しばしの別れ

 ノイメルシュで拉致されてからおおよそ八ヶ月後、リアムとソフィアを乗せた船はハンバー湾にその錨を下ろした。

 船乗り向けの宿の中でも高級な宿を取って、旅の汚れを落とすと食事用の個室に集まった。

 少し遅れて、軽装のリアム達と違い唯一しっかりとした旅装に身を包んだライモンドが降りてくる。

 他の人間の昼食を待たず、先に頼んでおいた魚のフライをパンで挟んだものをさっさと食べ切ったライモンドはリアムに礼を取る。


「殿下。俺は先に陸路でノイメルシュを目指して、ついでにキュステ港の停泊許可と馬車の手配もしておきます。馬車は俺の手配と分かるように符牒を渡しておきますから、それ以外に乗っちゃダメですよ」


「よろしく。気をつけてね」


 ここしばらく常に共にいたライモンドと別れるのは少し不安だが、今は一人きりではなく、売られた時のようにソフィアと二人きりでもなく、アレックスと彼らの船員、それに一応妹もいる。

 アレックスなりケインなりが話してくれたのか一時期ほど突っかかってくる事はなくなったが、それでもツンケンした態度は変わらないので、なるべく彼女とは関わらないようにしている。

 逆にレジーナとソフィアとは、手合わせしたりして多少打ち解けてきたようでたまに話をしている姿を見るので、一度彼女にレジーナの態度の原因を聞いてくれないか頼んだところ、あっさりとそんな事は自分で聞け、と断られてしまった。

 余談だがケインとアレックスにも聞いたら二人で苦い顔を見合わせて、父親に聞けと言われた。


「ケインさん、リアム殿下をよろしくお願いします。ほんとにくれぐれも頼みますよ。ソフィア……いや、ベルニカ公爵令嬢の事も。何かあったらベア姐さんに突き出しますからね」


「まあ、任せておけ」


「なんか優先度低そうで不安だなぁ……。とはいえ、俺が陛下に報告しないとどうにもなりませんもんね。で、貴方達の事はどこまで言って良いのか最終確認して良いですか?」


「リベルタで商会を運営しているオクシデンブルグ男爵とマーティンの息子ケインが神殿騎士団経由でリアム殿下とベルニカ公爵令嬢を保護してここまでお連れした。ぜひ拝謁の誉に預かりたくお願い申し上げると言っているとだけ伝えてくれ。俺とジーナの事は伝えるな」


「……普段なら依頼主を騙す真似は出来ないんですが。俺達は臣下ってわけでもないですし、ケインさんもいるし、まあいいです。補填してくれるんですよね。あとアレックスさん、その髪と髭なんとかしないと入れませんよ。俺と違って顔パスってわけにはいかないんですから」


 ライモンドの指摘は真っ当だ。

 伸びた髭に目を覆い隠した前髪は陸に上がったばかりの船乗りか貧民街の住人といった様相で、王宮に足を踏み入れていい見た目ではない。門前払いされるだろう。


「顔が良いんだよ……。俺は。四十も越えたし、そろそろ平気だと思ってたんだが、初対面でもバレるぐらいには綺麗な汚物なんだろ。あいつに会うまでに他の誰にも生きていると知られたくないんだ」


 彼以外が言えば自信過剰と取られるような事を言って、へらっとアレックスが笑った。なるほど目元が隠れると父と兄弟に見えなくはない。

 顔が見えていなくても体つきのバランスがいいし、鼻筋も口元も整っているのは隠せていないのだが、それでも目元が見えないだけであの美貌がずいぶん落ち着くのだから不思議だ。


「髪の色を変えることは出来るが、それだけ顔が似ている奴がいるとなると誤魔化し切れるか分からない。海亀島で生活する分には問題なかったんだが」


 どうやらリアムとソフィアが一発でアレックスがエリアスだと看破したのが効いているらしい。

 ケインが決めかねるように言った。


 「……仮面はどうかな? 顔に傷があると言えば誤魔化せるんじゃない?」


「仮面か……。ありかもしれない。まあ、それはノイメルシュに着いてからだな。姉によろしく伝えておいてくれ。諸々の手配も頼んだぞ」


 リアムの思いつきに頷いたケインが話をそこで打ち切って、ライモンドの肩を叩く。


「はー、ベア姐さんになんて言お。責任重大だなぁ。じゃあ行ってきます。キュステ港の方に先に寄るので一週間みといてもらえれば、なんとかなると思います」


 そう請け負ってライモンドは、ソフィアとリアムに向き直った。


「学園の事もクソガキの事も調べておきます。これは特にソフィアに言うんですが、ノイメルシュに着くなり無策で突っ込まず、王宮にまっすぐきてくださいね。それとキュステ港はキュステ公爵領ですから二人とも顔を隠しておいた方がいいでしょうね。気をつけてください。ベルニカ公爵令嬢もいつもの毒舌は控えてくださいよ。フォロー出来るのがリアム様だけなんですから。彼の胃に優しくしてあげてください」


「わたくしの事、口の悪い猪だとでも思っていますの?! それぐらい分かっていますわ。余計な心配です。ご心配なく、ライモンドお母様!」


「誰がおかんだ!」


「……お気をつけて。こうして無事にディフォリアまで帰って来れたのは先生があの船まで追って来てくれたおかげですわ。感謝しています。……いないとは思いますが、私の両親がノイメルシュに来ているようでしたら、ご心配をおかけしましたと伝えてください」


「え?! 突然の感謝?! これ死亡フラグか?!」


「失礼ですわ!」


「すぐに会えるんですから、しんみりとしたのは合わないって事ですよ。感謝してるなら、ベルニカ公爵に頼んで礼金弾んでくれるようお口添えお願いしますね。リアムの両親から給料は出てますが、解雇される可能性も高いんで。もらえるものは貰いたいんですよ」


「そんなことにはさせないよ。いってらっしゃい。ライモンド。僕もソフィアと同じ気持ちだ。ありがとう。陸路の強行軍、大変だと思うけど頑張って。僕達は大丈夫。よろしく頼む」


 ぽん、と頭に手を置かれて撫でられ、上を向くと優しい笑みと視線があった。


「少し、頼もしい顔になりましたね。そうやって胸を張っていてください」


「気をつけてね」


 頭から離れた手は暖かくて大きかった。そしてその言葉もリアムの自信をほんの少し温めてくれた。

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