第二十六話 半グレ共との争い

「くろりんちゃん、ヒカル君……逃げろ!」


「ヒカ君っ!」

「う、うん!」

 私の指示に応えて、くろりんちゃんとヒカル君がこの場から駆け出す。ヒカル君もようやく連中の危ない気配に気づいたようで、波打ち際を全力で走って避難する。


「あ、待て、逃げるなよ!」

 こっちに向かっていた男三人のうち二人が彼らを追いかけようとする。が、そうはいかないとばかりに私は彼らとくろりんちゃん達の一直線上に立ちはだかって。腰を落として両手を広げる。

「止まれっ!!」


「んだぁオッサン、邪魔すんじゃねぇ!」

 先を走っていた男が走りながらパンチを放つ。が、そんな雑な攻撃を食らうわけもない、奴にしても脅しで自分をすり抜ける為に放ったものだろう。

 そんな相手の意図に付き合う気はさらさらない。お前らみたいな半グレ者をあの子たちに近寄らせるものか!


 パンチをかわしつつその男の腰にしがみつくと、腕をクラッチしたまま釣り上げて、浮いた足を左脚で刈り飛ばして横倒しに砂浜に叩き付ける。

 どざん! という音と共に一人を薙ぎ倒すも、もう一人は私の横をすり抜けて行くが、仲間が倒されたのを見て一瞬ためらって足を止める。


 だが、思い直したように再びくろりんちゃん達を追いかけ始める。とはいえ今立ち止まったタイムラグで、すでに二人は百メートル以上先に逃げている。これならすぐに捕まる事はあるまい。


 と、連中の仲間の女が一人、二人を追う男に声を上げる。

「ちょっとー、あのボーヤはあたしのペットにすんだから、ちゃんと捕まえてよー!」

「うるせー、女優先だよ!」

 追跡者が振り向きもせずにそう返す。


 この下衆どもが! 


 久しぶりに湧き上がる感情をアドレナリンに置き換えて、全身の力を抜いて足をドンドンと砂浜に叩き付ける。はばかりながら柔道二段、こんな奴らにいいようにされてたまるか!



      ◇           ◇           ◇    



「はっ、はっ、はっ」

 砂浜をひたすら駆ける私とヒカ君。あの人達はどう見てもまともじゃない、お母さん風俗嬢のお客の中でもとびきりタチの悪い人たちと同じだ。もしつかまったら何をされるか分からない!


「ひぃ、ひぃ、ひぃ……」

 私の後をついて来てるヒカ君が苦しそうだ。はっきり言って足が遅い、このままじゃ私は逃げられても彼は捕まっちゃう、そうしたら……ヒカ君を見捨てて逃げるなんて出来ない。だったら!


「ヒカ君、二手に別れよう。アイツは私を追ってるし、私なら絶対に逃げ切れるから!」

 追って来る男の卑しい視線をはっきりと感じる、もし二手に別れたらアイツは私の方を絶対に追って来る。


「だ、駄目、だよ。女の子、を、守ら、ないと……」

 息も絶え絶えにそう返すヒカ君。多分彼のことだから、私をオトリにして逃げるなんて卑怯でカッコ悪いと思ってるんだろう。

「お願い! ヒカ君捕まって人質にされたら私も逃げられない。大丈夫、足には自信があるの!!」


 後ろを振り向くと、追って来る男はぐんぐん距離を詰めてきている。このままヒカ君のペースで逃げてても追いつかれる、もしヒカ君がアイツに暴力されでもしたら、私も彼を見捨てて逃げるなんて出来ない!



 ヒカルは走りながら、ただただ自分の情けなさを痛感していた。悪漢との戦いを湊さんに押し付け、今またくろちゃんの走るペースについていけず、追って来る男に距離をどんどん詰められている。

 彼女は別に逃げろって言うけど、そんなことしたらあの男はくろちゃんの方に向かうにきまっている。それで自分だけ逃げきるなんて、そんな事出来ない!


 でも、このままじゃ……どうすれば……


 ―自己防衛の手段を考えておいてください。最低でも車から離れなければ身を守る箱になりますから―


 ふと、あの富士宮で出会った刑事さんの言葉が浮かぶ。そうだ、車に逃げ込んで鍵をかければ身を守れる、それで運転してくろちゃんに合流すれば……僕に、車の運転が出来るだろうか。

 でも、やるしかない!


「分かった、絶対に捕まらないで、必ず助けるから!」

「うんっ!」


 海岸線を駆け抜けるくろちゃんと離れ、そのまま丘の方へと駆け出す。目指すのは少し離れた所に止めてある中継の車!



      ◇           ◇           ◇    



「あれー、ボーヤと女別れちゃった」

 喧嘩を傍観していた女どもが、くろりんちゃん達の走り去った方向を見てそう声を出す。確かに横目で見ると、ヒカル君だけが海から離れて道路の方に向かっている。追跡者はそれに目もくれずにくろりんちゃんを追いかけ続けている……ヒカル君、何を?

  

「かっこわるーい、女をオトリにして逃げるなんてねー」

「これはお仕置きが必要だねぇ、行って来る」


 女の一人がそう言って駆け出し、ヒカル君を追う。この女、意外に足が速い! 砂を巻き上げてヒカル君に、その先にある私たちの車に突っ込んでいく……間に合うか!?


「ドコ見てんだよ、オッサン!」

 ばちぃん、と足元から音がする。さっき薙ぎ倒した男が私の足にローキックをくれやがった、痛いなこの餓鬼!

 だがこんな素人丸出しの蹴りで音を上げるわけにはいかない。効かんなぁとばかりに蹴られた足でドンドン地面を足踏みする。


「あの娘はあんたたちの奴隷、ボーヤは私らのオモチャでしょ。で、このおっさんどーする?」

 残った女の内のひとりが胸が悪くなる言葉をぬかし、それに応えてもうひとりの女がさらに毒を吐く。

「死刑でいーでしょ。あ、そうだ。解体ショーでもしよっか」

「いーねぇ」

 そう相槌を打った後、ゲラゲラと笑う女二人。キチガイもいいところだな、こいつら。


「へっ、気の毒になオッサン。ウチの女は怖いぜぇ」

「ま、せいぜい頑張れや。いいサンドバッグ期待してるぜ」

 そう返す男どもに女どもは「ヤーヤー」などと歓喜している。あーこいつら、人を殺しておいて「死ぬとは思わなかった」などと平然とぬかす輩だな。


 上等、こちとら建設会社ガテンの人間じゃ、お前ら程度のワルソはなんぼでも見てるわ!


面白いおもっしょいな、そこの阿婆擦れども」

 傍観を決め込んでいる性悪女二人を睨め据えて、低い声で言葉を叩きつける。

「こいつらノしたら、おどれら手足ちょん切って、ケツの穴に手ぇ突っ込んで、内臓引きずり出したるけんの」


 あくまで静かに、高揚の無い声でそう告げる。案の定女どもの表情が一瞬で変化する。

「な、なにこのオッサン、キモっ!」

「当然じゃろが、殴るなら殴られる覚悟、殺すなら殺される覚悟するんは当たり前じゃ。さっきワシを解体するとかぬかしとったのぉ」

 頭が子供のまま体だけ大人になった餓鬼ども、自分たちのする事は悪ふざけで済ましとって自分がされる側になったら非道ぶる甘ったれが!


「吐いたツバは飲ませんぞ!!」


 満を持して叩きつける怒声に、青い顔をして固まる女二人。

「ちょ、さっさとこのオッサン殺しちゃってよ」

「あたしたちを脅すなんて許せない、やっちゃって!」


 フン! と鼻息を鳴らして四人を見回す。女どもと、さっき蹴りやがった男は明らかにビビっているが、もう一人の男だけは平然とこちらを睨んでいる、なるほど、こいつがリーダーか。


 私はさっきの男の方にすたすたと歩いて近づくと、そのまま形だけのファイティングポーズをしている男の右腕を取り、体を半回転させて腕を肩に巻き込み、担ぎ上げて背中から砂浜に叩き付ける。得意の一本背負いがまともに決まり、投げられた男は腰を押さえてエビのように反り返り、苦しそうに悲鳴を上げる。

「ぐ、はっ、が、がぁぁぁっ!」



      ◇           ◇           ◇    



「はっ、はっ、はっ」

 くろりんは相変わらず走りながら、でもこのままじゃいけないと思い始めていた。今もあそこで湊さんが悪漢どもと戦っているし、ヒカ君もやつらに捕まらないとも限らない。


『いいかいくろりん、女は自分の身は自分で守らなきゃだめだよ』

 ふと、お母さんに言われたことを思い出す。母は職業柄タチの悪い男に絡まれることが多かった。その対処を武勇伝としていろいろ聞かされていた……そのときは小学生の娘にする話じゃないよ~、なんて思っていたけど。

(本当にもう、お母さんってこんなことばっかり役に立つんだから!)


 心でそうこぼしつつ、こう言う時の対策を実践する。わざとペースを落とし、呼吸を荒くする。

「ゼェ、ゼェ、ゼェッ」

 腕を力なく下げ、よたよた走りに移行して、相手の足音が近づくのを待つ……あと三歩、二歩、今!


 ぱしっ!

「捕まえたぜ、子猫ちゃん!」

 左手を男に捕まれる。私は待ってましたとばかりに振り向くと、その男の腕を取って……


 がりっ!


 思いっきり噛み付いてやった。

「痛っつーーっ! こ、このアマぁ!」


 こういう時、男は怒り狂って大袈裟に拳を振り上げ、女を怖がらせたうえで殴りかかると母は言っていた。でも、その時間がチャンスなんだと!

「ええいっ!」

 開いた男の股の真ん中を思いっきり蹴り上げる。


 どずん!


 鈍い音と共に男が目をむく。男の人の玉は内臓の一部で、ここを蹴られるとまともに走れなくなるそうだ。鬼ごっこの最中にこれを決めたら、もう捕まることは無い、と。


 でも、目的は逃げる事じゃない。


 私は来た方向に戻るべく駆けだした。私が行っても湊さんの力になれるかは分からない、なにより湊さんがそれを望まないだろう。でも、このまま逃げて湊さんに、ヒカル君にもしものことがあったら……そんなのは、絶対に嫌だ!

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