【回想】在りし日の庭(ヴィルヘルム)
絡まった蔓薔薇の咲き乱れる四阿の下、ふにふにゃと泣き声をあげる赤子を抱き上げ、いまだにおぼつかない手つきであやすエリアスと、それを優しい瞳で見上げるオディリアの姿があった。
その姿は実の兄と幼馴染にも関わらず、まるで一幅の絵画の様で、少年にはあまりにも眩しくて間に入ることができない。
足を止めて二人を見つめていた少年を動かしたのは、視線に気がつきこちらを認めた義姉だった。
「ヴィル! 会いに来てくれたの?」
「……出産、おめでとうございます。体調はもう大丈夫ですか?」
なんとか絞り出した労りと寿ぎに、オディリアは曇りのない笑顔を向けてくれた。その笑顔に胸が痛くなる。
「心配してくれてありがとう。まだ本復には程遠いけれど、普通の生活が送れる程度には回復したわ。ただ次の子の出産は五年空けたほうがいいと言われて困っているのだけれど」
二人にメルシア王国の後継を儲けるプレッシャーはついて回っている。エリアスは大陸中から届いた膨大な数の釣書を全く取り合わず、幼馴染であるオディリアを娶った。
だが、男児を儲けなければ側妃をという話になるはずだ。
「私達はまだ若い。五年空けたとしてもまだ二十代前半だ。普通の夫婦はそれぐらいで結婚する事も多いから問題はないよ。君の命の方が大切なんだ。それにこの子しか得られなくても構わないじゃないか。この子を大切に育てて、女王として、共に国を治めるのにふさわしい最高の夫を見つければいい話だからね」
子供にこだわる必要はないと愛し気にオディリアのつむじに唇を落としてみせたのはこまめな愛情表現か、もしかしたら自分に対する牽制だろうか。
エリアスとオディリアは自分が物心つく前から共にあり、エリアスよりも一つ歳上のオディリアは姉の様にヴィルヘルムに接してくれていた。
やんちゃな子供時代には遊んでもらい、無茶をしては心配されて、時に叱られ、その優しさに強さに、ずっと自分は惹かれていた。
成長期を迎え背が伸びはじめて彼女を越え、弟としてではなく、一人の男として見てほしい、そう思うようになり、恋心を自覚した。
だが、それを伝える前に彼女はエリアスと婚約が整ったと幸せそうな笑顔でヴィルヘルムに告げ、ほどなくして結婚した。
せめて自分が兄と同い年であれば、成人と認められるような年齢ならばと臍を噛んだが、優秀でそつのない兄とではそもそも勝負にならないと諦めをつけた。
時折首をもたげる告げる前に終わった恋の残滓がヴィルヘルムの心を灼く。
それを押し殺し平静を装って兄に尋ねた。
「名前はどうするか決めたのか?」
「ユリアだ。私がエリアスで、彼女がオディリアだろう。だから、似た響きの名前にしたんだ」
「三人で家族らしくて良い名前だな……。俺は仲間はずれだ」
拗ねた言葉が口からこぼれ落ちて、ヴィルヘルムは焦った。
「いや、その……」
「ヴィルも大切な弟よ。ほら、大陸共用語で名前を呼べばウィリアムでしょう。ちゃんとあなたの名前にもリアって入っているわ」
オディリアの言葉に胸がほんのりと温まる。彼女はヴィルヘルムの心を優しく掬い上げてくれる。
「お前のは偶然だからな」
「エリアス。水を差さないの」
「嫉妬ぐらいさせてくれ。私は今、この子と君しか目に入れたくないほど二人に夢中なんだから。ほら、可愛いだろう。私の姫君は」
自慢気に見せられた赤ん坊は小さく蠢いていて、まだ芋虫めいていたが、目元はオディリアによく似ていて愛らしい。
「リアに似て可愛いな」
「私にも似ているだろう。口元とか。もちろんリアに似ているところが愛らしいのは間違いないし、私にそっくりな娘だとトラブルばかり引き寄せそうだが、それはそれとして微妙に腐すのをやめろ」
「デレデレしすぎでみっともないから、冷静に戻してやってるんだ」
「するに決まっているじゃないか。なあ、リヒャルト」
「リヒャルト、いたのか」
目立たないところに立っていた護衛のリヒャルトがヴィルヘルムに略礼を取った。
「はい、おりますよ。殿下。初子、しかも女の子となれば仕方がありません。私もベアが産まれた時はこれほど愛すべき存在はないと思ったものです。いや、もちろん男の子も可愛いのですが。我が家の嫡男のケインはやんちゃで目が離せませんが、その分運動が得意で。今は毎日剣を見てやるのが楽しくて仕方がありません」
普段自分のことを語らない護衛が珍しく饒舌に己が子供のことを語った。それだけ特別なのだろう。
「子供とはそんなにいいものなのか? 俺には分からないな」
「殿下自身がまだ子供ですからね。さて、そろそろ中に入った方が良い。乳児と産婦に外気は十五分で充分です」
子供だと言われ、ヴィルヘルムは小さく俯いて唇を噛んだ。実際のところ自分はまだまだ子供だ。まだ声変わりも終わりきっていない程度には。
そんな様子に気がつく様子もなく、エリアスはユリアを乳母に渡し、オディリアの手を取る。
歩き去る二人と乳母に連れられた赤ん坊、それに控えるリヒャルトを見送り、ヴィルヘルムは深く深く息を吐くと踵を返した。
今は一人になりたかった。
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