第八十一話 絆は世界を超えて、異世界をも超えて
その届いた放送、届いた声に、会場は一気に騒然とした。
「どこだ!? この放送は、どこから……?」
「白瀬ヒカル、か? 一体どこに」
「間違いない、ヒカル君の声だよ!」
会場にいる大勢の人たちが皆、虚空を見回してその声の出所を探す。バルサンラジオを聞いていた人にとって、その澄んだ声の少年はお馴染みで、そして久しぶりでもあった。
機材の設置を担当し、恐ろしい目に遭ったことをキッカケに空手を始め、一緒に旅をする人気女子リポーターと恋仲になり、そして……彼女を守るために熊と戦い、重傷を負ってホイホイの中に消えて行ったその少年、白瀬ヒカルの事を。
「ヒカル君っ! どこだ、返事をしてくれっ!」
ありったけの肺活量で叫ぶ。まさか、今ここで彼が帰って来てくれるというのなら、もう何も望まない。今この場で、それ以上の幸運なんてあるわけが無いじゃないか!!
「ヒカ君、ヒカ君っ! どこー!?」
くろりんちゃんも涙声で叫び、まるで子犬のようにぐるぐる回りながら全方向を探す。ずっと想い続けていた、恋焦がれていた彼を。
そうだ、誰よりも君に会いたがっている彼女に、今までずっと君のホイホイに、何も見えない何も聞こえない砂嵐の映像に、健気に話しかけて来た少女に、応えてやってくれ、頼むっ!!
「ヒカ君……って、え? え、えええええ!?」
突然、素っ頓狂な声を上げ始めたくろりんちゃんに全員が注目し、そして……絶句した。
何と彼女の服が、その胸の前の部分が膨らみ始めたのだ。正確にはトレーナーの前部分が四角形に広がり始め、服の耐久力を超えてどんどん大きな長方形になっていく……
ビッ、バリバリバリ……バンッ!!
「きゃっ!」
彼女の上着が完全に爆ぜた。服を吹き飛ばしたその長方形は、そのまま彼女の目の前に浮かんで、停止していた。
「あれは……ホイホイか! ヒカル君の!!」
そうだ、彼女は最近ヒカル君の小ホイホイをブラの内側に仕舞っていた。無くさないように肌身離さず身につけていたいという思いと、もしかしたら自分の体温が向こうに伝わるんじゃないかという希望を共に抱いて。
「ホイホイが……大きくなった! って事は」
かつてホイホイが彼を、そして人を飲み込んだ時、そのウィンドウはもう出て来るのを禁止するように、人が通れない大きさに縮んでしまった。それが再び大きくなったのなら……出て来られるんだ、きっと!
「ヒカ君っ! ヒカ君、そこにいたのねっ!!」
ホイホイにすがり付いて、泣き笑いしながら呼び掛ける彼女。それを見た私達も一斉に彼のホイホイの前に群がる。
何と! 砂嵐だった映像が、向こうの世界を再び鮮明に映し出しているじゃないか!!
大勢の医師に囲まれて、鼻をつままれたまま上を向いて、真っ赤になっているヒカル君らしき人物が、その中央にいた。
「どうしたの、ヒカ君、まだ体調悪いの? 鼻血出てるよ、大丈夫?」
「って、くろりんちゃん、服、服っ!!」
「え、あ、きゃあぁぁぁぁーっ!」
うわぁ……さっきホイホイが大きくなる際、彼女の服をブラジャーごと突き破ったせいで彼女は上半身すっ裸だった。ヒカル君復活と言う緊急事態に全員の意識が行っていたが、ホイホイの向こうの彼はくろりんちゃんの上半身の裸(主におっぱい)に至近距離で対面したわけか。そりゃ彼なら鼻血も出るわな。
「ほら、これ羽織って!」
私のコートを脱いで彼女の肩にかけると、胸を押さえてうずくまっていた姿勢から素早く袖を通して、一番上のボタンだけをかけて再び彼の映るホイホイに詰め寄る。
「ヒカ君、ヒカ君だよね。よかったぁ~、やっと見れたよぉ~」
歓喜と、安堵と、そしてうれし泣きの表情で訴えるように話しかける。ああ、そうだよな、恥ずかしさなんかよりも、今こうして彼の姿が見えた事の方が彼女にとっては何百倍も大切なことなんだ。
”クロちゃん、あの、その……ありがとう、ね”
画面の向こうのヒカル君が鼻にティッシュを詰めた状態で、くろりんちゃんに向かって、照れくさそうに話し始める。
”ずっと、ずっと、君の声、聞こえてた。僕もいっぱい返事したんだけど、届けることが出来なくて、ごめんね”
「ううん、ううん、いいの! 今こうして見られて、声を聞くことが出来て、本当に嬉しい」
ホイホイに両手をついて話すくろりんちゃん。ヒカル君もまた彼女の両手の平に自分の手を合わせて向かい合う、まるで窓ガラスを挟んで対面する恋人同士のように。
そうだ、未だ二人は、ホイホイのこちら側と向こう側に分断されていて、お互いが触れ合う事を許さなかった……あと少し、あと髪の毛一枚の差で、二人の手は触れ合う事を許されていなかった。
無情な光景だ。ずっとヒカル君を待ち続けていたくろりんちゃんの想いは察するに余りあるし、病院着を着たヒカル君は未だにあちこちにテーピングや包帯が巻かれており、顔の左耳から下に生々しい傷痕が残っている。あの恐ろしい熊と勇敢に戦った時のものだろう。
そして彼のすぐ脇のベッドには、お馴染みの電波ジャック用の通信機が置かれていた。声や映像が届かなかった彼は、ラジオの電波を使って、こちらの世界に声を届けていたのか。
そこまで頑張ったんだからもういいだろ、この健気な少年少女に、再会と言う名のご褒美をあげても!
しゃらあぁぁぁーんっ!
「縁が……繋がった!」
後ろで錫杖を地面に打ち付けてそう発したのは白雲さんだ。そうだ、彼はホイホイの向こうから戻るには、まずこちらとの『縁』を結ばねばならないと言っていた。それが今、繋がっているのか?
「彼は無線で声を届けた、こちらからしか届かぬ意思を、それで向こうから伝えた、つまり縁を繋げたのだ! なればこそホイホイの大きさが戻り、姿を見られるようになったのだ」
「でも、でも……ホイホイの向こうには行けないし、ヒカ君もこっちに来られないみたいなの」
くろりんちゃんが白雲さんに向き直って懇願するように叫ぶ。そうだ、ここまで来たらもう一声! 戻ってこいっ!
「忘れてはおるまい。このホイホイを作りし地球が、何を望んでおるのかを!」
そう、あの焼岳の火口で感じた地球の意思。それをなだめるには、私たち自身が地球を汚さないように生きて行く必要があるんだ。
「ヒカル君、聞こえるか! 君はこれから自然と共に生きて行かなくちゃいけない。世界を、地球環境を汚さないように、そう生きると誓ってくれ! そうすれば、もしかしたら……」
「ヒカ君、お願い、そう誓ってっ! 一緒に暮らそう、げんしじんみたいな生き方になるけど、いいよね、ねっ」
くろりんちゃんの訴えを最後に全員が息を飲む。静寂の中、画面の向こうのヒカル君が、ふっ、と息をついて、静かに、首を横に振った。
「……え?」
”違うんだ、湊さん、くろりんちゃん。地球が望んでいるのはそういうことじゃないんだ”
「な……んだと?」
彼の物言いに白雲氏が一瞬動揺する。無理もない、ヒカル君はあの火口に行っていない、黒部ダムで動物たちの意思も感じ取っていない。そんな彼が白雲氏の主張を覆えそうと言うのか?
ヒカル君はホイホイから一歩離れ、ひとつ深呼吸をしてから、真っ直ぐにこっちを向いて、その言葉を紡ぎ始める。
”このホイホイを作った人……おそらくは、『地球』に、伝えたいことがあります”
宣言のように言い始めた彼の言葉に全員が耳を傾ける。背後から誰かが「裏切り者ー」と嘆いたような気がするけど、ここはスルーしておこう。
”僕は、この世界に生まれてから、嬉しい事、悲しい事、いっぱいいっぱいありました。でも、それでも、僕はその世界が、あなたが、地球が大好きです”
その宣言をした時だった。彼のホイホイの画面の中央から、まるでさざ波のような波紋がひとつ、広がった。
”僕はそっちで、貴方の世界で、尊敬する人に出会いました、大好きな
またひとつ、別の場所から波紋が広がる。画面の向こうのヒカル君が波打って、そして収まる。
”雄大な富士山を見て、地球の美しさを実感しました。こんな美しい星に生まれた事を、心から感謝しています”
波紋が広がる。まるで嬉し涙が水たまりに落ちたかのように。
”想像の中で、ここよりいい世界に生きたいと思ったことはあります。でも実際に旅をしてみると、僕の想像よりずっとずっと、この世界は素敵でした!”
ふたつ、みっつ、地球が落とした涙が、彼のホイホイの画面を揺らす。
”怖い目にも合いました。でもそれで今より強くなることを目指す事が出来ました、それを助けてくれる人と出会い、その方法を教えてもらいました。僕の心を認めてくれて、黒帯を巻く事を許してくれました”
「やだ、あの子ったら」
大熊蘭さんの小さな呟きに呼応するように、またひとつ、ホイホイに波が走った。
”みんなと力を合わせて、世界中の人と繋がる事が出来ました。いつか、ラジオの向こうの外国に行ってみたいと思いました。世界の、地球の美しさを、もっともっと見たいと思いました!”
まるで湖に雨が降り注ぐように、画面が波紋に埋まっていく。
”僕がここに閉じ込められてからも、湊さんやくろりんちゃんは色々な所に行って、美しい景色を見て回って、美味しい物を食べることが出来て、多くの人たちと出会っていました。ずるいですよね、だから僕もそんな素晴らしい世界を、もっともっと体験したいんです”
まるで歌うように、彼は世界を称え続ける。ああ、ブリでよけりゃ腹いっぱい食べさせてやるよ。だから……
”あなたの生み出したこっちの世界でも、僕は救われました。大ケガを直してくれて、命をつなぐことが出来ました。本当に感謝しています”
雨が、波紋が、地球の涙が、彼の画面に降り注ぐ。もうそれはとめどなく続いて、向こうにいるヒカル君の映像を歪め続けている。
「何と……地球の望みとは、そうか! そうであったか!」
白雲さんの嘆きが聞こえた。そして、ヒカル君の言葉から、私達にもそれははっきりと理解できた。
「地球は……人間に好かれたかった、のね」
くろりんちゃんんがそうこぼす。そうだな、思えば私たちはこの世界を『つまらない』なんて思ったことは無かっただろうか。いや、間違いなくあった。何か失敗をした時、成功を手に入れられなかった時、やりたい事も出来ずに労働に縛られた時、誰かに叱られた時、何度も『もうこんな人生嫌だ』なんて思っただろう。
でも、それでも、人生は一度きりなんだ。この世界で生きて行く事を否定しちゃいけないんだ。そのためには、この世界をもっと、愛してけばいいんだ。
”だから、もう一度僕を、そちらの世界に、あなたの元に、帰らせてください!!”
そう宣言して一歩踏み出すヒカル君。ホイホイに正対すると、右手の平を画面に突き出す。そして……
バン!
彼の手の平は、画面の向こう側を叩いて……そして止まっていた。
「なんで、だよ。」
誰もが呆然と、そして愕然としていた。これでも、ここまでしても出してくれないのか、このホイホイは!!!
「そんなっ! そんな……」
くろりんちゃんが画面の向こうのヒカル君の手に自分の手を合わせて、泣き崩れる。無念の涙が、ぽたっ、と地面に落ちる。
届かない、届かない、のか。
その時だった。画面の向こうのヒカル君の手の平を中心に、今までで一番大きな波紋がひとつ、画面を広がっていった。
「あ!」
その波紋を起こしたのは、ヒカル君の小指だった。画面に手を付いた彼の手の小指だけが、その画面を貫いてこちら側に覗いていた。
「ヒカ君っ!!!」
くろりんちゃんがその指に、自分の小指を絡める。そう、あの時、彼をホイホイに押し込んだ時と同じように。
再会の約束を、ゆびきりりげんまんした、あの時と同じように。
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