愚かな壁の花は過去を振り返る(エミーリエ視点)

「なんであんな風に……ひどい、ひどいわ……」


 壁の花となったエミーリエは自身の掌に爪を食い込ませ、綺麗に紅を乗せた唇をきゅっと噛み締めた。

 リアムとの婚約破棄は寝耳に水だった。

 売り飛ばされた時よりもはるかに見目良く、堂々とした貴公子となって帰ってきた彼は自分との婚約破棄を父親に宣言させ、よりにもよってテオドールの婚約者のソフィアとファーストダンスを踊った。

 壇上であのように発表されたから、今日は誰もダンスに誘ってくれない。

 それならば自分から声をかけようと思ったけれども、テオドールは硬い顔でフィリーベルグ公爵になったシュミットメイヤーの男と話をしていて近寄れないし、テオドールの父親の回りも赤毛がうろついていてこちらに睨みを効かせてくる。

 よくよく観察すれば、自分の周りにもまるで見張りでもするかのようにその関係者と思しき赤毛の使用人がうろついている。

 メルシアの赤犬はキシュケーレシュタインの血を継ぐ自分がよほど目障りらしい。

 そうなると学校での知り合いにも、王宮での顔見知りにも彼らに邪魔されて声をかけることが出来ず、こうやって惨めに一人壁際に佇むしかない。

 邪魔するシュミットメイヤーとその原因を作ったリアムとヴォラシア公への恨みが募る。

 先程の話だと伯父のヴォラシア公爵と国王の間で話し合いが行われたはずなのに、ヴォラシア公の控室で何も聞かされなかった。

 伯父も母もこちらをゴミを漁る野良犬を見かけたような顔で見て徹底的に無視してきただけだ。

 母はテオドールからドレスが届いた時に忌々しげに舌を打って、実の娘に対するとは思えないような悪態をついてきたから、完全に無視された訳ではないが、今日何が起こるのかを教えてくれる人は誰もいなかった。

 自分勝手な怒りを胸に、エミーリエは優雅な笑みを浮かべてホールの中央で次々と相手を変えながら踊るリアムを見つめた。

 本当ならば不貞を働いて義務を放棄してソフィアと逃げたリアムを皆で責め、優しいテオドールがエミーリエをエスコートしてくれて、王位継承順が一位になった彼とその喜びを分かち合い、共に楽しい祝祭の一晩を過ごしていたはずなのに。

 エミーリエは会場の片隅でリアムとテオドールとの長年の関係を思い返した。

 思い返す時間だけはたくさんあったから。


 元々、エミーリエの母であるヴォラシア王国の王女は敵対的だった隣国との和平のためにキシュケーレシュタインに嫁いだ。

 だが、人質花嫁として奴隷のような扱いをされた母は、父と愛を深める事もなくその血を引いた子供達を愛する事もなかった。

 エミーリエの姉はメルシア王を弑そうとして逆に殺された。だが、血を分けた我が子の死すら清々したと言って憚らなかったらしい。

 出産して体調が安定すると同時にエミーリエを置いてヴォラシアへ戻ると告げ、せめて名前を決めるように諭されて、そう諭してきた侍女の名をそのままエミーリエの名前とした。

 メルシア王家は置き去りにされた敗者の娘にも寛大で、歳が同じという理由で当時存在を秘匿されていたリアムと共に育てられた。

 今思えば、リアムの存在を隠す為の隠れ蓑だったのだろうが、生まれた瞬間に打ち捨てられても殺されてもおかしくない亡国の王女がメルシア王宮で安全に飢えることなく健やかに育てられたのだから、破格の扱いだ。

 母国を滅ぼされ、家族を殺された恨みはなかった。

 メルシア王の庇護のもと綺麗な服を着て満足のいく食事を与えられ、満ち足りた生活を送っていた。

 だが成長してリアムの存在も公表され、貴族達と交流が始まるとそれは少しづつ崩れていった。

 元々仲が悪かった隣国キシュケーレシュタインの血を引いた娘相手に、大人も、その思考をより苛烈に引き継ぐ子供も意地が悪かった。

 黒犬の娘、亡国の雌犬と揶揄されて遠巻きにされ、友人もできず、常に共にいるのはリアムだけ。

 リアムは幼い頃からずっと優しかった。

 海竜の血を汚す落とし子、庶子、腐朽の果実、赤狼の淫婦の罪の証と陰口を叩かれて邪険にされても、それを大人に告げ口したりしなかった。もの悲しい顔で受け入れて耐えていた。

 そして、エミーリエに対して特に優しくあり続けた。

 だがそこには確実に、自分に対しての見下した同情があった。

 庶子と蔑まれていたとしても、この大陸における圧倒的な勝者であり最高権力者であるメルシアの王を父とする唯一の男児であり、国の中で最も強い集団の一族の血を引く子供の余裕。

 彼が自分に優しくするのは自分が上だと思っているから。

 婚約して君を護りたいと、その無自覚な優越感と共に告げられた庇護はエミーリエにとってひどく腹立たしいものだった。

 だが一方で、それは間違いなく離してはいけない命綱だと理解出来たから、結婚してもいいと言ってやった。

 昏い怒りで煮え立つエミーリエの内心なんて知らないで、プロポーズの承諾をバカみたいに喜んだ、お人好しで傲慢なリアムは、テオドールに婚約者として自分を紹介した。

 そこでエミーリエははじめての恋に落ちた。

 世の人が彼に惹かれる要因である、理想の王子を体現した美しさやはきはきとした物腰にではない。

 メルシア王家の王族、両親が揃う正嫡の子供、優れた能力。何一つ瑕疵のない全てを持った勝者だという矜持に満ちた傲慢な態度をとりながらも、決して埋めることの出来ない飢えと劣等感で妬けた瞳にどこか通じるものを覚えて、彼に惹かれた。

 お互いにリアムが嫌いだったからすぐに気が合って、心が通じ合い、順調にリアムを貶めることが出来た。

 自分ではうまく動かせない駒もテオドールは味方に引き込めたからだ。

 二人で協力して、回りの大人には気がつかれないように一つ一つは些細な棘をリアムに植え付け、彼の自信を失わせた。そうして萎れたリアムを踏み台に自分の立場を固めた。

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