駆除できればそれでいい

 エミーリエは、リアムがそれを受け取る前に立ち上がって飲み物の盆をひったくるように受け取った。

 そして、何も知らずに飲み物を持って来た侍従に何かしら吹き込んで扉を閉めさせる。

 そして彼女はそのまま素早く内鍵をかけ、人によっては魅力的に感じるだろう微笑を浮かべて、リアムの横に腰掛けしなだれかかってきた。


「扉を閉めるなと言ったはずだけど」


「殿下!! 今、鍵を持ってまいります!」


「大丈夫。何かあったら声をあげるから、心配しないでそこに控えていて」


ギーレンに大声で返してリアムはエミーリエに向き直って、すり寄る彼女を押し返し、握ってこようとする手を振り払った。


「で、どういうつもり?」


「だって、ドアが開いているのは落ち着かないから。わたしたち、ほんの少し行き違ってしまったけれど、やり直せると思うの。はい、飲み物をどうぞ。仲直りの乾杯、しよ?」


 先程まで泣き濡れていたのに、今はけろっとした笑顔でグラスを渡そうとしてくる。

 知ってはいたが涙をこぼしていたのも嘘だ。リアムはうんざりとエミーリエを突き放した。


「君とやり直す未来は永遠に来ない」


「愛していてくれたよね? 好きだって言ってくれて、婚約して欲しいって言ってくれて、あの時が人生で一番輝かしい瞬間だったのに、忘れちゃったの?」


 エミーリエは肩を振るわせ、眦から透明な雫を落とした。

 嘘泣きなのに、本当に涙を流すその演技力には脱帽する。


「よく言う! その後はずっと僕の事も母のことも貶めてきただろう? あげく、僕の婚約者でありながら、テオドールと同衾した末に僕達を売り払おうとした。もっと重い罪にしても良かったところを穏当に済ませてやったんだ。その事実を理解して、もう二度と僕の前に顔を出さないでくれないか。もう、君と僕の人生は分たれた。このまま一生関わらずに生きていこう」


「だから! それは全部テオがやったことなの……! あっ。そうか、ごめんなさい。私、気がつかなかった。テオとのこと嫉妬してくれてるのね。そういう情熱的なところを最初から見せてくれていたら良かったのに、奥ゆかしすぎるわ。リアム。でもそういう控えめなところも大好きよ。別れるなんて言わないで」


「なんでそうなるんだ。それに別れる、じゃあない。もう僕たちは婚約を破棄して別れた。すでになんの関係もない」


「……隠れた気持ちを認められないなんて可哀想な人。でもそう言うなら仕方ないわ。それならこの飲み物で乾杯して、甘かった思い出も苦かった思い出も飲み干して終わりってことにしましょ。ここでちゃんとお別れできたら近づかないわ」


 分かりやすく言っても、自分に都合のいい受け取り方、切り取り方をして、何かに酔ったように芝居掛かった返しをしてくるから、全く話が通じない。

 今は調子のいいことを言っているが、舌の根も乾かないうちにそれを忘れてまたエミーリエは付きまとって来るだろう。

 やはり今、このチャンスを逃さず自分の前から消してしまおうとリアムは決心した。


「甘かった思い出なんて何もないけれども、それを飲んだら、本当にもう二度と関わらないでくれる?」


「約束します。飲んでくれたらもう関わりません」


 執拗に飲み物を勧めてくるのがあからさますぎて逆に何もしていないかもしれないと疑念を抱かなくもないが、まあ十中八九飲み物に細工をしたのだろう。

 飲み物を持ち帰るまでにおかしな間もあって、部屋の鍵も閉められた。

 ボディチェックはさせたが、服の上から未婚の少女に失礼のない程度に触って銃や短剣を持っていないか確認しただけだ。毒ぐらいなら持ち込める。

 だが、飲み物に毒が入っていたとしても、毒に慣らされてきた自分には効かない。盛られないに越したことがないが、飲んだところで問題もないのだ。

 今、言質は取ったから、これで彼女が近づいて来ても躊躇なく排除できるようになった。何の細工もないただの飲み物だとしても、自分が飲み干した時点で二度と関わらなくて済む。

 

 ここで飲まない選択肢はない。


 学園を卒業するまで顔を合わせなければ、彼女は後は平民だ。

 顔を合わせることどころか、特別な赦しがなければ王宮に入ることも出来ない身分となる。誰も彼女にそれを与えないだろう。

 爵位を失うということはそういうことだ。王族と爵位を持たない者の人生は滅多に交わらない。

 もちろん期待しているのは、そんな穏当な溶暗ではなく、彼女が自分に何かしらの毒物を盛ることである。

 一度は王子として公爵の顔を立てて許してやったが、それは一度きりだと告げていて、査問会の記録に書き起こされている。

 ここで自分に何かをすればエミーリエは許されない。未成年だから追放刑が妥当だろうか。

 それで十分だ。別に殺したいほど憎んでいるわけではない。ただこの害虫を自分の人生から駆除できれば良い。

 はめるような形になるが、なんの痛痒も感じない。あえて隙を作ったが、最後の引き金を引く選択をするのはエミーリエだし、その対価として自分は命を天秤に載せている。


「エミーリエ、飲み物を交換出来るなら、飲んでもいい。ただしもう本当にこれきりだ。それが済んだら顔を見せるな。次からは護衛に力づくで排除させる。いいね」


「もちろんよ。そういえば、リアムは王宮では毒味した物しか飲んでなかったよね? 私が両方するわ。それならば安心して飲めるでしょう?」


 エミーリエはグラス二つを手に取って二口づつ飲んでみせて、そしてそれをテーブルに置く。


「好きな方をどうぞ」


 リアムはエミーリエの前に置かれた、本来彼女が飲む予定だったものを手を取り、エミーリエはリアムの前に置かれた物を手に取った。


「じゃあ乾杯」


 グラスを合わせるついでに体を寄せられて、リアムはソファーの角に体を押し付けてそれをかわした。


「少し離れてくれる?」


 不承不承、拳一個分のスペースをあけたエミーリエの隣でリアムは砂糖とハーブと果実で作られた飲み物に口をつけた。


「これで良い?」


「飲み干して。私も飲み干すから」


 据わった目で迫られて、リアムはそれを飲み干した。下の方に澱になった何かが舌の上を通り過ぎた瞬間、リアムはそれをとっさに床に吐き出し、外にいる護衛に向かって声を上げる。


「扉を壊して、この女を拘束しろ!! エミーリエ、何を入れた? 毒か?」


 どん、と何かが扉に当たる音がするが、重い木材で出来た扉は開かない。どうやら王宮の扉は想定以上に頑丈だったらしい。


「まさか。そんなことしたら死罪でしょ? 男女が熱い夜を過ごすために使う、気持ちのよくなるお薬だから大丈夫。私も飲んであげたでしょ」


「毒じゃなくても、王太子に薬を盛ったら、おなじ……それを分からず、やったのか?」


 そこで突然湧き上がった不快感にぎゅっとリアムは自身の胸元を掴んで眉間に皺を寄せた。

 毒物に慣らされてはいたが、今まで自分と関係を持って益になる事がなかったから、媚薬の類を盛られたことはなかった。

 この違和感は媚薬の影響なのだろうが、今まで耐性をつけていた毒物と身体の反応が違う。

 媚薬も毒の一種だが、未知だ。この後どんな効果が出るかわからなくてリアムは急に不安になった。


「もちろん。リアムと二人で子作りしたら仲直りができて元の鞘ってちゃんと分かってます。王族に全然子供がいないからテオだって許された。だからあなたの子供を孕んだら、あなたは私のことお嫁さんにしてくれるでしょ。そうしなかったら、腐朽の果実として貴方の子供は貴方と同じ目にあってしまうもの。リアムは優しいから、そんな残酷なこと、出来ないよね」


 エミーリエはふふふ、と虚ろな笑い声をあげた。

 薬の影響が出始めたのか上気し、瞳孔の開いた金色の蕩けた視線が、得も言えぬおぞましさを伴ってねっとりとリアムに絡みついた。





※次話、R15の範囲内ですが、性暴力を想起するシーンが入ります。その次の話か近況ノートであらすじを補足しますので、苦手な方は閲覧をお控えください。

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