壱【蝦夷地へと潜入せし二人の事】・side玄1
「徳川刑部卿殿、一つ聞いてもいいですか?」
「どうした?」
俺たちは、護送船の狭苦しい操舵室の一角で休んでいた。
出発から結構時間が経つが、こっちは何もすることはなく、黙って座っているだけ。船員たちの方は忙しなく働いていているので、少しばかり居心地が悪い。
刑部卿は黙って煙草に火を点けては吸いきってもみ消し、また黙って吸い始めるという機械と化していたところだった。
やることもない。
気になったことを尋ねてみる。
「いえ、質問というか確認なんですが、ご自身は騒ぎになってから蝦夷地に渡られたことはありますか?」
「一度だけある」
刑部卿だって、基本的には都勤めだろうからな。
「最初の定期連絡が途絶えたという折に、一度現地に向かったが、函館の支部では状況が不明ということ以外分からず仕舞いで、またすぐにこっちに戻ってきた。それがどうした?」
「いえ……。ちょっと考えることが増えたなってだけですよ」
「おいおい。隠しておくつもりかよ」
彼は笑ながら煙草を灰皿でもみ消し、次の煙草を咥えた。
俺は自分のライターで火を点ける。
「それ以降は、どうしていたんですか?」
「函館の
「なら安心ですね」
そう呟きながら、俺はずっと次の動きを考えていた。
向こうからの声が聞こえている。
ずっと彼の話が一方的にもたらされているだけだが。
俺はおもむろに席を立ち、廊下に出た。
狭い通路の奥に、階下の囚人たちの部屋に降りる階段があり、その上には拳銃を帯びた男が警備のために立っている。彼と目が合ったものの、彼の方はこちらをじっと見ただけで微動だにしない。すぐに目線を外すも、彼にとっては眼球すら動かすほどのことではなかったようだ。
俺は廊下を折れて、トイレへと向かった。
個室で用を足しながら、持ってきていた呪符用の紙へ書き記す。
そして何もなかったかのように、部屋へと戻った。
「はあ……」と俺もポケットから、煙草を取り出す。「吸ってもいいですか?」
「ああ、好きにしてくれ」
「それにしても……いいのを吸ってますよね」
刑部卿の金属製の煙草入れを触り、そのついでに先ほどの紙を下に滑り込ませる。
「中身は、どこにでもあるものだぞ」
彼は煙草入れを触り、下に挟み込んだ紙に気づいた。
先ほど紙には、こう書いた。
『蝦夷と弘前を往復している船員たちは、向こう側の可能性がある』
彼は紙片をこっそりと盗み見て、何食わぬ顔で甲斐へ渡した。
そっちも手のひらで隠しながら、素早い動きで紙の中を盗み見た。
二人とも平然と、一ミリも顔に出さなかった。
さすがの手練れだ。
煙草をゆっくりと吸い、煙を吐く。
出発から結構時間が経った。
もう少しで蝦夷へ入るだろう。
俺は立ち上がり、前方を注意している男に話しかけた。
「なあ、蝦夷にはどのくらいで着く」
「まだまだ先じゃないですかね」
眼前には、暗い空の下にさらに黒く陸地が見えている。
「君たちは……俺らの味方だよな」
「そうに決まっているじゃないですか。変なことを聞かないでください」
「えっと、そうじゃなくてだな」
俺は、後ろを振り返る。
どうしようもないんだがという目線を送った。
「君は、私の敵なのか?」
「いいえ、そんなわけないじゃないですか」
「ここにいる全員が、か?」
「いいえ、私一人だけです」
彼の言葉で、みんながじっとこっちを睨み始める。
誰もが正気とは言えない目をしていた。
これはやばいなと思いつつ、俺は最後の質問を突き付ける。
「君らは、嘘つきなんだろ?」
「いいえ、正直者以外の何物でもないですよ」
そう言って、銃を引き抜かれた。
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