激情(アレックス視点)
全員が着席し、ベアトリクスの手で茶が振る舞われるとおもむろにレオンハルトが口を開く。
「人払いは済みました。もう一度仮面を外していただけますか?」
「そんなに俺の顔が見たいか?」
皮肉を漂わせアレックスは首を振ったが、レオンハルトは頑なに頷いたから仕方なく顔を晒す。
今、自分の表情が昏く歪んでいる実感がある。そんな顔を見せたくはなかった。
「エリアス……。生きていたんだな」
本物かを確かめるようにアレックスの顔に触れたレオンハルトが、眼鏡の下から鼻頭を揉んで涙を拭う。その声は自分が生きていた事に純粋な驚きと喜びを覚えているかのようだ。
「生きて……。どうして! 連絡をよこさなかった! ケインと一緒にいるという事はいつでも連絡が取れたんだろう! あんたがいなくて、俺達がどれほど辛かったと思っているんだ!」
子供の頃に見せたきりの泣きそうな顔で詰られ、弟に苛立ちが募った。
何もかも過去のことだ。自分は本当の仇であるイリーナ妃や海賊を前にしても憎悪をコントロール出来た。
だから冷静でいられるだろうと思っていたのに、詰られる事で着けられた怒りの炎は燠火の如く静かに広がって自分を灼いた。
自分にまだこんな激情が残っていたとは思わなかった。
酷くささくれだった気持ちをアレックスは自覚したが、二十年煮詰め理性を切ってついに溢れ出したそれを止められなかった。
「お前の苦労なんぞ知ったことか。すぐに帰れたなら帰っていた! 海賊に襲われて、他の乗員は全て無惨に殺され、俺はリヒャルトの死体の隣で慰み者にされた。その後は競りにかけられ、娼館に性奴として売り払われて刺青を彫られ三年半、男娼として囚われていた。自由も尊厳もない。娼館主に言われるがまま媚を売ってケツを振って雄の種を受け入れるクソみたいな生活だ」
海亀島で培った乱暴な口調で下履きをずらして腰に奴隷の証として彫られた刺青を見せる。
自分の変わりように声も出ない弟の傷ついた様子に薄暗い悦びと、同じぐらい粘ついた怒りが噴き上がる。
「その地獄の鳥籠の中で家族の死を知った。その時の絶望がお前に分かるか? その後、自由になって戻れなくはなかったが、もはや戻る気にもなれなかった。お前は関係ないと信じたかったが、俺と家族を排除する為にイリーナとノーザンバラと共謀した疑いが拭えなかったからな。大切な妻子が死んだ後、惜しめるものは自分の命しかなかった。なくなっていたんだ! リヒャルトが残してくれた生きろという遺言だけに縋って生きていた。そこにケインがやって来て、俺はやっとメルシアで起こったことの全容を知った」
ああ、自分が情けない。明かしてはいけない心の裡を無様に晒している。だが止める事はできない。
「だが、その時点ですでに十年以上経っていた。連合王国というお前が作り上げたご立派な国に戻ったところで俺は王権の最大の火種だ。恥辱に塗れた旧国の王位継承者のどこに戻る余地がある! 偶然も重なったが復讐は自力で成せた。もう戻らないと割り切った! リベルタの発展とケインとレジーナと共に送る愛しむべき生活にこの身を捧げると決めた。その穏やかさを手放して戻るつもりなんてさらさらなかった!」
怒りに任せての告白を止められない。
ヴィルヘルムもケインもリアムもレジーナの事をも傷つけると分かっていたから、もっと笑い話のように遠い過去の思い出のように話すつもりでいたのに、無理だった。
「だが、リアムと会ってしまえば戻らないわけにはいかない。なあ、リアムは誰と誰の子だ! 言ってみろ!」
それに、ヴィルヘルムは答えなかった。ただ泣きそうな顔で首を振る。
「ヴィル! 言え!」
向かい側に座ったヴィルヘルムの胸ぐらを掴むと、間のローテーブルの紅茶のカップが踊る。
「エリアス。落ち着いてください。私から話します」
間に入ろうとするレオンハルトに刺々しく言い返す。
「いいや、本人から聞かなきゃ収まらない! リアムはお前とリアの子供だろう! ちゃんと言えよ! オディリアを寝取って孕ませたってな!」
「……リアは、兄貴との二番目の子供を喪って正気を失ったんだ。それで俺のことを兄貴だと思っていた」
力なく自分に胸倉を掴まれたままヴィルヘルムの告白が始まる。
アレックスはそこを掴んだ手を離して、震える拳をぎゅっと己の左手で握りしめた。
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