黒歴史(アレックス視点)

 少年達が帰ってすぐのタイミングで女が三人分の紅茶と茶菓子を持って入ってきた。当然彼らに出すための物ではない。

 仮面を投げ捨てテーブルに足を置きっぱなしにしているアレックスに、アイスブルーの瞳の美女は色っぽい目元を細めて足を下ろすように手で合図する。


「おつかれさま。あのウィステリアが、ずいぶんと甘くなったものね。ああいう自信たっぷりの世間知らずを蕩して惑わせて、その気にさせて骨の髄までしゃぶり尽くして棄てるのが貴方の特技だったじゃない? なんで煽って怒らせてわざわざ本当のコトまで教えてあげて、せっかくの美味しい獲物を逃したの?」


 ずいぶんとお優しい対応で吃驚したわ、と揶揄する女にアレックスは顔を顰めた。

 自分の事をウィステリアと呼ぶピオニーは男娼時代の先輩娼婦で、ただ境遇を呪って客に身体を投げ出すだけだったエリアスに娼婦の手管と前向きさを教えてくれた恩人であり、今はアレックスに雇われた娼館ミルヒシュトラーゼの主人だ。


「勝手に転がり落ちる奴にそんな労力は使わないさ。金が目的なわけでもない」


 足を机から下ろすとハーヴィーがさっと机の上を拭いてくれ、ピオニーが流れるような所作で紅茶を目の前に置いてくれ、ミルクを足してくれる。

 アレックスの底の時期を知る彼女は、数少ない悪い部分の理解者の一人だ。

 好みの味に調整されたミルクティーを一口飲んで眉間の皺を揉みほぐす。


「なんというか、かつての自分の内面を曝け出されているようで見ていられなかった。私はもう少し粉飾する術を知っていたから側から見る分には違ったろうが、あの年の頃は王子の域を出て国政を恣にして、みなにチヤホヤされて悦にいって、かといってちゃんと王位につかず責は父に投げっぱなしの、それはそれは鼻持ちならない小倅だった。調子に乗っていたところをノーザンバラに易々と嵌められて、あとはお前達も知っているように、崖の下へと一直線というわけさ」


 アレックスは菓子を口に運んだ。

 なにを思ってピオニーが出してきたのかは知らないが、それは不自由な性奴生活の中で小さな慰めになっていた甘い糖蜜菓子だ。


「私は自業自得だが、叔父上はそれに巻き込まれて妻子を亡くした。彼等も仲の良い家族だったんだ。亡くした直後に妻を娶り子を成すのも辛かったろうに、王家の存続のために叔父上はおそらくそれをなしたのだと思う。そうして産まれて慈しまれている小さな従兄弟を積極的に陥れるのに、どうしても躊躇してしまうのが人の情だと思わないか?」


 粘度の高い糖蜜の菓子を食べにくそうにギザ歯で噛み砕いたハーヴィーが首を傾げた。


「アレックスさんはリアム君の味方ってわけじゃないんですか?」


「もちろん味方だよ。だからこそこうやって骨を折っている。だがリアムの味方だからといってテオドールの完全な敵というわけでもない。数少ない血縁なわけだし、立ち直れる範囲で転んでもらって反省して、リアムの助けになって欲しいとは思っているんだ」


「さっき優しいって言ったのは取り消すわ。あいかわらず残酷よ。貴方は。綺麗に取り繕わず、彼の事なんて心底どうでも良いけど、顔も似てるし親戚だから自分の手を汚すのは良心が痛むってちゃんと言いなさい」


 はは、とわざとらしく笑い声を上げてアレックスはピオニーの追及を誤魔化した。


「当事者同士で決着をつける話だとは思っているからね。あんまり大人がしゃしゃり出るものでもない。まあ、プライドを捨てて私に謝ってくるか、ヴィルヘルムや叔父上に泣きつくのが一番丸いとは思っているが、ああいう状態の子供のところには悪い大人が群がってくるからね……。あの子が最悪の選択をしないように祈るだけだよ」


 今のところは難しいだろうが、と、冷淡に予測してアレックスは口の中で粘つく糖蜜を紅茶で洗い流した。

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