恋の自覚

「いいんですか。放っておいて」


「今日の我々は主役だからね。あのまま引きこもって社交に顔を出さないというのは具合が悪い。ちゃんと貴族達の間を回って、足場を強固にしないと。面倒事は先に済ませたかったが、どれぐらい時間がかかるか分からないしね」


 先日彼に習った事を思い出して表情だけはにこやかに、今日の夜会の感想でも雑談しているかのように、小声で他の人間に聞こえないように訊ねるとアレックス———エリアスと言うべきだろうかは———やはり同じような顔を作って返事をしてきた。

 それはあまりにもそつがなく完璧で、自らの未熟さを思い知らされる。


「そろそろ来るかな……」


 エリアスがそう言って幾許も経たないうちにフッカーライ伯爵とガイヤール元総督がエリアスの膝に縋り付かんばかりに擦り寄り、左右それぞれの靴に口付ける勢いで深く頭を下げて最上級の礼を取った。


「え…エリアス殿下! お帰りをお待ちしておりました!! 私殿下のご意志の通り出来ていましたか?!」


「蜜月を過ごした南溟の島で貴方と分たれてから、会えない時を永劫に感じておりました……! 最速で引き継ぎを終わらせました! リベルタの様子の報告書見ていただけましたか?! 万事つつがなく回るように手配してまいりましたよ! あと私信も預かっておりますので後で二人きりで時間を取っていただいて……!」


 正直二人のその勢いに引いた。

 そういえば前にケインはガイヤールの事を癖があると言っていたし、エリアスはフッカーライとガイヤールは同じ人種と評していたが、なるほどこういう事かと思い至る。


「来るというのはこれですか? 確かに煩わしそうですけど」


「いや、これじゃない。むしろ今、防波堤になってくれているようだが、きっと偶然だな」


 そんなエリアスの冷めた声にも気づかず、二人は小声で口論を始めた。


「おまえ何を言ってる? 毒蛇の分際で殿下と二人きりになろうなどと烏滸がましい」


「私と殿下は今や特別なんですー。なんせリベルタでの開発や商売の手伝いしてましたし! 出身国が同じだけの汚豚のくせに仕切屋ぶって鬱陶しいんですよ」


「こっちは殿下が三歳の時のはじめてのご挨拶の時からの応援しているんだ! お前のような売国ニワカがデカい顔してのさばるのは許されない!」


「あー、久しぶりに聞きました。推してる年月だけで特に課金も努力もせず古参ぶる老害の歳月マウント」


「その口を閉じろ。それ以上声を高くしたら二人揃ってつまみ出す」


 周囲に紛れる声で口論を続けていた二人がヒートアップしそうな瞬間にエリアスがそれを止めた。


「ひゃい……ごめんなひゃい」


「申し訳ありません……」


「「とはいえ、命令口調の貴方様も素敵です」」


 口々に謝罪した後、まるで揃えたかのように息のあった二人にゲンナリと息を吐いたエリアスは、リアムからすると虚無としか言えないような声音で二人をそれぞれ労わった。


「ヨハネス、完璧だった。これからもリアムを政治的に支えてくれ。ヴァンサンもリベルタの引継報告書、素晴らしかった。私が彼の地を引き続き治めることになったから助けて欲しい」


「光栄です……!」


 感無量といった総督の横で、フッカーライはリアムにも愛想よく微笑んだ。人とは変わるものである。


「もちろんです! リアム殿下を支えるといえば、リアム殿下にうちの孫娘を紹介したく……」


「え?」


 フッカーライの言葉にリアムが瞬きすると、エリアスがリアムにだけ聞こえる声で耳打ちしてくる。


「煩わしい問題があると言っただろ。全てそつなく捌け。本命がいるなら特にな。婚約者のいないお前は今、誰の手もついていない美味しい餌だ。うまく流せないといつの間にか望まない結婚が定まって、なんなら妾まで持たされている」


 外に見せる笑顔だけは保ったが、口の横が痙攣するのが分かった。

 実は今回の夜会の打ち合わせの際に、どこで婚約破棄を発表するのかという話が出た。

 リアムはリベルタから帰ってきた事を隠していたからエミーリエとの婚約を解消していなかった。

 そうなってくると夜会のパートナー問題が持ち上がってくる。

 連合王国の社交界では、ソフィアのようにパートナーのお互いが婚約破棄を前提に動いているという事実がある場合を除いて、婚約者や家族以外の人間と最初のダンスを踊ること婚約者と踊らない事は強く批判される行為だ。

 この夜会の後に婚約破棄を発表すれば妃を紹介される事もなかったのだろうが、リアムはどうしてもエミーリエとだけはダンスを踊りたくなかった。

 だが、エミーリエも参加している以上は彼女と踊るしかない。婚約者と踊らないわけにはいかないからだ。

 だからファーストダンスの前の段階での破棄を望んだのだが、こんな問題が起こるとは予想していなかった。


「紹介とはどういう意味合いでしょう? 伯爵」


「もちろん、妃がねとしてです。殿下。我が家は現在伯爵ではありますが、元々はメルシア旧王国建国より続く元侯爵家で、今まで何度か王家の方と縁を結ばせていただいております。連合王国となりましたがメルシアの王族は旧王国の貴族と縁を結ぶべきだと思うのです。王太子殿下にも心許せる味方は必要でしょう?」


「気持ちはありがたいですが、自分の境遇が激変した事もあって、今はまだ新たな婚約者について考える気持ちにはなれなくて。両親とも話し合ってゆっくり検討したいと思っているので、お断りさせてください」


「そうですか。ですが確かにこの場で決めるわけにはいかない問題ですね。今ここに呼んで参りますので、ダンスだけでもご一緒していただけませんか? 殿下よりも年が上ですが、明るく社交的で流行に明るく、社交界の女性達をまとめ上げるのにふさわしい器量を持った娘ですよ」


「ダンスだけなら……」


 断りきれずにリアムがフッカーライの孫とのダンスを受けた瞬間、回りで様子を伺っていた貴族たちが、リアムとエリアス、それにレジーナを取り囲んだ。


「殿下、ぜひ私ともダンスを……!」


「リベルタ大公、私をぜひ貴方様の後添えに」


「レジーナ殿下、先ほどのダンスはまるで妖精の様でした。ぜひ二番目のダンスを私と……」


「私は亡き妻以外と婚姻を結ぶつもりはない。王にもそう伝えているから大公位は一代のみとなっている。ご婦人からの申し出を断るのは心苦しいが、私の心の中には大切に想う人がすでに住んでいて余地はないんだ」


 エリアスは自分に群がる人間をはっきりと断りながら、レジーナのダンス相手も断っていく。

 だがさすがにリアムのところに来る令嬢や親達までは手が回りきらず、自分で対処せざる得なかった。


「ああ、ちょうどいいところに来た。フィリーベルグ公爵令息、レジーナと踊ってやってくれ」


「かしこまりました」


「リアムもいいタイミングだ。そろそろ断れなかった令嬢達とダンスして離脱しよう。学生達の方にも顔を出すんだろう?」


 そこからはダンスの連続だ。距離を縮めようとしてくる女性から失礼にならない程度に距離を取ってダンスを捌いていく。

 それはまさに捌くという言葉通りの代物で、疲労だけが溜まっていった。

 踊りながら、どうしても練習の時のソフィアとのダンスと比べてしまう。

 踊れるようになってからは、彼女とのダンスはとても楽しくて、いつまでも踊っていたいと思っていたのに。

 ふっと印象的な軍装ドレスと銀の髪が目の端に入って、そちらに視線を流す。

 せめて彼女と視線だけでも交わせたらと期待したのに、やはり知らない男と踊る彼女は明確に自分から目を逸らす。

 その瞬間に感じた胸の痛みに、リアムは親友と誤魔化しようがないほど、彼女の事を好きになっていると自覚した。

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