ライモンドに降りかかる厄災

「こんにちは! バイオレットです。よろしくお願いしますね」


「よろしく」


 元気よく言われて、ライモンドは頬を掻いた。

 小麦色の肌に金色の髪、淡い茶色の瞳。コルセットからはみ出さんばかりのたわわな巨乳。膝丈のパニエからのぞくむっちりとした太腿とそこに食い込むガーターベルト。

 妖艶な美女も清楚系も可愛い系も好きだけれども、こういう健康的で明るい子にぐっとくる。


「お背中を流しますね。さあ、どうぞ」


 デレデレと風呂についていけば、何度も湯を変えながら頭や身体を隅々まで丁寧に洗ってくれる。

 あの悪夢みたいな2ヶ月間の汚れはすっかり落ち、歯も磨かせてもらって、元通り以上の男前だ。


「料金は二時間で千ターラ、飲食物は別です。本当は別に部屋代が五〇〇かかるんですけど、今回は無しで大丈夫。どうします?」


 ベッドに腰掛けるとガウンを羽織ったバイオレットが身体を寄せながら、この娼館の費用について説明してくれた。

 庶民の一ヶ月の生活費がおおよそ五〇〇ターラだ。安くはないのだが、ライモンドはそれなりに稼いでいる。教師の方でも平均の二倍ほどの給金が出るし、護衛の仕事はその十倍は出ている。普段なら迷わず出せる金額だ。

 とは言え、今は異郷で無一文の子供を二人連れているし、出がけに持って来た金銭は小金貨二枚、二万ターラにこの間の男から奪った金が少し。

 熟考、いや、一〇秒ほどの逡巡の後、ライモンドは決めた。

 総督に交渉し、軍艦を一隻出させれば、帰国費用は掛からないから手持ちに余裕が出来る。

 ここまで苦労したんだ、二時間位なら大丈夫、と。 


「ぜひお願いします。先払い?」


「いえ。カウンターで払ってもらえれば大丈夫よ。お金のやり取りしちゃうと情緒がないから。恋人のつもりで楽しんで欲しいの」


「ああ。バイオレット」


 肩を抱き寄せ、結ってもちあげていた髪を解くと、一房取って唇を寄せる。菫の甘い香がほんのりと薫って身体の芯に熱が灯った。


 首元に口付けして、女を押し倒し、豊満な乳房を手で包み込もうとした時に控えめにドアが鳴った。


「あら、何かしら。ちょっと待っててもらえる?」


「もちろん」


 ドアを少し開けて向かって何事か話していたバイオレットが困惑したように戻って来て、ベッドの上に乗ってライモンドの後ろに回ると、ライモンドの両目をその柔らかなてのひらで覆った。


「え、何?!」


「あのね。ケイトさんがあなたの事とっても気に入ってしまって、一緒に楽しみたいんですって。追加料金は無料でいいよって。どうかしら」


 耳元で囁かれたのは扇情的な誘いだった。


「え?! それってまさか、3Pってコト?! 大歓迎だけど、そのケイトさんとやらハーヴィーが呼んでた人だよな? 良いの?」


 どこで自分を見染めたのかとか、そう言うことは全く脳裏に浮かばなかった。


「それは大丈夫よ!」


 先程話していた時に話がついていたのだろう。ケイトを呼ぶバイオレットの声の後、人が入ってくる気配がする。


「じゃじゃーん。ケイトさんです」


 人生で初めての申し出に、一も二もなく頷いたライモンドの目からバイオレットの手が外される。

 ベッドの前の床で立膝で控えた、目の前の人物に視点が合った瞬間、期待に膨らんだライモンドの息子が人生最大の勢いで収縮した。


「はぁい。ケイトです。よろしくね。おチビのライモンドくん」


 わざとらしいまでに優しげな口調に全くそぐわない、地の底から響くようなバリトンボイス。

 地元でだけはお馴染みの葡萄酒色の髪に琥珀色の瞳。

 この時点でもうだめだ、という予感がする。

 男は黒豹の滑らかさで立ち上がった。

 スラリと高い背は、おおよそ6フィートのライモンドよりも頭ひとつ近く大きい。

 危険な東方の刃のような外見の男はそれに相応しい威圧感をライモンドだけに当ててくる。

 こんな器用な芸当出来る人間なんて自分の祖父以外に知らない。

 そして、背が低かった子供の頃にからかい混じり愛情混じりで呼ばれていた「おチビのライモンド」という渾名。

 間違いなく実家の関係者だ。そしておそらくこれがハーヴィー達の師匠だろう。

 あらゆる意味で死んだな、と、ライモンドは開いたバルコニーの先のはるか先、見えない故郷の山脈を幻視した。

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