王子と令嬢は王宮の華に返り咲く
名前が呼ばれた瞬間、会場が騒めいた。
彼がミドルネームを与えられていたからだ。
ミドルネームは王族もしくは高い地位にある聖職者にのみ、フォルトル教の神殿から与えられる特別なもので、教義に従って庶子には与えられない。
理屈の上ではベアトリクスが王妃になったのだから、彼にミドルネームが与えられるのは当然なのだが、出生時に庶子であった場合それを認めないことがほとんどだ。
それが認められたという事は、聖職者と何らかの繋がりがある、神学的な観点でその正当性を認められた、などの特別な理由があるのだ。
そんな下世話な騒めきも、リアムが入ってきた瞬間に静寂へと置き換わった。
皆の記憶の中の彼は茶色の瞳、茶色の髪、宰相と同じ地味な色味の、影の薄い怯えた少年だ。
だが、今やその面影は見受けられなかった。
エリアスのような美貌の主ではない。
ヴィルヘルムのように威厳があるわけでもない。
もちろん目の色も髪の色も同じだが、成長した彼から、皆、目が離せなかった。
父親ほどではないがエリアスよりも高い、すらりとした長身は若木を思わせる瑞々しさがあり、優しげな中に知性を秘めた瞳は煌めいていて、自信に満ちた所作は美しく典雅で一分の隙もない。
国王ヴィルヘルムや王兄エリアスと同じ仕立ての紺と白の軍装を身に纏い、その肩に王の物よりは短いが踝丈の白貂の縁のついたマントを掛けて、立ち姿には凛とした気品がある。
なにより、今までは色味や目元に引っ張られて誰も気が付かなかったが、ヴィルヘルムと服装と髪型を揃えたリアムは親子と分かる程度には彼に似ていた。
そして、むしろ山の民と呼ばれる王族と明らかに特徴の違う母ベアトリクスと似ている所がないという事実に気がついた者も多い。
ゆっくりと壇上に上がったリアムは壇の中央、エリアスとヴィルヘルムの間に立って優雅に微笑む。
青年には不思議と二人の間に立ってもかき消されない独特の存在感があった。
そしてメルシア王国の旧臣達はそんな存在を一人知っていた。
エリアスの亡き妻であり、宰相レオンハルト・プレトリウスの妹オディリア。
美貌の王子と婚姻するのにそぐわない。幼馴染だから結婚できたと嫉妬混じりの非難をされながらも、婚姻後すぐに溢れる知性と慈悲の心を持った有能な王子妃として頭角を表してエリアスを良く支えた。
エリアスが賊に襲われて亡くなったとされた後、混乱する王家を妊婦でありながら義弟のヴィルヘルムや兄レオンハルトと共に献身的に支えた末に子供を死産し、自身も産褥から病を得て亡くなったが、彼女は全てのメルシアの民に愛されていた王子妃だった。
ある者は彼女とヴィルヘルムの間に何かあったのだろうと理解し、またある者はケインが生きていたように死産されたエリアスの息子なのではないかと解釈した。
だが、公式にはリアムはヴィルヘルムとベアトリクスの間の正当な嫡子とされたから、それを問いただす、空気を読まない家臣はいなかった。
旧王国からの譜代の家臣にとってはトレヴィラス王家の血を正しく継いでいるという事が最重要なのである。
山の民の血を引いていないのならば、それに越した事はないと考える者もいた。
胸に手を当てて軽く礼を取ったリアムに温かい拍手が起きると青年ははにかんだ表情を見せる。
完璧だった王子としての顔にそれが浮かんだ事によって、親しみやすさを帯びてその場にいる貴族達にさらに好意的な空気が広がった。
「王位継承権一位となるリアム・オディール・トレヴィラス。私とベアトリクスの間に産まれた嫡子だ。非常に優秀で、すでに業務をいくつか任せている。今回の夜会の手配も彼がほとんど済ませた」
「夜会の手配はエリアス伯父上のご指導の賜物です。実務を取った私はいまだに若輩の身故、至らぬ事もあると思いますが、伯父上の帰還した喜ばしい今日の宴を楽しんでいってください」
王子にしては丁寧な言葉遣いだったが、遜っているわけではなく、まるで先程王が話した高い地位は責務であると体現しているかのようだった。聞き心地のいい誠実な声も皆に好感を与える。
「さて、継承権第二位はエリアス・マンフレート・トレヴィラス。第三位、コンラート・エンゲルベルト・トレヴィラス。レジーナ・エリザベート・トレヴィラスは国際情勢を鑑みて継承権を放棄している。四位以下についてはここでは割愛する」
今まで静かだった会場がどよめき、貴族達の視線が、慣例ならば継承権がコンラートよりも上位に来るはずのテオドールと、壇上の王と王太子の上を忙しなく行き来した。
「じ、次代の国王陛下となられるリアム王太子殿下に臣下としてお祝い申し上げます! リアム王太子殿下万歳!」
だが、その疑問で会場が乱れる前に一人の小太りの男が声を裏返しながらリアムへの寿ぎを叫んだ。
それに倣うかのように、会場の後ろ、制服の一群から若々しい祝いの声が飛んで来て、合わせて拍手が広がった。
「「「王太子殿下にお祝い申し上げます!」」」
数は、そして、若さは力だ。会場内のかなりの人数である制服姿の学生達によって作り出された祝いの空気は会場中に伝播し会場を祝いの色に染め上げる。
それに満足そうに頷いた王が付け加えるように言った。
「最後になるが、我が息子リアムと、ヴォラシア公の姪であるエミーリエ・メッサーシュミットの婚約をヴォラシア公の承認の元、エミーリエの不貞による有責で破棄し白紙に戻す。婚約者不在のため、本日のファーストダンスはリアムとベルニカ公爵令嬢ソフィアとする。リアムは鉱山で使われる新技術を自分の目で確かめるため、また、ソフィアはベルニカでの紡績技術の向上のためにフィリーベルグ公爵令息と共に我が命に従いリベルタ大陸への視察に赴き、そこで兄と邂逅してメルシア連合王国本国への復帰を説得して連れ帰った功労者である。その褒章として王と王妃の権利である本日のファーストダンスを譲る。連合王国の若き未来達を暖かく見守ってほしい。リアムからも申し伝えたが、今宵の宴は兄の帰還を祝う物だ。様々な思惑で水を差さず、今はただ楽しんで欲しい」
王の言葉を合図に壇上から降りたリアムが元婚約者のエミーリエの前を一瞥もせずに横切ってソフィアの前で恭しく跪いた。
「ベルニカ公爵令嬢、私にファーストダンスの栄誉をお与えください」
「喜んで」
冷たいと言われ続けていた美貌を柔らかく微笑ませた少女は、グローブに覆われた手を嫋やかに差し出した。
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