ライモンド先生のお料理教室

「リアム、良く手元を見て、絶対に手を切らないよう、気をつけてくださいよ。ベルグラード! 雑! 同じ大きさになるように切るんだ。火の通りがムラになるだろ」


「食べたら同じですわ。むしろ食感が違った方が美味しいのではないですか? あと先生、ソフィアと呼んでください。リアムはリアムと呼んでいるのですから」


「減らず口ばかりだな。ソフィア。お前のそれだと生煮えとぐずぐずだ」


「あら、先生、名前」


 被せるように素っ気なく、ライモンドが条件をつける。


「学校に帰るまでだからな」


 その会話に胸の奥が針で刺されたように小さく痛んで、リアムは首を傾げた。

 貴族でないものは名前呼びが普通である。

 一部の商家や元貴族は家名を名乗ることもあるし、家名と同じ用途で住んでる通りや職業、所属をつけて呼ばれることもあるがそれは例外だ。

 だから、ソフィアの要求もライモンドの返答も何もおかしいところはない。

 自分がなぜそんな事を考えたのか分からなくて、気が散った。


「っつ!!」


「ああー。気をつけろって言ったのに。大丈夫か?」


「完全に前振りでしたわね……。手当てしますから、怪我を見せて」


「たいした事ないから。舐めとけば治る程度」


「思春期だねぇ。素直にやってもらっておいたらどうです? 可愛い女の子に傷の手当てしてもらえるなんて滅多にないんですから」


「そういうところが先生の評判の悪いところです。傷の手当てに男女も容姿も関係ないでしょう?」


 ぴしりと言い返したソフィアにライモンドはバツが悪そうに頭を掻く。


「リアムも、小さい傷を侮らない。戦場でどれほどの人間が小さな傷が元で熱を出して死んだか知らないんですか? ほら手を出して」


 躊躇いがちにそれを見せるとソフィアは慣れた手つきで手当てしてくれた。取られた指の温もりに先程痛んだ心の同じ部分がざわめいて落ち着かない。


「ありがとう……」


 口の中でもごもごと礼を言って、再び包丁を取ろうとするとライモンドがそれを取り上げた。

 これ以上怪我されたら敵わないといったところだ。確かにソフィアと比べて随分おぼつかなかったので、妥当なところである。


「玉ねぎを切りましたからこれを炒めてください。ただひたすら混ぜながら飴色になるまでよろしく」


 言われた通りひたすら炒めると玉ねぎの匂いが鼻腔をくすぐった。

 久しぶりの食べ物の食べ物らしい匂いに腹が大きな音を立てる。

 疲れるほど炒めたところに、ライモンドが燻製の肉とみじん切りの野菜を追加していくから必死にそれを炒めあわせた。


「もういいですよ。ありがとう」


 そう言ったライモンドは、鍋の中に水と綺麗な布に包まれた何かを入れた。


「それは?」


「屑野菜。さっき切った野菜の皮やらヘタやらですよ。これが案外良い出汁になるんだ。あとは煮込んで味を整えるだけ」


 しばらく煮込むと、部屋の中いっぱいに野菜と肉の煮える美味しい匂いが漂った。

 玉ねぎだけでも耐えがたかったのに肉や野菜の旨みたっぷりのスープの匂いは、いやが上にも空腹を刺激する。


「いい匂い……。そろそろ食べられるんじゃなくって?」


「もう少し煮たほうが絶対美味い。もう少し待て。二人で食卓の支度でもしてろ。皿と鍋敷きを出しておいてくれ。あとパンも一人一個だ」


 そわそわする心を宥めながら皿とパンと鍋敷きを用意していると、ライモンドがスープの鍋を白木のテーブルの上に置かれた布製の鍋敷きの上に乗せた。


「赤狼団特製スープ、ライモンドスタイルだ」


 席に着くと、ライモンドが湯気の立つスープを皿によそってくれる。


「さっ、食べましょう。お祈りは省略。いただきます」


 自分の分をよそったライモンドはぱちんと手を合わせて、さっさとスープに口をつけた。

 乾パンではない料理は久しぶりだ。そっとスプーンを入れて口に運ぶと、肉の旨みと野菜の旨みが口の中に広がる。

 久しぶりの暖かい食事はこの間のキャンディ以上に心に沁みた。

 リアムは具を噛み締めて暖かい味わいを堪能する。

 ふと横を見るとソフィアはスープボウルを直接手で持って黙々とスプーンを動かし、掻きこむように夢中で食べている。

 お行儀は良くないが、そうしたい気持ちは理解できて、リアムはおずおずと手をスープボールを手で持ってそれを口に運んだ。


「おっ、いい傾向ですね。そんなに俺スペシャル美味しいですか?」


「さっきと名前違わない?」


「いいんですよ。俺のオリジナルレシピって事ですから。これは元々うちの団に伝わる糧食で、見習いとして戦場に連れて行かれる時に習うんですけど、少し物足りなくてね。玉ねぎを炒めて甘みとコクをだしたら美味しいんじゃないかと思って改良したんです」


 ドヤ顔を決めたライモンドを一瞥もせず、ソフィアはパンを噛みちぎった。


「久しぶりに人間らしい気持ちになりましたわ。お腹が空いていると、帰ったらあの馬鹿どもにどういう復讐をしてやるかばっかり考えてしまって。ねえ、フル装備のベルニカ騎士団と赤狼団百人とパンツ一丁で戦っていただくのってどう思います? 効果ありそうなら赤狼団には依頼を出します」


 パンを飲み込んだあと、机の縁を叩きながら尋ねたソフィアにライモンドはしごく真面目な顔で答える。


「うーん。長引かせても十人ぐらいで息の根が止まると思うが。アレは学生の中ならそこそこ強いが、それだけだ」


「あっ。やっぱりそんなものですわよね。他に何がいいかしら……リアムは何かある? どんな復讐をしたい?」


「えっ!? 復讐? ……急に言われても、なにも、思いつかない……かな。ただ、もう二度とこういう事をしてもらいたくないとは思うけど」


「「??え???」」


 食べる手を止めた二人が同時に立ち上がった。勢いがついていたのか、ソフィアの椅子は倒れる始末だ。


「あいつらのせいでこんな目に遭ってんのに、正気ですか?」


「あの発砲した時の勢いはどうしましたの?! もう一度あの海綿体野郎のドタマかち割ったる! とか雌犬は犬舎に売り払ってやるとか、ぐらい言って然るべきでは??」


「そうなんだけどさ……」


 恨みも憤りもある。だが、どうしても非難されるような生まれだからそうされてしまっても仕方ないと思ってしまう。


 リアムはごまかし笑いを浮かべて言った。


「正直、今の状況に対応するだけで手一杯で、そういう事を考えられないんだ。安全に帰れることが分かったら考えることにするよ」


 今、自分は普通の顔で話せているだろうか……。

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