腐す言葉、甘やかす言葉
「ケインさん……あの……さっきの話は……嘘ですよね」
「そこに座っていてくれ」
ベッドルームの端に置かれた応接セットの椅子を示され縮こまって座ると、アレックスに布団を掛け直したケインはティーセットを用意して茶を淹れ、向かい側に座った。
「嘘というか、あれがアレクの妄言かどうかは、お前の父親を問い詰めなければ分からない。俺もその時期は王宮にはいなかったからな。姉とヴィルがお前を儲けたと聞いて驚いたが、ありえなくはないと思う程度に二人は赤狼団関係で共に動いていたからなんとも言えない。それより紅茶を淹れた。まあ飲みなさい」
リアムはのろのろとカップを持ち上げて、温かい紅茶に口をつけた。
ケインの淹れた紅茶は驚くほど香りも味も良くて、アレックスの言葉に凍った心がほんの少し溶ける。
「……美味しい」
「なにか用があって来たのか?」
すでに心に刺さった一番大きな棘は抜かれている。
だから、あえて話を変えたケインの言葉にリアムは乗った。
「あの……ケインさんに、これを確認したくて」
「ん……ああ。砂糖の売価か。これは一度限り、という文言が抜けているな。安い値段で試させ、品質に問題がなければ次は正規の値段で、という契約だ。ちょっと待っていろ」
備え付けのデスクで書類に必要な文言を入れたケインはそれをリアムに戻しながら小さく笑んだ。
「よく気がついたな。このまま通っていたら面倒なことになっていた」
「いえ、たいしたことじゃ。書類を見ていれば誰でも気がつけることです」
「過ぎた謙遜は美徳ではないぞ。そもそもアレックスの仕事に付き合える人間はそういない」
「ついていくのが精一杯です。とんでもない量の仕事を捌いていますよね」
「その年でついていけているだけで誇るべきだ。アレックスは元々仕事が苦にならない性質の上に処理が早いからな。お前もその辺は似ているように思う。そしてアレックスより地道で堅実で粘り強い。注意深く真摯に向き合えるのは才能だ」
「……ありがとう、ございます」
学生会で働き回っている時は誰も仕事を誉めてくれることはなかった。むしろ、当然と見なされていた。
それをベタ褒めされて、身の置き所がない。もじもじと身じろぐと、ケインが苦笑した。
「お前には自信が足りない。出生の悩みのせいだろうが、もっと自信を持って良いんだ。産まれ持った重荷は違えど、それは個人の資質になんの関係もない。お前は有能で善良で真面目で自らの苦しみに耐え、他人を慮れる優しい心根を持っている。それは得難いものだ。自らを誇り、自らにも優しくなるべきだ」
「そう、言われても、グズの間抜けなのは……」
「それはお前の善性を腐す目的の言葉だ。難しいかもしれないが、それがお前のためを思って言われた事実か、単に腐すだけの言葉か、甘やかすための言葉か見極めるようにしなさい」
ケインと長く話すことはあまりなかったが、こうやって向かい合ってくれると存外優しい。
また、その心の持ちようは母と似通っていて二人が姉弟なのだと納得が出来る。
心からの礼をもう一度言うと、ケインは肩をすくめた。
「そろそろ戻らないとソフィアに怒られるんじゃないか?」
「あ! そうだ。早く帰ってきてって言われてた!」
「早く戻ってあげなさい。そうだ。虫のいい願いだが、今日アレックスが漏らした話はアレックス本人にも黙っていて欲しい」
「彼から聞いた事なのに?」
「アレックスの心は今、迷って混乱して、過去の一番辛かった頃と現在を行き来しているような状態だ。防衛本能のようなものがあるのか、熱が下がれば忘れている事が多い。心の裡も見せるつもりもなかったと思うし、あの疑惑はヴィルに確認を取るまでは黙っているつもりだったのだと思う。だから頼む」
「わかりました……聞かなかった事にします」
「すまない」
「父との話が済んで、もしも本当だったら、ちゃんと全て話してください」
「話す必要のある話はちゃんとしよう」
頭を撫でられて部屋の外に連れていかれる。
部屋に戻ると、ソフィアが机に突っ伏して眠っていた。どうやら一人で仕事をしているうちに限界が来て眠ってしまったらしい。
その寝顔は穏やかで優しく、なんの憂いもないように見えて、ふっとリアムの肩の力が抜けた。
自分は常ならざる状況に、思った以上に張り詰めていたらしい。
ソフィアの肩に毛布をかけてやって、リアムは仕事の続きに取り掛かった。
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