嫌な予感(テオドール視点)

 パーティー開始時間の十分前にテオドールは貴族達の拍手と共に五公の為の入口から会場に入った。

 五公のうちインテリオ公爵、ルブガンド公爵、ヴォラシア公爵はすでに入場して何事か歓談しているが、ベルニカ公爵はまだ入場していない。

 エミーリエは先程父が侍女に持たせた薄水色のドレスとアクセサリーを身につけて、ヴォラシア公爵の家族の隅、身の置き所がなさそうに佇んでいる。

 彼女は入って来た時に指先でバレない程度にこちらに手を振ってきたがテオドールはあえてそれに気がつかない振りをした。

 会場を伺い見たテオドールは大広間の一番後ろに見慣れた学生服の集団が整然と並んでいるのを見つけた。

 厳密に言えば見慣れた学生服ではない。ローブと下履きは学生服だが、シャツは普段の簡素なものと違って遠目から見ても作りの良いレースをあしらったクラバット付きで、中には普段着ていないウエストコートを着ている。

 メルシア王家のシンボルカラーに合わせて男子生徒は紺青、女子生徒は白のものだ。

 一人ならば会場のドレスとアビの集団に負けて見窄らしい様を晒す事になっただろうが、二百人程が同じ服を着ているとなると大変見栄えが良い。

 そしてそれは、ダスティ子爵令息がテオドールに提案していた物で、彼がそれを秘密裏に用意していたのだと窺えた。

 

「あいつ……」


 用意しているのならばそう言えばいいのにリアムの子飼いは底意地が悪い。

 自分の失敗を見越していたと推測されるバックアップは胸糞が悪いが、彼の機転に助けられたのは事実だ。後で礼を述べないといけない、と、父との会話を思い出して殊勝に考えていると、扉が開いてベルニカ公爵が入場してきた。

 常ならば先程テオドール達が受けたような拍手が貴族から上がるのだが、旧ベルニカ王国出身者以外から忍び笑いと共にパラパラとした拍手があがる。

 彼らは田舎貴族らしい空気の読めなさで、華やかな夜会服ではなく軍装をアレンジした礼装を身に纏ってきたのだ。

 確かに伶俐で苛烈な雰囲気のベルニカ公爵には似合っていたが、夜会服としては血生臭くあまりにも異彩を放っていた。

 黒の詰襟をベースに銀色と紅色の三色で構成された衣装は旧ベルニカ王国の国旗をモチーフにした公爵家の色だ。

 銀ボタンのダブルの詰襟の短いジャケットには裾と袖口と襟元に紅色の細いパイピングがなされ、さらにカラー全体と腕の1/4を銀コードで精緻な刺繍を入り、同じ色の飾緒が胸元から右の肩章までを彩る。

 ズボンもサイドに紅の差し色の太いラインを入れた同じく黒のトラウザーズを合わせ、胸元には旭日を模した台座に大きなルビーをあしらった宝飾つけて、襟付きのマントを紅の裏地を折り返して羽織っている。

 さらに公爵夫人もそれを女性用にアレンジした紅と黒の軍装ドレスを着用していた。

 それに続いて公爵と同じ正装のベルニカ公爵令息と彼にエスコートされ、やはり詰襟の軍装をアレンジしたドレスを身に纏った少女が入って来た。

 テオドールは彼女を見て、己の目を疑った。

 威圧感と共に鋭い眼光でこちらを一瞬刺した後に、こちらをいないものとした態度で自分の前を歩いて行ったのはベルニカ公爵令嬢のソフィアだった。

 冷や汗が背中を滴り落ちたが、幸い彼女がこちらに詰め寄って修羅場になる事もなく、しばしの静寂を挟んで高かに厳かにファンファーレが響き渡り、典礼大臣が会場全てに響き渡る朗々とした声で告げた。


「国王陛下、王妃殿下のご入来です」


 原則、直系の王族と配偶者のみが使える入り口から入って来た王は普段であれば万雷の拍手と共に迎えられるが、それに変わって会場を満たしたのはどよめきだった。

 まずは王の服装がベルニカ公爵と示し合わせたかのような今日のために特別誂えたらしい軍正装——こちらは身頃が白でサイドと両腕が鮮やかな紺青のメルシア王国の国旗の色に金モールの刺繍を身頃と袖口に入れた肋骨服で、そこに金の飾緒と肩章を付けて白貂の毛皮で縁取りされた紺の天鵞絨のマントを羽織った姿だ——であったこと。

また、王妃と紹介された女性が、それと対になる白貂で裏打ちされた紺の天鵞絨製の長いトレーンのついた、白絹の正装を身に纏ってきたこと、そして王妃のみが使えるティアラを頭上に載せていること。

 もちろん王妃と呼ばわれたのだから当然の礼装なのだが、会場のどよめきの主な理由は当然そこではなかった。

 典礼に則って王に一歩遅れて入場し、国王ヴィルヘルムの恭しいエスコートの手を取った彼女は皆に妾として蔑まれてきたベアトリクスその人だったからだ。

 フォルトル教の教義では離婚は禁止されている。

 王族に限っては妾妃を持つ事を許されているが、それは公式には黙認であり、別の人間と結婚するためには王妃が死亡するか、神殿により結婚の無効が宣言されなくてはならない。

 だからヴィルヘルムの妻、メルシア連合王国の王妃は約十年前に駆け落ちしてこの国を去った王妃イリーナだけのはずで、どれも妾の彼女に許される権利ではなく、現に今までは一度たりとも王は彼女を公式行事に伴った事もなかった。

 その戸惑いの声はひとつひとつは密やかに、しかし会場を満たし溢れ出た。


「ベアトリクス妃は妾だろ? 王妃? どういう事だ?」


「イリーナ妃殿下はどうなったんだ?」


「赤狼団の平民女が王妃?!」


「今までも実質そうだっただろう」


 そのざわめきを背景に聞きながら、テオドールは血の気が下がるのを自覚した。


「父上、ご存知でしたか?」


 横に並ぶ父にそう耳打ちすると首を振る。王の叔父である父にとっても寝耳に水のようだ。

 無自覚に歯噛みして奥歯が軋るのを感じ、テオドールは下がりそうになる頭を必死に上げた。

 彼女が王妃になるということは、王の庶子と蔑まれたリアムの地位がどうなるのか、それが分からないほどテオドールは愚かではなかった。

 そしてそれはソフィアの帰還と相まって、嫌な予感としてテオドールの体を震わせ俯かせる力となったのだ。

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