内縁の妻(仮)との対面
電話の内容は至ってシンプルだった。
きちんと会って話したいことがあるので、話す機会をもらえないかという内容だった。
私がひなと呼ばれる女性と話している間も、祐二は普通だった。
動揺も不安も何ひとつないと言いたいような表情だった。
彼女が住んでいるところは思っていたよりも近く、自宅から数駅離れた場所にあった。
我が家にあげるのは抵抗がある。かといって、話している内容を第三者に聞かれるのも嫌だった。
彼とともに電車に揺られながら考えた。
私は何を戸惑っているのだろう、と。
私たち夫婦は俗に言う、いちゃいちゃラブラブカップルではない。
寝室も別だし、言うなればルームシェアをしている男女のような関係。
お互い必要以上に干渉はしない。適度な距離感を保っている。
彼のことが好きかと問われると答えに詰まる。
もちろん大事な人だと思っている。でもそこに恋愛感情はないのかもしれない。
彼を独り占めしたいとは思わないし、極端な話、よそで別の女性と関係を持っていたっていい。
ならどうして?
今日はいい天気だ。
梅雨ももうすぐ明けると気象予報士が言っていた。
太陽がうざったらしいほど主張している。
―――分かった。
私は"結婚"という契約をしっかり結んで、世間からもパートナーとして認められた彼を失うのが怖いんだ。
彼とこのまま、あの家で生活していたいんだ。
答えが出たところでちょうど彼女の住む駅に到着した。
彼に連れられて着いたそこは立派なマンションだった。
エントランスを抜け、エレベーターで昇り、彼がチャイムを押した。
心臓の音はさほど気にならなかったけれど、冷汗が背中を流れていくのを感じた。
出てきた人は小柄で童顔で、可愛らしい印象を受ける、私とは正反対の女性だった。
浮気をする男性は、妻とは真逆の女性を選ぶと聞く。その通りだなと思った。
「どうぞ、あがってください」
「お邪魔します」
通された部屋は綺麗に整頓されていて、紹介する商品だろうか開封前の化粧品が並べられていた。
「わざわざ来ていただいてすみません」
お茶を淹れた彼女が戻ってくる。
「いえ、お構いなく」
正座して私に向き合った彼女は、しゃんと背筋を正して真っ直ぐに私を見つめた。
「はじめまして。
「いえ。それでお話というのは?」
名乗ってくれたのに名乗り返さなかったのは大人気なかっただろうか。
彼女は構わず続けた。
「まずは誤解を解きたいんです。祐二さんから、結婚してこれからYouTube活動を一緒に始める子がいると聞いたと思うんですが、結婚っていうのはゲームの中だけでの話です。ゲーム内でパートナーシップみたいな制度があって、それを便宜上結婚なんて呼んでるだけなんです」
ゲームで結婚…?ますます意味が分からない。
「ゲームをされない方にとっては馴染みのないことだと思います。ゲームをより楽しむためのコンテンツだと思っていただければ」
分からないことを今ここで追求したって仕方ないか。
「ゲームのことは置いておいて、貝塚さんは夫と婚姻関係にあるわけではない、で間違いありませんか?」
「はい。間違いありません」
なんだ。ならばこれからも私と彼は公私ともに認められるパートナーでいられる。
と同時に、彼の言葉が足りないことが事の発端だと腹が立った。
当の本人は吞気な顔をしてただ座っているだけだし余計に。
私がそんなことを考えていると、ひとまず誤解は解けたことに安堵したのか、彼女の表情が先ほどより柔らかくなっているのを感じた。
もう1つ聞きたいことがある。
「すみません、あと1点。夫とYouTube活動をされるというのは…?」
「私は現在、企業様からPRしてほしい商品をいただいて、それを様々なSNSで紹介して報酬をいただくことで生計を立てています」
インフルエンサーがどういうものか、私も調べてきた。今は芸能人だけでなく、インターネット上で一般人も広告塔になれるのかと軽いカルチャーショックを受けた。
「そのSNSの中にYouTubeも含まれています。例えばこんな風に」
彼女はタブレットを私に向け、動画を再生した。
動画内では彼女が実際に商品を試し、感想を言い、視聴者におすすめしている。
おまけに動画を視聴した人には割引や特典までつくというのだから上手くできているなと感心した。
「ありがたいことに、私の紹介で売り上げが伸びたと言っていただける商品もあり、お仕事をいただける機会も増えました」
なるほど、と頷く。
「そして、YouTube活動をされている方の中にはカップルで活動している、カップルYouTuberと呼ばれる方々もいます。祐二さんには彼氏役として一緒に動画に出てくれないかとお願いしました」
ここで疑問が1つ。
「純粋な疑問なのですが、貝塚さん1人でここまで仕事をもらえているのなら、このまま1人で活動されても問題ないのでは?」
「過去にお仕事をいただいた企業の方から、貝塚さんの動画に頻繁に登場される男性がいれば他にもお願いしたい商品もあるのに、と何度かぼやかれたことがあるんです」
なるほど、頻繁に登場している人物の方が視聴者からの信頼も得られやすいということか。
それに、と彼女はプリントアウトされた用紙をテーブルに置いた。
「このまま私1人で活動した場合の収益見込みがこちら、祐二さんに協力していただいて、今まではできなかった案件もお受けした場合がこちら。最後にこの用紙はカップルYouTuberの登録者数や再生数、そこから概算した収益見込みです」
差し出された用紙には、簡潔に分かりやすく彼女が言ったことがまとめられていた。
「すごい」
思わず声に出してしまうほどに、それらは上手くまとめられていた。
私がここまでの資料を作成できるようになったのは何年目のことだったろうか。
彼女はきっとこれまでもこうやって分析して、ストイックに仕事に打ち込んできたのだろう。
親近感が湧いた。
職種も働き方も違うけれど、彼女は私と同じように真剣に仕事に向き合い、お客様への気配りを疎かにせず、ここまでやってきたんだ。
純粋に尊敬できると感じた。
「ところで祐二はどうしてこの話を受けようと思ったの?」
彼女の言いたいことは分かった。
あとは彼だ。向き合うのが怖くて避けていたけど、彼の気持ちもちゃんと聞いておかねば。
「うーん?面白そうだなと思って」
え、それだけ?
そんなわけないと数秒待ってみるが、彼が話し出す素振りはなかった。
思わずため息が漏れる。 同じようなため息がもう1つ。
感じた親近感は仕事の面だけじゃなくなった。
彼女は、いや彼女も、彼のこういう面も知っているのか。
論理ではなく、感情で動くところ。
物事を深く考え始めるのに時間がかかるところ。
彼のことを理解しているつもりだ。
でも、それでも、やっぱりそもそも彼がきちんと私に説明できていれば、ここまで私も彼女も気を揉まずに済んだだろうに、と考えてしまう。
その後、条件などを彼女と話し合った。
とんとん拍子で話がまとまっていった。
出会い方が違えば良きビジネスパートナーになってくれただろうと思った。なんだか少し悔しい。
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