残照

「その下品な減らず口、本当に公爵令嬢か怪しいほどだ。せっかく顔はいいんだ。女らしく従順になるよう躾直しが必要だな」


「何故、私があなたと結婚をする前提で話すのです? 私があなたみたいななんの取り柄もなさそうな雑草と結婚すると思って?」


「婚約者に不貞を働き、暴言を吐いて婚約を破棄されるスレッカラシ女が生意気な。感謝して受け入れろ。公爵令嬢としてしか価値がないお前みたいな傷物をもらってやるって言ってるんだぞ」


 男の怒鳴り声がして、そっと覗き込むとバルコニーでソフィアが夜会服の男に詰め寄られていた。

 慌ててライモンドを呼んで二人を引き離させる。


「大丈夫?」


 ソフィアは暴言を吐かれていたのに泰然自若としている。思えばテオドールと相対していた時もそうで、自分はあの時からすでに彼女に惹かれていたのかもしれないとリアムは己の気持ちを振り返った。


「あら、リアム」


「あっ……! リアム殿下。フィリーベルグ公爵令息も……! いえその、プライベートな話をしていて! も、もう終わりましたから!」


 慌てた顔で男はぺこぺこと頭を下げ、それでも忌々しげにソフィアを睨みつけてその場から逃げ出した。


「大丈夫?」


「もちろん。バルコニーで行き合うなり、婚約を申し込まれてお断りしたところ逆上されました。二度と声をかけてこないよう、失礼なあのクズに制裁を加えようか、揉め事は起こさない方がいいか悩んでいたのです。リアムが来てくれたおかげで助かりました?」


「なんでそこ、最後が疑問系かな」


「制裁を加えられなかったので」


 リアムはライモンドと顔を見合わせて苦笑した。


「やるつもりだったんじゃないか。祝い事で暴力沙汰は評判に響くぞ」


 教師らしくライモンドが嗜めると、ソフィアは馬鹿馬鹿しいとばかりに吐き捨てた。


「もういまさらです。先生だって聞いていたでしょう。婚約者に不貞を働いて暴言を吐いて婚約破棄される女というのが今の私の評判です。不貞の事実はありませんし、今日が終わればマシになるでしょうから気にはなりませんけど、ああいう雑草が周りに蔓延ってくるのが鬱陶しすぎます」


 ソフィアはバルコニーに体を預けた。


「久々に社交に参加して疲れましたわ。さっきの男といい、幼馴染といい、結婚結婚うるさくてうんざり」


「幼馴染とけっ、こん??」


「ダンスの時に言われました。政略結婚で他領に嫁がないのならばベルニカの慣習にしたがって、強い男に嫁いで、その種を孕めと」


「そんなの家畜の繁殖みたいな言い草じゃないか?! ソフィアは納得しているの?!」


「ベルニカは連合王国の壁、破られれば連合王国は一気に弱体化しますから、早く誰かと婚姻を結び、強い男と胎になる女を増やせと。我が両親もそうやって娶いましたし、そこまであからさまでなくても政略で結婚するのは常識でしょう? 納得せざる得ないわ。リアムだってさっきたくさんの女性に囲まれて入れ食いだったじゃない」


「入れ食いって! 僕はあの中の女の子の誰とも結婚するつもりはない!」


 恋心を自覚した直後にその相手に言われるにはどの言葉も鋭く重く、全てがリアムを抉る。

 囲まれた女性の誰かと結婚すると思われている事もきついが、なにより彼女が諦観と共にそれを受け入れようとしているのが辛い。


「誰かとは結婚するのでしょう?」


「……そうだね。でも、その時はちゃんとお互いに幸せになれる相手と結婚したい。政略結婚とか義務とか、血を繋ぐためとかそういうのでなく、リベルタで僕たちがそうやって過ごしたように、生涯を分かち合える人と笑い合える婚姻を結びたい」


 はっきりと君と結婚したいとは言えなかった。両親達との話し合いの時に彼女は自分との結婚を断った。

 嫌われていなくとも、彼女の悪評をばら撒いたテオドールの親戚で、友人止まりの自分との未来は考えられないのだろう。

 直接言って、はっきり断られて自覚したばかりの恋心を折られたら立ち直れない。


「……振り返ってみれば、あの時は楽しかったですわね。大変ではありましたけど」


 夜の八刻も過ぎたこの時間、夏の終わりの残照を背にしたソフィアの表情は影になって読めない。


「うん……そうだね。あの時間がずっと続けば良かったのに」


 感傷的だと分かっていても、そんなモラトリアムはありえないと理解していても、あの輝く常夏の島の生活に後ろ髪を引かれる思いが口をついて出てきてしまう。


「は? 何寝ぼけたことを言っていますの? リベルタにずっといたら、クズどもをギャフンと言わせられないでしょう」


「あー、うん、まあ……そうだね」


「……情緒! ベルグラード、お前は情緒を学べ。いいな。俺からのアドバイスだ!」


「そこがソフィアのいいところだよ。ライモンド。なんかホッとした」


 何もかも変わってしまって、振り回されっぱなしだけれどもこうして変わらないものや変わらない関係がある。その想いが無意識に口からまろびでた。


「僕は、ソフィアのそういうところが好きなんだ」


「え?」


「おっ…」


「あ……っ!」


 二人の反応で自分が何を言ったか自覚して、顔に血がのぼる。咄嗟に言い訳しそうになったリアムは踏みとどまった。


「その……あの……えぇと。ほんしん、だから。考えて、みてくれる?」


 ソフィアは戸惑ったように顔を両手で押さえて、何度も首を縦に振った。

 室内からの明かりがぼんやりと足元を照らすだけのこの暗がりでは、彼女の表情は窺えない。

 晩夏の残照の最後のひとひらはすでに消えて、新しい朝の為の準備の時間短い夜を迎えていた。

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