ドッペルゲンガー(テオドール視点)
首都ノイメルシュで最高級と言われている娼館、ミルヒシュトラーセにテオドール達学生会の役員は招かれた。
ここは格式が高く、厳格で、本来ならば未成年は足を踏み入れる事もできない。娼館自体ははじめてではないがオクシデンス商会の商会長が自分達のためにルールを曲げて特別に自分達を招いたという事に高揚と満足感を覚える。
「どうもはじめまして。高貴なボウヤ達」
むせかえるような甘い花と白粉の香りに包まれた目の下の泣き黒子が艶かしい、硬質な色の金髪とアイスブルーの瞳の年増の女が彼らを迎え入れ、奥の部屋へと誘った。
淫靡な雰囲気の客室の並ぶ廊下をそういうもてなしを期待しながら進むと、バックヤードまで歩かされて客室とは明らかに違う殺風景な扉の部屋の前で女がドアをノックする。
「ウィス、お坊ちゃん達がいらっしゃったわよ」
「どうぞ」
扉を開けたテオドール達はがっかりした。そこはごく普通の書斎と応接のある事務室だったからだ。
応接コーナーに通されて腰掛けると、デスクで書き物をしていた男が立ち上がって口元に微笑を浮かべ芝居かかった所作で礼をとった。
「はじめまして。ご連絡いただきありがとうございます。私はここのオーナーでオクシデンス商会商会長のアレックス・オクシデンブルグと申します」
自分が口を動かす事もない。顎をほんの少し下げてテオドールは応接の一番上座に足を組んで座ると、テオドールの意思を汲んだ会計の少年がアレックスに向かって尊大に言った。
「知っていると思うが、私は王立学園学生会会計のルドルフ・フェアフェルデ伯爵令息。こちらは会長でキュステ公爵令息のテオドール・トレヴィラス殿下。そしてもうお一人は学生会副会長のカールマン・ロスカスタニエ侯爵令息。ところでなんだ、その仮面は? 失礼じゃないか?」
「お赦しください。手前共は私掠船団を事業の礎としておりまして。海賊相手の戦闘で酷い傷を負い、仮面なしでは見られぬ顔になってしまったのです」
どうしても、というなら外しますが、と続けられてテオドールは首を振った。
醜い傷痕など見たくもないし、理由がわかれば仮面を赦してやる鷹揚さは持っている。
「結構だ。テオドール殿下のご厚情に感謝しろ」
「感謝します。殿下」
慇懃な所作で深く礼をとる男に強烈な既視感を覚えたが、どこで見たのかまったく記憶にない。
「さて、ルブガンド公爵閣下からの手紙を拝見しましたが、私共に何かご依頼いただける事があるとか?」
「我が校の生徒達が夜会で着る礼服を発注したい」
「具体的な枚数はいかほどですか?」
「男女別の礼装をそれぞれ最大で一〇〇程度。二ヶ月後の王宮の夜会までに。王宮の格式を汚さない程度の質は担保してほしい」
「予算はいかほどですか?」
そう言われてテオドール達は顔を見合わせた。普段作っている礼服にかけられている費用など知らない。
「逆に聞くが、いくらかかるんだ?」
「デザインを全て同じにし、布は在庫でという条件であれば一着一万ターラ程度でお作りする事ができますが」
「一万? 普通の礼服ならば納得はいくが、その条件でか?」
小金貨一枚。キュステ公爵領は豊かで交易の要所でもあるから、テオドールから見ればたいした金額ではないが、二人は渋い表情をしている。
それを実際に支払う生徒達から高いと文句が出る予想をしているのだろう。小金貨1枚あれば貴族一人が品位を保持しながらなんとか一ヶ月生活できる金額だから、生活が厳しい家だとおいそれとは出せない。
パチン、とアレックスが指を鳴らした。すると奥から何枚かの布地の端切を持ってきた褐色の肌の男が入ってきた。
「商会長、お持ちしました」
「今使える素材ですと、こちらの三種類がメインになり、足りない物は同じ厚さの素材で統一します。また、レースやリボンなどを使うのは間に合いません。ですが、例えば白のシャツとウエストコートだけならばもう少しマシな布で間に合わせる事が出来ます。費用も1セット3000ターラあればなんとかなるでしょう」
目の前に並べられた布は質こそ良いものの野暮ったく、魅力を感じない。
アレックスの提案に心が動きかけたテオドールだが、続いた言葉に眦を釣り上げた。
「学生服と合わせれば、十分に見た目を担保できます。学校の制服は王が制定された物ですから、王宮に着て行っても問題がないかと思われますが」
「あれは作業着だ。そんな格好で王や父上、長年国を支えているお歴々の目を汚すわけにはいかない」
姓を名乗ったから目の前の男は貴族ではあるのだろう。だが、伯爵以上でオクシデンブルグという姓を名乗る貴族はいないから子爵以下の低位貴族であるのは間違いない。
だからあの書記と同じで、高位貴族の見栄の渦巻く夜会に制服で参加する事の惨めさを理解していない。
「まあ、貴方がそう思うならそうなんでしょうね」
男はそう言いながらソファーに凭れて長い足を交差させると、ほっそりとした指を胸の前で組んだ。
そして明らかな嘲笑を浮かべると口調を崩す。
「ただ、商人達の状況もご理解いただきたいんですよ。こちらとしてはね。今、まともな工房はどこもその夜会で着る礼服の発注で大忙しだ。うちも何着かご依頼いただいている。そこに200、新規でねじ込むならば縫製料は跳ね上がるし、まともな布を用意する事も難しい。うちはリベルタに綿花農場を持ち、大規模な工場で布を織っている。その在庫を持っているからこそ条件付きだが間に合うと言っている。で、どうする? 無理な仕事だが受けてやると言っているんだ。選ぶのはそちらだ」
ならず者のような傲岸な態度に逆上したのは、自分ではなく横にいたカールマンだった。
「下郎の分際で生意気だぞ! そもそもこんなところに呼んでもてなしもせずに失礼じゃないか?!」
「色ボケのクソガキがよく吠えるなぁ。ここに呼ばれて遊ばせてもらえるはずだったのにって気持ちが滲み出てるぞ。なあ、そう思わないか? ハーヴィー」
「そうですね。商会長」
先程までのこちらに遜るような態度を完全に消しこちらを見下す態度を露わにして、行儀悪く足をテーブルの上に投げ出した男は口許を歪めた。
「話次第で遊ばせてやろうとここに呼んでやったんだよ。けどなぁ。カールマン君とやら。その手の湿疹、瘡毒だよ。よっぽどタチの悪い娼館で遊んだか、それとも壁穴通りの立ちんぼで安く済ませたか? さっさと両親に泣きついて治療をしなければ、十年後に毒が脳に回って狂い死ぬぞ。残りの二人もこいつと穴兄弟になっていたら他人事じゃない。うちは安全も売りにしているから性病持ちは出入り禁止だ。だから、こちらにお通ししてさっさと仕事の話をする事にしたってわけだ」
テオドールは隣に座っていたカールマンから距離を取った。
王になる可能性を考え、あまり怪しい場所で遊ばないようにしていたし、タダで抱ける女が校内にいるのにわざわざ自分にふさわしくない、安い娼館に金を落とす必要も感じなかったのは幸運だ。
それこそ瘡毒など移されてしまったら王になる事も難しくなる。
「テオドール、先に帰る!」
明らかに動揺した顔で立ち上がったカールマンをアレックスが鼻で笑った。
「必要であればリベルタ特産のよく効く薬を売ってやるから両親と来るといい。身代を傾けても助けてくれる親御さんならな」
ひらひらと手を振って、アレックスは首を傾げる。
「で、お坊ちゃん方、どうしますか? 私達が新興の商会だからおもねって仕事を取りにくるとでも思いました?」
「僕が、キュステ公爵の嫡子だと知ってなお、煽るような態度を取るのか?」
テオドールはあくまでも静かに言葉尻に脅しを乗せて男に尋ねた。
だが、しっかりと意味を理解しているに違いないのに、彼は強気な態度を崩さなかった。
「もちろん、最初に
それはひどく抽象的で、だが示唆に満ちた言葉だった。小さく俯いた男の目元が翳る。
先程感じた強烈な既視感に再び襲われて、テオドールは目を瞬かせた。
「それと私共はディフォリア大陸では新興と申せど、既にルブガンド公、インテリオ公、それに恐れ多くも国王陛下とも知己を得ております。その状況でキュステ公ならばともかく、貴方が私を排除する事が出来るか、よく考えた方がいい」
脅したつもりが逆に脅し返され、テオドールは奥歯を噛み締めた。
彼は今まで付き合いのある、まともな商人とは違う。
海賊共と渡り合い怪我を負うような男なのだ。
「今回の話はなかったことにさせてもらう」
「今、お受けできないとなるとこの件をお受けするのは難しいですが、また何か別のご用命がありましたらご連絡ください」
再び慇懃な態度を取った男がにっこりと笑うと、先程ハーヴィーと呼ばれていた青年がハンカチをドアノブに巻いて扉を開けた。
「お帰りはこちらです。では、また機会がございましたら」
何も決まらず、部屋から礼儀正しく追い出される寸前、ちらりと振り向いてテオドールは男への既視感を唐突に理解した。
あれは鏡でよく見る自分の姿だと。
もしかして自分は今、自分の影と対峙していたのではないか?
そんな奇妙な感覚に苛まれたまま、テオドールは帰路に着いた。
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