第2話 邂逅

「……あちい……」


 放課後の教室。

 部活動に勤しむ若者たちの声がグラウンドから3階の教室まで元気に響いてくる。

 俺はその声に辟易しながら、頬杖をついて窓の外を眺めてぼやいていた。


 高校3年の夏。

 部活を引退し大学受験に向けての学業生活が本格化する今日この頃。俺は勉学に励むわけでもなくこうして友人を待っている。


「八重樫の奴、おせーな……」


 放課後例の件の作戦会議をするから残っとけって言ってたくせに、もう10分も遅刻してやがる。

 放課後に遅刻するってなんだよ、どういう生活送ってんの?


 一つ大きなため息をついたところで、ようやく教室の扉が開けられた。


 放課後の教室に残っているのは俺一人。勿論そんな場に訪れるのも八重樫以外ありえない。そう思った俺は窓の外を見ながら八重樫に説教を始めることにした。


「おせーな。どこで油売ってたんだよ」

 

「……」


 返事がない。珍しく反省しているのだろう。

 ふん、当然だ。こんな暑さの中で人を待たせるなんて重罪だ。


「ったく、EUに関してはピカイチだってのに日常生活はてんでダメなの、なんとかなんねえのか?」


「……」


 それでも返事はない。どうした、ホントに反省してるみたいじゃないか。

 無抵抗な友人を攻め続けられるほど畜生ではないので、少しフォローしてやることにした。


「……まあ次から気を付けて呉れりゃいいけどさ。頼むぜ友人、もうじきあの姫宮に一泡——」


「私が、何?」


「……へ?」


 おかしい。

 八重樫の声にしては随分高く、透き通った凛とした声。


「私に一泡吹かせるって? どういうこと?」

 

 俺は恐る恐る振り向こうとした。

 しかし首は一向に回らない。

 カラダが拒絶反応を示しているとかではない。いや勿論振り向きたいわけではないが……


「答えないの? それともこのお粗末な脳みそごと頭蓋を握りつぶされたいの?」


 頭をわしづかみにされていた。

 わしづかみっていうかもう砕きに来てるよねこの人。

 

 つーかめっちゃ痛い! 五本指の一本一本が俺の頭にめり込んでいくのを感じる。何このパワー! 怪力すぎんだろ。


「……ひ、姫宮さん、これはこれは奇遇で――ッぎっ!」


 痛みがさらに強まった。


「毎日顔を合わせる同クラスの相手に対して奇遇だなんて、アンタやっぱり私のことバカにしてるわよね? 一泡吹かせるとか、おかしなこと企んでるみたいだし、やっぱりここで死んどく?」


 お茶しない? みたいなテンションで殺害を示唆するな。怖すぎるでしょうが。


「ちょっ、マジで痛いっ、たのむ、許してくれッ……」


 俺は痛みに耐えかねて頭を掴む彼女の手を掴んだ。


 ――瞬間


「――ひゃっ!」


「……え?」


 頭部を締め付けるような痛みは即座に消え、代わりに可愛い女性の声が背後から聞こえた。


 誰の声だろう、などと。


「え、えーと……今の声は……」


 恐る恐る振り向くとそこには、先ほど俺に掴まれた手を労わるように胸に充てている因縁の相手——姫宮ユウカの姿があった。


 桃色のロングヘアを一本に束ねたポニーテール。同い年とは思えない大人びた雰囲気に包まれている彼女を見ると、いつも息が詰まるような感覚に陥ってしまう。


 そんな彼女が顔を真っ赤にして、こちらを睨みつけている。

 口をとがらせて、


「……きゅ、きゅうに触んな、バカクズアホド畜生。うったえるぞ」


 涙目になっている……え、俺なんかしたか?

 というか、語彙が数段階退化してない?


「お、おおおおおおおう、悪い」


 バカ。俺のバカ。

 何をキョドってんだ。

 宿敵の思わぬ恥じらう顔になぜか俺まで恥ずかしくなっていた。


「つ、つーか、こんな時間に教室残って何してるのよアンタ」


「何って、友達待ってるだけ……」


「友達ぃ? アンタに友達なんているわけないじゃない。イマジナリーフレンドのこと?」


「想像上の存在じゃねえ。何だお前、俺の友達をペガサスか何かだと思ってんのか?  悪かったな、人間だよ人間」


「へ、へぇ~ それは驚いたわ、アンタみたいな畜生になり果てた人間と関わってくれる人間がいるなんて……」


 なぜか、しばしの沈黙が流れる。

 少しだけ焦ったような表情を浮かべる姫宮が続ける。


「……その友達って、ウチのクラスの人?」


「……ん?」


「良いから答えて。ウチのクラスの人? 男子? 女子?」


 何を聞こうとしてるんだコイツは……あれか? 弱みを握って揺すろうってか?


「……教える義理は無いだろ」


 俺も無駄に頑固であった。


「ふっ、ふーん、そういうこと、言うんだ……」


 これまたなぜかシュンと俯いてしまう姫宮。

 え、俺なんかした?


「そっか……湊に友達……放課後二人きりで会うような、―――だち」


「え? なんて?」


 消え入るような声だったので聞き取れなかった。


「……もう、――――られないってことね」


「え? なんだって? 成金になるしかないって? なにをいって――んぐっ!?」


 俯いてぼそぼそと何かを呟いていた姫宮の上半身が瞬時に跳ね起きてこちらに正対する。


 そしていつの間にか俺の頭は姫宮の両手に挟み込まれ、今にも膝蹴りを顔面に打ち込まれそうな姿勢になってしまう。


 ――あ、これプロレスとかでよく見る奴だ。頭固定して膝蹴り顔面にぶちこむ奴だ。


 俺は突然の死を覚悟して目を瞑る。


 ………………


 ………………………………


 ………………………………………………


 chu♡


「………………」


 ん?


「………………………………」


 んん?


「バカ……いつまで目瞑ってんのよ……恥ずかしいのはこっちだっての」


 ゆっくり目を開けた俺の視界に映るのは紛れもない姫宮ユウカのご尊顔。

 眉目秀麗才色兼備な彼女のプルンとした唇が夕日に照らされて艶めかしく見えるのはなぜか。


 俺はその答えを、恐ろしいその現実を理解する。


「………………………………………………ンんンんんだとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?!?!?!?!?!?!?!」


 さながら昨夜倒した暴漢のように、とめどない衝撃が体中に走り回った。


「……なによ、ばーか」

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