他者の罪を問う時、己の罪が深淵より顔を見せる(ケイン視点)

 話は夜会の深夜に遡る。

 会議を中座したヴィルヘルム達がエミーリエによって媚薬を盛られたリアムを救出したことをエリアスが謁見の間に戻って公爵達に状況を説明したところで、ヴォラシア公爵は卒倒した。

 手当を施してすぐに回復はしたものの、リアムに付き添ったヴィルヘルムも戻って来られず、とても今日は話し合いが続けられないという判断の上、会議は翌日の午後からに持ち越しとなった。

 散会し、各々パーティーの装束を私服にあらためた後、ヴィルヘルムの私室にヴィルヘルム、エリアス、レオンハルト、ベアトリクス、ケインの五人で今後の擦り合わせのために集まったのが今である。


「エミーリエ・メッサーシュミットは地下牢に投獄した。毒など盛っていない、二人で楽しむために媚薬……催淫剤を飲んだだけだと主張しており、リアムは今話を聞ける状態でない。とはいえ、自ら罠に飛び込んだにしても、リアムがその薬が何かを認識して合意の上で該当の薬を飲んだわけではないのは助けに入った時点ではっきりしている」


 ケインの報告に、沈鬱と幻滅と倦怠が満ちる中、苦い苦い声で口火を切ったのはレオンハルトだ。


「ヴォラシア公からの伝言です。エミーリエの処分はこちらに任せる、バイロン家の方では預かり知らぬとの事でした」


 ベアトリクスがやるせなさげに俯く。リアムの出生を隠すために赤子のエミーリエをリアムと一緒に見ていた事があるらしく、思うところもあるらしい。


「エミーリエは親に捨てられた子で、ヴォラシア公爵家とはほとんど関わることなく育ってきましたからね……」


「査問の際の態度を鑑みても死罪で構わないのではないですか?」


冷徹に意見を述べたレオンハルトにケインは返した。


「飲まされた薬は命を奪うものではなかった。死罪には至らないんじゃないかと思う」


 それにエリアスが目を見開いて唇を歪める。


「穏当さや相互理解の努力が伝わらない敵であるなら息の根を止めるべきが、お前の考えだと思っていたが」


 あの判決が出た後も、エミーリエはまったく己の罪を理解せず、なんとか今の地位にしがみつくため未婚の王太子の子供を孕もうして彼に薬物を盛った。

 自分本位であまりにも身勝手な自己愛の塊。

 そして、すでに爵位は取り消されることが決定している、今やヴォラシア公爵の血縁でしかない平民の少女だ。その言葉に間違いはない。

 自分が少し感傷的になっているのは分かっている。だがそれをすぐさま非難したのが、自分の復讐を止めたあのアレックスエリアスだ。彼の態度がいつもに比べて冷淡に映る。


「逆に貴方はあの娘に穏当な罰を与えるように主張しないのか? 何も持たない無力で哀れな小娘一人、殺す必要もないと主張すると思った」


 冷静な大公然とした美貌が歪んで一瞬、情に棹さす海亀島のアレックスの顔が見えたが、エリアスはそれを取り繕って、場に問うた。


「死罪相当であるとは思っていない。さらなる酌量余地を探す発言に驚いただけだ。ここは法が幅を効かせる国で彼女はすでに一度酌量を受け、それを己の欲のままに投げ捨てた。さらに酌量するのならば、納得する理由を、根拠を示さなければいけないという話をしている」


 リベルタから戻り、ヴィルヘルムと和解したアレックスは自らの仇にさえ見せた有情さを押し込めて王兄の立場で行動し、他者へそう見せる事を己に強いているかのようだ。

 エリアスとしての顔を見せる彼は、ケインにとってほんの少し遠い。はじめて会った時こちらに気づかず書類を片付けていた彼とそれを眩しく見つめた自分を思い出す。

 だが、それでも彼は彼だ。あの時ケインの心を守るために我が子の仇であるイリーナにすら安らかな死という慈悲をくれてやったアレックスだ。

 だからケインは自分の気持ちを正直に吐き出した。


「根拠などないし、己の愚行を顧みず自分本意に罪を重ねるエミーリエには嫌悪感を覚える。だがその感情を抱いて与える罰が、その罪にその業に見合っているのか不安なんだ」


 それだけでは言葉が足りなかったのだろう。エリアスは無言のまま、先を促すようにケインの顔をじっと見つめる。


「彼女は存在自体がヴィルヘルムと赤狼団の罪の証ですから、裁きを下す時にどうしてもそこに目が向いてしまうと言いたいのだと思います」


 上手く言い表せないケインのもどかしさにベアトリクスが沈鬱に言葉を繋げた。


「隣国キシュケーレシュタインを陥落させるために、赤狼団……フィリーベルグの辺境騎士団はヴィルヘルムと共に冬のフィリー山脈を踏破しました。実現不可能と言われていた道行です。凍死者も両手では足りない程度に出ました。食事も足りず革靴を細かく刻んで煮込み、飲み込みがたいそれをすぐに冷めてしまう湯で流し込むような状況だったと。ようやくたどり着き、獣性を放たれた王都で何が起こったか想像に容易いでしょう? まして、不倶戴天の仇敵と嫌っていた黒狼の民の都です」


 沈黙の後、ケインは言った。


「……前に話したことがあったな。俺は戦時中、子供を手にかけたと。それがエミーリエの姉だ。その娘はヴィルに刃を向けて、ただ止めるのでは間に合わなかったから斬った。何度同じ状況になっても俺は躊躇いなく斬るだろう。だが、それでも後悔は残る」


 そこで口を噤んだケインの言葉を繋ぐようにヴィルヘルムが話し始める。


「エミーリエはヴォラシア出身の母にキシュケーレシュタインの血を疎まれて捨てられた。彼女をメルシア王宮で育てた理由も打算に過ぎなかった。ヴォラシアへの貸しとキシュケーレシュタインの民の反感を和らげるため、それにノーザンバラからつけ狙われるリアムの身代わりとして。本人にはそう気づかれないように育てたつもりだったが、それがあの歪さを産んだのだろう。リアムへの加害は許しがたいが、どうしても自分の罪に目がいってしまう」


 そこに沈殿するのは憐憫ではなく罪悪感と後悔だ。

 賢征王と崇められ、民に寄り添った政をすると人々に敬われる連合王国の開国の祖であるヴィルヘルムの非人道的な汚点、雪ぐことのできないそれへの告解。

 断罪の刃を他者に向ける時、それは己の罪を自身に突きつけ、それをたやすく鈍らせる。

 曇りなき正義感で、なんの瑕疵もない復讐で、相手が為した罪だけを糾弾し苛烈な罰を与えられるなら、どれほど楽だろう。

 十年前の自分ならばおそらくためらわず死罪を主張したに違いない。

 先程エリアスに指摘された通り今後の害になる可能性のある厄介な性根の少女を切り捨てて終いだったろう。

 だが、アレックスと南溟の楽園で過ごした十年間で自分は人の情を取り戻してしまった。復讐者として人間性を喪ったままであったら覚えなかった躊躇だ。

そしてそれは南溟のあの島で、アレックスが思い出させてくれた物だ。



※長くなったので次話に分割となります。前作からお読みの方は違和感を覚えるかもしれませんが次話までお読みいただければと思います。

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