経験は人を賢くする

 ここに来て三日目の夜、毎晩ベッドを譲る自分が床で寝る、彼らは自分にそれを用意していないたまにはライモンドが使うべきと言ってきかないリアムをさっさと宥めて寝台に寝かしつけ、ライモンドも毛布を枕に床に寝転んだ。


 硬い木の床の寝心地は最悪に近いが、野宿でも、揺れる船の上でもない。だからこの二日間は充分眠ることが出来ていた。

 だが、今日に限っては嫌な予感がして熟睡する事ができなかった。こういう勘はまず間違いない。

 月が南天から落ち始め草木も眠る頃、ドアが小さな音を立てた。

 開いた扉とそこに立った黒い影を眠った振りでライモンドは凝視して、タイミングを測る。

 ソフィアの寝ている方の寝台は、住民の女達が衝立を持ってきてくれたから別室のように囲われている。

 貞淑を旨とする教団の信者だから配慮してくれたと思いたかったのだが、もっと下衆な理由——誰がどこに寝ているか絞り込むため——だったらしい。

 人影がリアムの寝台の前に立ち、腰の剣を引き抜きそれを振りかぶったところでライモンドは人影に向かって体当たりした。


「殿下!!」


「起きてる! ソフィアは?!」


 リアムも殺気のような嫌な気配を感じるのは上手い。すでに起きていたようで、すぐさまに応答があった。

 ソフィアの名前をリアムが呼んだが、返事はない。この状況で寝ているのならば、なかなか図太いが、彼女が自身の命を守れるのか不安になる。

 小さな窓から入る月明かりだけが頼りの中、ライモンドは大柄な男と取っ組み合い、揉み合った。

 男が手から取り落とした剣を蹴り飛ばすと馬乗りになって、その顔面を、握った拳で容赦なく殴りつける。


「人の命を取りにきたんだ。もちろん取られる覚悟をしてるんだよなぁ!」


「これは誅伐である! 邪魔をする者は異端者とみなす!」


 こちらに向かって唾を吐きかけてきた男に、ライモンドは唇を歪めた。

 リアムは神殿騎士団が赤狼団を恨んでいると知っていてあえてライモンドの出自を明かさなかった。

 だが、赤狼団の方でも戦うべきではない相手だと分かって戦いを止めようとしたのに、切り掛かってこられ、泥沼の戦いの末少なくない団員が殺され、あるいは怪我を負わされたという禍根もある。


「金の力で復帰させてもらったが、一族郎党、一度は破門された身でね。リアム殿下から3日前に盾などという照れ臭い言葉でご紹介いただいたが、どうせ聞いてなかっただろうから、改めて自己紹介してやるよ。赤狼団団長ベネディクト•シュミットメイヤーが嫡孫、ライモンド•シュミットメイヤー。神殿騎士を斬るのも躊躇わない下賤の産まれだ。どうぞよろしく。バティスタ殿」


 バティスタの怒りを煽ったのか、彼は体のばねをつかってライモンドを跳ね除けると金切声で叫んだ。


「なんだと!! 貴様! 血濡れた狂犬か! 腐った果実の周りには腐ったモノが集まるものよな!」


「あんたもこうやって引き寄せられて来たもんな。嫌なもんだよなぁ? 嫌いで蔑んでいるモノが人として立派な善人で、自分の国の言葉を喋って、目障りだ。消しちまいたい。って思ったんだろ? させるかっての!」


「神のご意志に反する者は存在してはならないのだ! この村に穢れを持ち込むわけにいかない。約定の地として百年、千年の神の国を……ふべっ!」


 突然、バティスタが倒れ伏した。

 その上に誰かが乗って彼の年老いて筋張った腕を捻りあげ、膝で固めている。

 小窓から差し込んだ月の光が同じ色の髪の毛と男の背につけられた白い膝を暗闇に浮立たさせた。


「ソフィア!!」


「わたくし、売られた時に学びましたの。話が盛り上がっている時に認識に入ってない人間が後ろから襲い掛かれば相手はひとたまりもないのです」


「起きてたの?!」


 部屋の邪魔にならないところに寄ったリアムの驚いたような声が飛んだ。起きていた気配がなかったのだから、リアムの驚きは妥当である。


「この男が入ってきた時から起きているに決まっています。起きていると言ったら、相手に認識されてしまうではありませんか。だからこっそり寝台を出て隙を窺っていましたの。この衝立がいい仕事をしてくれましたわ。さ、早くこの前世紀の遺物を拘束していただけます? わたくし嫁入り前なので、化石とはいえ男の方の上に乗るのは外聞がよくないですし」


「いまさら? いまさら気にするの?! 僕達しかいないのに?! あんな言動を繰り返して?! 檻の中でベネディクト大叔父上みたいだったのに!?」


 自分の父方の祖父であるベネディクトはリアムの母方の祖父の弟で、いかにも武人という佇まいの男だ。


「男の方との接触は控えるべき、外聞が悪い、はしたない事だと母に怒られ、きつく言い含められていますもの」


 堪えきれずに爆笑するリアムを横目に、憮然とするソフィアからバティスタを受け取ったライモンドは、男を薪を束ねる為の麻の縄で縛り上げた。


「二人のお喋りは大変面白いが、少々緊張感が薄いな。さて、俺はジョアンを呼んでくる。この落とし前をきっちりつけさせないと。三十分やそこらで解けない様に縛ってあるが、このジジイを見張っていてくれ」


「神聖なる神殿騎士の名を呼び捨てにするぐぼっ……」


「そっちかよ。ま、これで少しは静かになんだろ。そのまま転がしといたらうるさそうだしな」


 ライモンドは密輸船で着ていた饐えた服をバティスタの口に突っ込んだ。火種にするために切って取っておいたのだがちょうど良い。

 虫のように悶絶する男を尻目に、カンテラに火をつけたライモンドはリアムとソフィアの二人に見張りを頼み、まだ夜の開けぬ家の外に足を踏み出した。

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