覆水は盆に返らず2(過去編ヴィルヘルム視点)
全身に疲労が絡みついている。
この二ヶ月で、一生かけても起きないような事件がいくつも降りかかった。
姪であるユリアが毒殺され、かろうじて助かったケインからは、政略結婚した大国ノーザンバラ帝国出身の妻を使ってヴィルヘルムがユリアを殺そうとしたと勘違いされて、殺されかけた。
子供相手に遅れをとるほど弱くはないから、ケインを返り討ちにし拘束した末に話し合った結果、ノーザンバラ帝国と通じた侍女達による子供達への虐待が詳らかになって、ノーザンバラ帝国が皇女の夫である自分を傀儡にし、小さいが豊かなメルシア王国を属国としようとしていたと認識した。
怒りと今にも死にそうなケインの心の支えにと、ヴィルヘルムはケインをノーザンバラへの復讐に誘い、帝国を滅ぼす復讐計画を立てた。
元々兄の残した書き付けにディフォリア大陸の他の国々を侵略し、最終的に大陸全土を統一して支配下に置く試算があった。戦力への懸念、人道的な観点から兄はリベルタ行きを選んだようだが、ヴィルヘルムは兄よりも実際の戦いを知っていて、その遊戯めいた机上の空論が十分実現可能であり、ノーザンバラの勢力を削ぐにはそれの応用で充分だという確信を持ってケインを巻き込んだ。
そして、彼の旅立ちの後、宮廷内の粛清や、仕事の整理を急ピッチで進めた。
今までは父や兄から引き継いだ物をなるべくそのままの形で円滑に回す努力をしていたが、それをやっていたら何もなせないから、色々な物を思い切りよく切り捨てて縮小し最低限だけ残して、順番付けをした。
そうして復讐の道筋を作って寝食もまともに取れない状態からかろうじてそれらを取れる状態まで差し戻した。
だが疲労感は取れず、そして少しの余裕が出て来た今だからこそ、耐え難いほどの空虚な穴を心の裡に感じていた。
父も兄もユリアも喪った。ケインは復讐の礎として旅に出した。叔父とは特別親しいわけではない。市井に降りれば親しい者もいるが、王宮内で仕事以上の関係の人間は多くはない。
言うまでもなく、妻である王妃は敵だ。
ユリアの事があってから遠のいていたオディリアの住む離宮に、深夜足を伸ばしたのは、無意識のうちにその空虚さを埋めたいと思ったのかもしれなかった。
「陛下、どの様なご用件ですか?」
オディリア付きの侍女は、彼女が正気を失ってなお忠実だった。不寝番として固い椅子に座り、彼女のそばに侍っている。
「彼女の様子を見に来ただけだ。控えの間まで下がれ。必要があれば呼ぶ」
その誰何に足を止め、ヴィルヘルムは指先を動かして下がるように命じた。
彼女と同じ部屋に第三者が存在するのが不快だった。彼女の気配だけを感じたかった。
少しの懸念を見せた侍女はそれでも自分の命令に従った。
王宮全ての主人である男に表立って逆らえる人間はそうはいない。
ヴィルヘルムは寝台の横に行きオディリアの顔を覗き込んだ。
青く鈍い月光が窓から差し込み、手の届かないところにかけられたランプの細い光と合わさって、オディリアのやつれた面差しを照らす。
髪は侍女がうまいこと整えてくれたのか、ざんばらだった髪はきれいに揃えられていて彼女の顔を初めて認識した時の少女の面差しをたたえていた。
「君が恋しいよ。リア……」
弱音のように吐き出してその頬にそっと触れる。眠っているから吐露できた言葉だった。
そのままそこを離れていれば、ただの悲しい思い出の一つ、空虚を埋める空虚として消化できたはずだった。
だが、そこでオディリアは目を覚ました。
「私もよ。大切なあなた」
彼女の正気を失った思考は、ヴィルヘルムの事を夜中に寝所にやって来た夫と誤認した。
夫が来た悦びと蠱惑に満ちた笑みに、いつもの挨拶とは違うくちづけ。
半ば開けられた唇を合わせて舌を探られ、ヴィルヘルムは発作的にオディリアの唇を逆に貪った。
愛情に満ちたそれは、彼女を女性として見るようになってから夢想し続けたそれは、脳髄が痺れる程甘かった。
余すところなく唾液まで啜って、はだけた夜着の隙間から、その柔らかな肌に直接触れたところで理性が飛んだ。
ヴィルヘルムはその夜オディリアを執拗に今までの愛情と妄執を込めて抱いた。
夢のようなひとときだったが、それは決して見てはいけない夢だった。
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