虜囚
リアムはわずかに与えられた腐りかけの水で唇を濡らし、震える手で船の保存食である硬く焼かれた乾パンを口に運んだ。
歯を痛めない様にゆっくりとそれを咀嚼すると意外に脆い食感の後、何かが口の中で蠢くのを感じた。
慌てて吐き出すと小さな芋虫が何匹もその欠片に混ざっている。
「うぇ……っ……」
吐き気を必死にこらえて、水を飲んだ。本当は口の中をゆすいで清めたかったが、そんな水はない。
命を繋ぐためだけに与えられた水を無駄には出来ない。
ずた袋に詰められて、首都から陸路を飛ばして半日後、逃げられないよう服も靴も剥ぎ取られて箱に詰め替えられたリアムとソフィアは船底の檻に隠すように入れられ、海路を進んでいた。
一度、どこかの港——リベルタに連れて行かれるならハンバー港だろう、で数日停泊して船を乗り換え、その時から二人揃って檻に詰め替えられている。
自分達はそれなりに高い商品と見なされているのか、それとも他の乗組員に言えない積荷なのかはわからないが、世話こそ最低限ではあるが、ここまで不逞の輩に味見的に手を出されることもなく、それだけは幸いだった。
「これはこうやって食べるのです。血肉が足りない時は虫ごと食すのをお勧めしますけれど、気持ちの問題もありますし」
がん、と床に容赦なく叩きつけた少女の乾パンから虫がわらわらと出てきて、リアムは後ろに飛び退った。
ソフィアはそのままばりっとかみ砕いて咀嚼し飲み下すと、おせじにも綺麗とは言えない水もためらいなく飲んだ。
「詳しいね……それに落ち着いてる」
感心すると少女は肩をすくめた。コルセットにペチコートというあられのない姿なのに、気にした様子もなくまるで歴戦の傭兵のように立膝で汚れた床に座っている。
「うちはノーザンバラとの国境ですもの。常在戦場が家訓。貴方はあの賢征王の息子にしては弱々しくて、腰が座りませんのね」
「……父の血を引いていないのは本当だから、似てないのも当然なんだ。聞いてたろ。エミーリエとの話」
苦い気持ちで、今まで自分から誰にも言えなかった秘密を口に出す。
それに返ってきたのは同情でも嫌悪でも毒舌ですらなく素っ気ない返答だけだった。
「馬鹿馬鹿しい。血脈なんて瑣末なことよ」
「関係ないわけないだろ。君だって、ベルニカ公の実の娘だ」
「確かに私は現公爵の実子。でも私の兄弟は両親共に血の繋がりはないわ。ベルニカは騎士達の中で品格、実力共に王位、今は公爵位に足る騎士を息子として迎え、実子と……実子が女の場合はその伴侶と競わせ次代の公爵を決める。そうやって支配者の矜持を育てて、上に立つ者として相応しい覚悟を持つのです。貴方はこの国の王となる矜持が足りないのではなくて?
「そんな風に割り切りたいよ。でもずっと頑張って……自分のできる事はやっているけど、変えられない物で蔑まれて、陰口を叩かれて、母親も貶められて、ふさわしくないと嘲笑われたらどうしたらいいのか分からない」
「そういう場合は殴り飛ばす一択。蹴り飛ばすで二択ですわね。暴力は全てを解決します。そういう意味ではあの時アレを撃ち殺そうとしたのは素晴らしかったですわね」
「お褒めいただきどうも。そうか……その理論はシンプルでいい」
心の底からリアムは笑った。
そんなに簡単に片付く問題ではないのだが、今この状況では彼女の明朗な乱暴さに救われる。
「こんな事になるんでしたら、証拠集めなんて中央の上品な理屈に従わず、公衆の面前であの汚物を殴り倒し蹴りつけて締め上げておけば良かったですわ」
覚えてらっしゃい、と、瞳に怒りを煌めかせ、歯軋りした少女は再び堅パンを噛み砕いた。
「とは言え、このままでは逃げる事も出来ずに売られる事になりそうですけど。駆け落ちと思われているなら助けも期待出来ませんし。あの時汚物の不意打ちに気が付かなかったのは一生の不覚でしたわ」
「……書かされた手紙に、赤狼団の暗号を入れておいた。探してくれていると思う。ライは有能なんだ」
「あら、意外ね。震えて泣くだけだと思っていたのに」
少し見直したとで言いたげな視線から目を伏せる。
「幼い頃、父の正妻に命を狙われていたから、死なない努力は母から叩き込まれた。王位には自信も未練もないけれど、曇り空みたいな人生の末にこんなふうに売られて死ぬのはごめんだ」
リアムは堅パンを床に叩きつけて虫を追い出すと、決意を込めてそれを口にはこんだ。
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