恋心は未だ揺籃を出ず(ソフィア視点)

 リアムと踊った後に父、兄と続けて踊ったソフィアは、両親に強く勧められて不本意ながら幼馴染とダンスを踊っていた。

 先程からちらちらと視界に入ってきていたリアムは、令嬢達に囲まれ甘やかな微笑みを浮かべて何事か話したり、自分以外の令嬢の手を取って優雅に踊ったりしていて楽しそうだ。

その様子が不愉快で、知らず顔を背けてしまった。


「おやおや姫さんは日頃見ないほどの膨れっ面だなっとっと、危ない危ない。その凶悪なヒールで踏むのは反則だゾ」


 幼馴染のやにさがった垂れ目が、訳知り顔なのが忌々しい。


「大人しく踏まれなさい。兄様」


「八つ当たりとはみっともないネ。そんなに嫉妬してわざと無視するぐらいなら、あの王子と婚約すれば良かったのに」


 確かにリアムとエミーリエの婚約を破棄する話が出た時に王と父に問われたのだ。リアムと婚約しないかと。だが、ソフィアは反射的にそれを断った。

 リアムに好感を抱いてはいる。だが、それはあくまでも友人、親友としてだ。

 それに、自分達二人には不貞を働いて駆け落ちしたと噂がたっている。その状況で親の勧めで彼と婚約するのは嫌だった。

 本人の意見は確認してはいないが、リアムも同じ考えだったのではと思う。断った自分に理解を示すように頷いてくれた。


「邪推するのはよしてください。嫉妬なんかしてません。ただ女性に囲まれてヘラヘラだらしない顔をしているのが、情けなくて親友として見ていられないだけです」


 そう言い訳しながら、こちらをからかってくる青年の足をなんとか踏もうとするがなかなか上手くいかない。

 いらいらと一歩踏み込んで、確実に彼の足の甲に鉄槌を下せると思った瞬間、胴を掴まれ、易々と持ち上げられてクルクルと回転させられる。


「何するんですか?!」


 反発もなんのその、ソフィアを下ろした青年はまるで聞き分けのない子供をからかうようにソフィアを煽った。


「王サンと閣下の温情の、王子サンとの結婚のチャンスを棒に振るなんて姫サンもおバカちゃんだよネ。あの王子、どんな良物件でも裸足で逃げ出す庶子問題が消えたんだ。ここから爆モテだよ。ああいう誠実そうな母性本能くすぐるタイプは強いヨ。自分からアクションしなくてもよりどりみどりの入れ食い間違いなし」


「リアムはそんな事しませんわ。貴方とは違います」


 きっぱりと否定するのはリアムが本当に誠実な人間だと知っているから。それでも胸に不安の影が差すのは、目の前のこの幼馴染が騎士団でも名うての遊び人で色事に詳しく、男女間の機微に通じているからだ。


「人畜無害って顔してたってオスだろ? 断りきれなくて〜とかいいながら食いまくりヨ。あとさ、分かってる? 姫さん。アンタとオレが今公爵と夫人の指名で踊ってる意味」


 ベルニカにいた頃から気の置けない兄同然の男だから歯に衣を着せない。不安をさらに煽るように彼はソフィアに尋ねた。


「意味? 幼馴染で親戚のお兄様だからでしょう」


 オリヴェル・ベルゲン侯爵令息。彼の実家はベルグラード公爵家の分家の一つで、彼自身も性格の癖こそ強いが優秀な騎士である。


「ベルニカの習いを忘れちゃった? 生温い都会暮らしで脳みそまですっかり春めいてるネ。ダイジョーブ? 優秀な若者を養子に迎え次代の教育を施し、現王の実子が女の場合は、その伴侶と競わせ次代の王を決める。王は公爵になっちゃったわけですが、そのしきたりは変わらない。メルシアの王族との結婚が出来ないなら、娘にはしきたり通り次代に繋がる強い男の種を仕込んでもらわないと、って事ヨ。オレもあんたの兄貴と同じぐらい優秀なのに養子にされてないの、どうしてだと思う?」


「性格が吐瀉物だからでしょう?」


「おっと手厳しい。お前の婿候補に取っておかれたんだヨ。お前と結婚して義兄と戦う王位の当て馬役。ま、負ける気はないんですけど」


「は?! 聞いてませんわ!! 嫌です!」


 物心ついた頃から彼が学園に通い始めるまで行動を共にしていたからこの男の性格も行動も知り尽くしている。

 確かに腕も立つし面倒見も良い。そしてそれ以上に頭の回転が早くて気の利く男だ。だが、性格のアクが強すぎてげんなりする。それと遊び方こそ綺麗だが、女遊びも派手だ。

 幼馴染として嫌いにはなれないが、伴侶とするならテオドールよりはましといったレベルの男である。

 はっきりと答えると、青年は朗らかな笑い声をあげながら難しいステップを踏んで、こちらを振り回してきた。


「嫌よ嫌よも好きのうちってネ」


「嫌にそれ以上の意味はありませんわ!」


「お互いの裸だって見せ合ってるのにつれないなぁ。もうそこまで進んでるんだから、あとはヤるだけじゃない? この後どう? 休息室の場所は調べてある」


「裸って! 五歳の時に池に二人で落ちた時の話でしょう。どこに耳目があるか分からないのに変な事を言わないでください」


「耳目! いやはや、ホントにお上品になったもんだねぇ。あの王子さんの影響?」


「わたくし、何も変わっていませんけど」


そう返事をするとオリヴェルは苦笑した。まるで自分が分からず屋の子供だと言っているようで腹が立つ。


「まあさ、このままいけばあんたはオレかオレじゃなくてもお前の両親の眼鏡に適った男と、好悪関係なく番わないといけないってわけサ。本当にそれで良いの? 自分の心に問い直してご覧」


 そう珍しく真面目な顔で言われて返事ができない。

 自分はテオドールとの婚約が決まる前からベルニカを護る一員としてそうあるべきと教育され、親の決めた男と結婚するのが当然だと思ってきたはずだ。

 だからリアムとの婚約を断った時、自分も彼も政略的にもっと熟考し検討して、最高の条件の相手と結婚し、親友として交流しながらメルシア連合王国の発展に尽力するのがあるべき姿だと思っていた。

 だが、それを考えるたびにつきんと走るこの胸の痛みはなんだろう。

 俯いた瞬間、タイミングよく音楽が止まり、オリヴェルの手が離れた。

 ぽんぽんと小さい時のように頭を撫でられてついぞ聞かないような優しい声で話しかけられる。


「まだ時間は残されているヨ。ネンネのソフィアちゃん。でもたくさんはないから早く本当の気持ちを見つけるようにネ。ホントこのまま行くとオレと結婚させられちゃうからね」


「……少し疲れましたので、バルコニーで休んできますとお父様に伝えておいてください」


「りょーかい。気をつけてネ」


 ドレスの裾を翻してバルコニーに向かったソフィアは知らない。

 自分の背中をオリヴェルが切なげな視線で追っていた事も、兄に肩を叩かれて慰められていたことも。

 少女は人の恋にも自分の恋にも無頓着で無自覚だったから。

 

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