筆下ろし
「ぶっ! はっははは! 俺があんたらを売る?! 確かにここは娼館だし、働きたいなら紹介してやってもいいけど、ここの娼館は本人が自らを売る意思がないと働けないし、アレ……っと、商会長が認めなきゃ他の仕事を紹介されるぞ。オクシデンス商会には他にも働き口がたくさんあるからな」
面白すぎて耐えきれないと言ったように大きな口を開けてひとしきり爆笑したハーヴィは仰ぐように手をぱたぱたと動かした。
「そんなので商売になるのか? 胡散臭すぎる」
「おいおい、商会員を前に胡散臭いとかいうなよ。ここで教育を受けた高級娼婦は最終的にリベルタやディフォリアで人気の女優になったり、富豪や貴族に身請けされて夫人や愛人になったりしているから、少しばかり顔のいい野心家の若い娘が引きも切らない。まあ入りなよ。騙されたと思ったら、あんたのご自慢のその腕で俺を叩きのめして総督のところに駆け込めば良い」
「門番もやたら強そうで、あんたら二人と戦って無事に出られるとは思わないんだが……」
自信なさげなライモンドは珍しい。
「皆、俺が鍛えてもらったのと同じ師匠に鍛えられたからな。特に彼はすごく鍛えられた。なに、信用できないならちゃんと門番に言っておいてやるよ」
「ライ、もし本当に僕達を売ろうと思ってるなら、こうやって連れてこないよ」
「わたくしも賛成ですわ。先程買ってきた食べ物に毒でも盛ってあなただけ殺して、わたくし達を売り払うと思います」
「まあ、そりゃそうだが……」
「そうと決まればさっさとお風呂に案内してくださいませ」
ソフィアがスタスタと門の方に歩いて行くと、門番がそれを止める。そこに小走りでハーヴィーが追いついた。
「いやー、早くお嬢に紹介したいな。おい。ジョン、神聖騎士団から密貿易船から保護したメルシア人を預かったんだが、あまりにも薄汚いから身支度をさせてやりたくて連れてきた。この御仁は俺が信用できないようだから、もしも彼らが外に出てきたら何も言わずに通してやってくれ」
ジョンと呼ばれた男は物静かにそれに頷いた。
「了解。どうぞ、お入りください」
薔薇の門扉が開き、リアム達は娼館ラトゥーチェ・フロレンスの中に足を踏み入れた。
目が痛くなるほど鮮やかな南国の花が咲き乱れる前庭からエントランスに入ると、古神殿様式の大理石の柱に支えられた吹き抜け階段がある広く開放的なロビーになっており、カウンターには愛らしい容貌の美人が座っている。その先はサロンになっているようで、歓談する声が聞こえてくる。
城や貴族の邸宅は見慣れているが、下手な貴族の屋敷などよりよほど良い調度が置いてあって驚いた。ここの主人は相当な目利きらしい。
「ヘザー! ディックは?」
ハーヴィーがカウンターの方へ歩いて行くのでリアム達もそれに従った。
この上等な空間に今の服装で入るのはあまりにもそぐわない気がしたが、二人は平気らしい。
ソフィアは物珍しげにきょろきょろしているが、ライモンドは警戒を解いていないようで普段よりぴりついた表情をしている。
自分らの反応を意に介した風もなくハーヴィーが気さくにカウンターの美人に話しかけた。
「上で仕事してるわ。ハーヴィーがここに人を連れてくるなんて珍しいね。女の子はすっごい美人じゃない。面接希望?」
「違う、違う。ただでさえこいつら騙してを売る悪い人間に見えてるみたいなんだから、やめてくれよ。神殿騎士団に保護されていたメルシア人のお坊ちゃんとお嬢ちゃんを総督のところに連れて行きたいんだが、この格好だと叩き出されるだろ。あの人そういうのにうるさいし」
笑いながら言っているから気を悪くしてはいないようだが、リアムの胃はきゅっと縮んだ。
「俺は今日の仕事の件でディックに話があるからこの子達の面倒を見てやってくれる? あ、そうだ。その話が終わった後、ケイトと楽しみたいんだけどいつもの部屋に手配しといて」
「了解。アレクシーはどうする?」
「流石に二人はいらないよ」
ケイトとアレクシーというのは、彼と馴染みの娼婦だろうか。身の置き所のないリアムを前に二人の会話を聞いていると、ハーヴィーがこちらに話しかけてきた。
「悪い。さっき神殿騎士に渡されたリストを担当者に渡してこないといけないんだ。ヘザーに任せとけば大丈夫だから安心して」
そう言って手を振ったハーヴィーは階段を上に上がっていく。
置いて行かれて困惑する三人に、ヘザーはにっこりと可愛らしい笑顔で笑った。
「こんにちは。私はヘザーよ。ここの受付をしているの。面接じゃないなら、所作が良いところの坊ちゃんっぽいし、わざと汚い格好をしてお忍びでその子の筆下ろしに来た位しか思いつかないなって思ってたんだけど、そっちもはずれだったか」
「ふっ…ふで?!! ちっ! ちがいます!!」
筆下ろしの意味はわかる。ふわふわとした可愛らしい雰囲気の美人の口からそんな言葉が出てきて動揺したリアムに、ソフィアが真面目な顔をして言った。
「リアム。せっかくですし筆下ろししてもらって、一皮剥けてきたらいかが? 騎士団の騎士たちも、初陣前に済ませに行っていましたし、皆、男にならないと分からない事があるって言ってましたわ」
「ソフィア、お前、またそういう事を!」
「やめて……!! 僕はそういう事をするのは好きな子としたいから!」
リアムは真っ赤になった顔を両手で抑えて俯いた。
ソフィアにまで揶揄われて……いや、違う。
ソフィアは本当に良いことだと思って真面目に提案してくれている。
ライモンドが嗜めてくれなかったらいたたまれなくて逃げ出していたところだ。
「あらあら、純情ね。こんな初心な子久しぶりに見たわ。可愛らしい」
子供を見守る眼差しで微笑んだヘザーは、ベルを鳴らして四人ほど人を呼ぶ。
「さて、身支度ね。すごく汚れているから人をつけるわ。隅々まで洗ってもらうといいわよ」
「じっ! じぶんで洗えます!!」
「遠慮しなくていいから。お貴族様はやらせるのに慣れてるでしょう。三階が三部屋空いていたわよね。バイオレット、マグノリア、リコリス。この三人を連れて行って、綺麗に洗ってあげてちょうだい。カトレアはケイトにハーヴィーの指名が入ってるから一刻以内に支度して部屋に入ってって伝えてくれる?」
「分かりました。では伝えてきますね」
「はい! 了解です! 私はこのたくましい筋肉の素敵なお兄さんにします。料金とか詳しい話は二人きりになってからしましょ」
「私はこのお嬢さんを磨きたてるわね。楽しみ。汚い美人を美しくするのって腕が鳴るわ!」
「可愛い坊やは私と一緒に来てちょうだい。もしかして初めて? 緊張しなくていいから」
「ちゃーんと好みが分かれるように呼んだのよ。じゃあ可愛がって貰ってらっしゃい」
ひらひらと手を振られて、強引に引っ張られて部屋に連れて行かれる。
三人は知らなかった。
三人の正体や裏に誰かいないか探るための時間稼ぎのために、わざわざ人をつけて風呂に連れて行かれたことを。
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