情かは自信はないが、他の人に対するそれとは違う。
だが、リアムの考えて欲しいと言った言葉が単なる友愛だったとしたら、目も当てられない失敗になり、優しいリアムも巻き込んでしまう。
だから、このまま現状を維持して卒業した方がお互いのためなのだろう。
来年、学園を卒業した後、自分はどうしているのだろうか。その未来をソフィアはまったく見通せなかった。
オリヴェルに言われた言葉がずっと引っかかっている。
『オレかオレじゃなくてもお前の両親の眼鏡に適った男と、好悪関係なく番わないといけないってわけサ』
卒業後の道標として示されているベルニカの慣習だ。それに従って生きていくのが一番正しい。
自分は一度それとは違う道に挑戦し、すでに失敗しているのだから。やり直しは認められない。
だが、そこにリアムの言葉が蘇る。
『政略結婚とか義務とか、血を繋ぐためとかそういうのでなく、リベルタで僕たちがそうやって過ごしたように、生涯を分かち合える人と笑い合える婚姻を結びたい』
その言葉と自分らしく過ごしたリベルタでの時間がソフィアの諦観を揺るがせていた。
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