壱【闇夜に怪しき人影を見つけし事】・8

 僕を呼んだわけではなく、目線の先にある陰の中に彼は叫んでいた。

 声の先にあるものに僕も目を凝らす。

 地面に女の子が転がっていた。

 さらに、その先には……

 僕は、言葉を失った。

 ぼんやりと青い光を放つ人の姿が、あった。

 路地裏にある勝手口の扉と比べてみても、その背丈は鼻先を簡単にぶつけてしまうほどの大きさがあった。

 それにふさわしいだけの長い腕。

 腰まである長い黒髪が烏の濡れ羽のように夜に怪しく光った。

 死人のような薄い白装束をまとう姿はまさしく――


「幽霊ってやつか?」と僕が思った通りのことを玄海さんの口から発せられた。

「……」


『それ』は、何も言わなかった。

 しかし、そんなにもはっきりと見える幽霊があっていいものか。

 僕は玄海さんの後ろに近づき、小声で「僕が彼女を」と耳打ちする。

 一瞬戸惑ったような様子を見せたが、彼は小さく頷いた。


「お前は、何者だ?」


 玄海さんは、近づきながらそれに尋ねた。

 向こうは、少し玄海さんのことを気にしながらもゆっくりと首を揺らした。


「何をしたい……喋れるか?」

「シャbベr?」

 と『声』を発した!


 それに青白い手を顎に当て、少しだけ首をかしげる。

 こいつには知性がある。

 考えるだけの能力がある。

 人を殺し、喰らうだけの悪霊の類とは明らかに違っていた。僕は冷静に分析をしながら、そいつの一挙手一投足をじっくりと見つめていた。なるべく気取られぬように、静かにゆっくりと動く。

 玄海さんは、さらに自分に注意を向けようと話を続ける。


「名前はあるのか? 名前だ。わかるか?」

「ぬぁ……mあえ――なま、え」

「ああ、お前の存在を示すものだ。あるのか」

「ああああ、ああ、ああ……」


『それ』は両の手で頭を抱え込む。

 苦しんでいるような、困っているような声を上げる。

 僕は玄海さんの後ろからゆっくりと回り込んで、『そいつ』の足元に倒れこむ女性へと近づいていく。目と鼻の先に『それ』がいる。一歩と近づく必要もなく、体を少し倒すだけで、指先が僕へと届くだろう。素早く離脱するに限る。

 そのために、玄海さんはそれに話しかけているのだから。


 女の子――かなり若く、制服を着ていた――を素早く抱え込むと、僕は急いでその場を離れ、玄海さんの後ろへと下がる。最大の危機は脱したか。息を吐く。

 玄海さんは、静かに口を開いた。


「なあ、あれ、祓えると思うか?」

「……幽霊にも僕たちの術は効くという噂らしいですが、目の前のあれがそもそも何なのか……幽霊であったことあります?」

「ない」

「僕もないです。というか、幽霊なんですか?」

「わからないもんなぁ」


 目の前の不明の存在に攻撃をしかけることが、どう作用し、何を生むのか。分からないことが多すぎて、次の行動に移しきることができない。

 急に襲われた場合、抱えた女の子をどうしたらいいんだ。

 僕らが、何もできずにいると、目の前のそれは急に静かになった。

 ぼんやりと闇に立ち尽くす。


「お前は……、何者だ」と僕は問いかける。

「……」


 何も答えない。

 そして、『それ』は背後の闇に向かって走り出した。

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