バタフライ・エフェクト(ケイン視点)

「自分の行いを振り返って、罰が妥当かどうか悩む気持ちは理解できる。イリーナをこの手にかけた時に同じような逡巡はしたさ。……死罪か流罪か決めかねるなら、具体的な選択肢を。リベルタ大陸、レグルス神聖皇国入植地との境に購入したばかりの環境の整わぬ綿花農園がある。そこでの労務を十年。労務の後もメルシア連合王国本国への入国を生涯禁じるというのはどうだろうか」


「十年! たったそれだけですか? 私達が目をかけられない間、リアムはあの娘からひどく辱められていた。今だって彼女に盛られた薬のせいで苦しんでいる。あの様を見て十年ですか?!」


 実のところ最初の裁定も納得しきれていなかったのだろう。今までエリアスに発言を任せて、沈黙を貫いていたレオンハルトが吹き上がった。


「レオンハルト、落ち着け。本国からの放逐が罰の中心だ。リアムとリアの苦しみを重ね合わせる気持ちは理解するが、リアムが今苦しんでいるのは本人の意地と覚悟の自業自得だ。リアムが苦しめられた期間を斟酌し等価として労務を与えるならば十年が妥当じゃないか?」


 エリアスはレオンハルトの懲罰心とケイン達の罪悪感を天秤の両端に載せて釣り合いを取る発言をする。

 過去を振り返れば、アレックスはあらゆる暴力を彼に振るったノーザンバラの海賊ナザロフに対してすら公正であろうとし、私刑をよしとせずに法の裁きの上に乗せた。

 また共に残酷な復讐をなす事も出来たのに、自らの復讐心とケインとレジーナの未来と自分の瑕疵すら見据えて天秤に載せて、イリーナに慈悲の死を与えた。

 心を喪った妻と通じた弟ヴィルヘルムと和解したのもそうやって心を整理したに違いない。

 情に厚く赦しと機会を与える為人ひととなりだと思っていたが、それ以上に調停者である事が彼の本質なのだろう。

 その心根は尊いが、ひたすらに哀しい。


「自由の身になった後もうちの娼館では彼女を雇用しないように手配しておく。地に足のついた仕事に就いて倹しく生活をしながら地道に働き新大陸で更生を目指すか、神聖皇国の入植地で開拓民として新たな人生を送るか、それとも……」


 そこでエリアスは言葉を止めたが、彼と共に長い間リベルタで過ごして来たケインは知っている。

 リベルタで女性が成り上がって裕福な生活をするのは難しい。

 毎日身を粉にして働く夫を支えて暮らすか、農作業を共にするか、紡績工場や洗濯屋などの仕事に就くか。少しは金になる仕事で代筆業もあるが、どのみち慎ましく生活をする生活からは抜け出せない。

 その中でオクシデンス商会の所持する娼館はその身と尊厳を削る仕事であるとしても、人生を逆転し女優や裕福な商家やあるいは貴族の愛人や夫人になれる機会を得られる数少ない場所だ。

 エミーリエは貴族としての最低限の教養は持たされているだろうからこういう所で成り上がれる可能性もある。

 だがそれを封じられ、オクシデンス商会と清貧を旨とする神殿騎士団が実効支配するあの地域で、知恵も謙虚さも持たず、貴族の豊かな生活に戻る道を探す人間が最後に流れ着く先は、奴隷島と呼ばれる法治の及ばぬ地獄だけだ。

 ケインには死罪と生涯の懲役と仮初の自由、その三つの罰のどれがあの少女にとって、もっとも残酷か答えが出せそうにない。


「自由を与えて、彼女自身の選択に罪への反省とさらなる罰を委ねるという事ですか?」


 レオンハルトの確認にエリアスは静かに頷いた。


「リベルタはその名の通り、自由の地だ。地位の高低もほとんどない。真摯に行動すれば報われる事も多いが、反省なく今のような態度を取り続け堕ち続ければ必ず報いを受ける。あの土地はそういう場所だ」


 自らを顧みられれば庶民としてささやかな幸福の中生きていけるが、今のまま罪を犯した自覚もなく、刑期を終えても自分だけを愛して他者を責めながら生きていくならば待ち受けるのは破滅だけだ。 

 

「そうだな……。己の罪を少しでも自覚し、十年の労務で心を入れ替える事を期待しよう。エミーリエはキシュケーレシュタインの最後の王女でヴォラシア公爵の姪の貴族令嬢として育った。その彼女にとっては生きて償う方が、厳しい罰だろう」


 そう言ったヴィルヘルムは後悔を全て吐き出すように言葉を紡いだ。


「リアムの血筋を証明出来なかったあの時、庶子のリアムに彼女よりいい条件の相手はいなかった。個人的に仲の良かったサミュエルでさえ細君の意向で、婚約を打診していた相手はリアムではなくテオドールだった。そこにリアムがエミーリエを結婚相手にしたいとやって来てちょうど良かったんだ。本人達が望むなら問題はないと思って決め、野心や復讐心を持たせないように気は配ってきたつもりだったのだが、どこで掛け違ったんだろうな……」


「本人の性格もあるのだろうが、どこで掛け違ったのか、とうに答えが出ているよ。二十年前、私が国の都合でお前の妻にレジーナの母、ノーザンバラ帝国の皇女イリーナを選んだ時からだ。あれがなければ、私は海賊に襲われず、お前は王にならず、私の子は死なず、リアムは生まれず、キシュケーレシュタインは滅びておらず、連合王国も建国されていない。あの時の小さな蝶の羽音は世界を巡っていまだに大きな問題を我々に突きつけてくる」


 悔恨と苦さを隠しきれないヴィルヘルムの疑問にはっきりと答えを出したエリアスは、この辺りで止まって欲しい物だ、と、上を向いて顔を覆う。

 ヴィルヘルムは沈黙を答えとした後、王として裁定を下した。


「明日、エミーリエ・メッサーシュミットをリベルタでの十年の労役とメルシア連合王国本国からの生涯追放に処す事を他の公爵達に提案する。他の三公からの承認を取り次第、その出生を証明する籍を除し、両親不明の平民の犯罪者エミーリエとして新たに登記し、他の女性重犯罪者と共にリベルタの綿花農園へと送る。リベルタ大公、至急、その農園を、犯罪者を隔離して脱獄できないよう整備するように」

「仰せつかりました。国王陛下」


 顔を戻してエリアスが臣下の礼を取り、それにヴィルヘルムが頷いて、深夜の話し合いは終了となった。

 そして翌日、公爵達からの反対も特になく刑は採決され、可及的速やかに整えられた監獄の完成をもって刑は執行された。

 

 エミーリエからの謝罪や反省の言葉は一切なかった。

 ただひたすら、事をなす前に捕まってしまった不運を嘆き、リアムに対する妄執じみた歪んだ想いを吐露し、自分と違って流罪を与えられないテオドールを狡いと詰り、冤罪で罰を受ける、不当であると不満を喚き散らした。


 そして、体調が落ち着いたのち、エミーリエの処分とその態度を聞いたリアムは、もはや彼女にはなんの関心もないという風に「妥当だと思います」と答えただけで、その後彼女の事に自ら触れる事もなく、存在すら心の裡から消し去ったようだった。

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