同じ頃、久我は、校内にいた。

 昨年から高等部の神学の授業を引き受けている久我には、学内のことには少々覚えがあった。陽たちから画像が送られてきたトモダチ人形によく似た人形を、昨年の文化祭で目にした記憶があったのだ。

 人の気配がしない校内を久我は大股に歩いて行った。

 家庭科室を目指していた。

 放課後の家庭科室は、家政部と手芸部が部活動に使用しているが、今日は活動日ではない。

 それにも関わらず、たどり着いた家庭科室は施錠されておらず、手芸部の作品が展示された飾り棚の傍に佇む人影があった。

「やあ、待たせたかな」

と、久我は言った。

 対する相手は、じっと粘着質に久我を見つめるだけで一言も発しなかった。

 年若い女である。手芸部の顧問だった。

 その場に立ってはいるものの、体は傾いでいて、心ここにあらずといった様子だ。

「人形見たよ。羽山くん達によく似ていた」

 久我が語りかけると、まるで返事をするかのように、飾り棚の中で、一際大きい人形がガタリと傾いた。

「年貢の納め時だ、三邦先生。君の可愛い人形はすべて引き渡して貰おう」

 三邦優衣は、喉の奥から獣染みた唸り声をあげた。

 呼応するように、室内の棚や椅子、机がガタガタと震える。

「ずいぶん昔から呪術に手を染めていたようだな、悪魔憑きが、かなり進んでいる」

 頬は青白く、痩けている。人形を作った時に精気を吸われたのだろうと、久我は推察した。

 三邦が身を低くして飛びかかってくるのを受け止めて、久我は、相手に聖水を浴びせた。

「アアアアアアアアアアア!」

 三邦の体から煙が上がり、痛みを訴える絶叫が響く。

 久我は、思っていたよりも与えたダメージが大きいことに躊躇した。

 三邦は、床の上でのたうち、爪で床をガリガリと引っ掻いた。

 久我が、聖別された典礼帯ストラで三邦の体を巻くと、悶えていた体は力を失い大人しくなる。

「ホンボシは、棚の中だ」

 先ほど棚の中で動いた人形が、睨むようにして久我を見上げている。

 その他にも、たくさんの三邦の作品に交じって、焦げ跡のある曰わくありげな人形がいくつも並んでいた。誰も気がつかなかったことが不自然なくらい、禍々しく、生々しい気配を纏った人形達だった。

「いい加減、彼女を解放して貰うぞ」

 久我は、そう言うと、人形を棚から取り出して、一纏めに紐で縛り上げた。

  

 チャーチでは、祈りが続いていた。

「主よ、憐れみ賜え」

 神父が先んじ、

「主よ、憐れみ賜え」

陽たち三人が繰り返す。

「キリスト、憐れみ賜え」

「キリスト、憐れみ賜え」

「主よ、憐れみ賜え」

「主よ、憐れみ賜え」

 唱え終わる頃には、トモダチ人形からはくぐもった呻き声が聞こえるようになっていた。

 市花は、貰ったメダイを縋るように握っていたし、京介はメダイはもちろん、隣にいる陽の腕をぎゅっと握っていて、陽は母の形見のロザリオを両手で握りしめていた。

「ああ、そろそろ来ますね」

 瀨之尾が言うと同時に、チャーチの扉が開いた。

 現れたのは、相変わらず黒いライダーズジャケットを来た久我と、うつろな顔をした三邦教諭だった。

 久我は、五体の人形を紐で一纏めにしてぶら下げていた。

「遅い」

と、瀨之尾は、別人のように冷たく言った。

「こいつら噛みつくんでね、時間が掛かったんだ」

 久我は、人形をぶらつかせながら言った。

「あとは、よろしく」

 そう言って、久我はひとつにまとめた人形を、瀨之尾に投げて寄越した。

 瀨之尾が、それを片手で受け止める。

 すると、それまで虚ろな表情をしていた三邦が

「返して!私のお人形っ!」

と、陽たちが授業で聞いたことのないような金切り声を上げた。

「なんで、三邦先生が……?」

 市花が縋るように、瀨之尾神父を見上げた。

「何故か、ですか。あなた方に人形を使って呪詛を掛けた張本人が彼女だからですよ。そうですね、三邦教諭」

 瀨之尾を睨みつける三邦の顔は悪鬼のように歪んでいた。

 典礼帯で巻かれて身動きの取れない三邦に、瀨之尾は聖水を振りかけ、右手で十字を切って清めた。

 三邦の体が、細かく震え始める。

 そして彼女は、その青ざめた唇から真っ黒な吐瀉物を吐き出した。

 タールのような臭いがする。吐瀉物の中には、釘やまち針が交じっていた。

 冷たいチャーチの床に蹲った三邦を、注意深く見据えながら、瀨之尾神父は、答え合わせをするかのように話し始めた。

「トモダチ人形には、話が四通りありますね。その話の一つ一つがここにある人形に対応しています。この四つです。そして、この五体の人形のうち、一番大きくて古びていて、縫製技術の拙い人形、これが噂で語られていない始まりの人形でしょう」

 確かに、神父の言うとおり、似通った大きさの四体に比べて一回り大きい人形ある。

「手近なところから遡りましょう。今から三年前、この人形が作られた」

 瀨之尾は、一縛りにされた人形から一体を選んで、ベンチに座らせた。

 人形は黒髪で、詰め襟の学生服を着せられていた。

「ちょうど、三邦教諭が教育実習生だった頃のことです。彼女と親しくなった少年がいました。彼は少し大人びていて、眉目秀麗で、何より彼女に憧れていましたから、三邦教諭はどうしても傍に置いておきたくなった。そこでまず、彼に与えるための新しいからだを用意したんです。得意のお裁縫で。強い執着で、自分の足の爪まで剥がして」

 瀨之尾が、学生服の人形をつかみ上げると、その腹の辺りでジャリと嫌な音がした。

 剥がした生爪が何枚かが、そこに埋め込まれているのだ。

 陽が傍らを見ると、京介が顔色を土色にして震えていた。

 犠牲になった少年に心当たりがあるのだと、陽は思った。

「体を用意したら、魂を取り出しに掛かります。手順はこう。髪の毛、血、剥がした足の爪あるだけ全部、黒猫のヒゲ、トカゲをあつめ、友達にしたいぬいぐるみか人形を持って学校へ行く。学内の使用されていない焼却炉を見つけ、封印を壊して材料と人形とを焼却炉に入れ燃やす。成功すると、何日か経った夜、燃やしたはずのトモダチ人形が帰ってくる。トモダチ人形は大切に扱わなければなりませんが、大切に扱ったからと言って呪いから逃れられるわけではありません。いつか、どこかで、ボロが出るように仕組まれています。ですからこの少年も、耐えきれなくなったのか、最初から相手にしなかったのか、おぞましい人形を突き飛ばした――」

「――俺、それ見てた。中学の頃、単に足滑らせたんやと思ってたけど、あれ、誰かに突き飛ばされたんやて皆言うてた」

「彼は意識不明で今も入院している、そうですね」

 京介も市花も、何度も頷いた。

「ただの意識不明ではありません。トモダチ人形を邪険にした罪で――彼は魂を奪われた。奪われた魂は悪霊に縛られて、トモダチ人形に入る。ここにあるのはどれも、そうして作られた人形なのですよ」

 陽の目は、トモダチ人形に吸い寄せられた。人形のどれもが悲しく恐ろしく、何よりおぞましく思われた。

「この人形は、この学校の高等部の制服を着ていますね。これは、彼女が高校生だった時、作ったものです」

 市花が悲鳴を上げた。

「それ以上言わんといて!」

 瀨之尾神父は口を噤み、市花は化け物を見るような目で三邦を見た。

 思い出したのだ、彼女が語ったトモダチ人形の話を。


 トモダチ人形はあなたの恋人。大切に扱わなければならない。

 惜しみない愛情を拒絶するなら、あなたも人形にしてしまいましょう。

 人形の胸をはさみで突いたら、あなたの命はもう戻らない。


――彼女は恋をした相手を人形にしたのだ。相手は呪いに抵抗して、人形をはさみで突いたというのに。


「ううっ」

 市花は、吐き気を飲み込んだ。

 典礼帯に巻かれて跪いたままの三邦は、体を捩り、首を捻って市花の方を向き、赤い唇を動かした。

「ロマンチックでしょう。私、この人形が一番好きよ、日比野さん」

 市花には、それはもう人間の声に聞こえなかった。魔物が人間の振りをしているとしか思えなかった。 

 三邦のうつろな目は、地獄に通じているかのようだった。

「あまり見ない方が良い。取り込まれる」

 そう言って、久我が、市花と三邦の間に立った。

「その前は、この小さい女の子の人形。この学校の中等部の制服を着ています。仲違いした友人に送った人形ですね。その子は意識が戻らないまま、今も自宅で看護を受けている」

 被害者は、市花の姉の同級生だった。

「そして、すべての始まりが、この人形です」

 一際大きなその人形を、瀨之尾は結わえられていた紐を外して持ち上げた。

 人形は、技術こそ拙いものの、他のものよりも手間も時間も惜しみなく与えられて作られている。水色のワンピースを着た幼い女の子の人形だった。黒い毛糸の髪の毛を三つ編みにしていた。

「ミゆきちゃん……」

 人形をそう呼んで、三邦は虚のような目から涙を零した。

「三邦さん、残念ですが、これはみゆきさんではありません。もっと卑劣で質の悪いものの魂です」

 三邦は、幼い子どもがイヤイヤをするように首を振った。

 瀨之尾神父は、人形に聖水を振り、十字を切って清めた。

 すると、人形は、ひとりでに、右へ左へと体を揺すり始めた。

 お下げに結われている毛糸でできた三つ編みが、バサリバサリと揺れ動く。

「全能の神、父と子と精霊の御名によって命じる。悪しき者よ、正体を現せ」

 瀨之尾が命じると、人形と三邦はそろって苦しげに身悶えた。

「いつから彼女に憑いているんです」

 瀨之尾が尋ねると、人形は抵抗でもするようにぱたっぱたっっと手足を動かした。

 茶色い大きなボタンでできた目が、虚ろに陽たちを見つめている。

 程なくして三邦の体は力を失い、床にうつ伏せに倒れ伏した。

 三邦は、首だけを捻って上を向いた。

 人間の可動域を超えて動いたその首は、顔の正面を背中の正中線にまで到達させていた。つまり、顔が真後ろを向いていた。

 そして、嗄れた声が、三邦の唇を使って語り始めた。

「この娘がまだ五つだった頃、友達が居なくて泣いていたのを俺が慰めてやった」

 喋る度に三邦の皮膚はぼろぼろと剥がれ、歯は黄ばみ、痩せていく唇のせいで汚い歯並びが剥き出しになった。それは別人の様相だった。

「友達が居なかったんじゃない。お前が作らせなかったんだ」

 久我は、身震いしそうなほど冷たい目で、三邦の口を借りて喋る悪魔を見下ろしていた。

 悪魔は、目を細めて心底愉快そうに笑った。その口から呼気が吐き出されて、硫黄の嫌な臭いが当たりに広がった。

「十二歳の頃、この女に友達ができた。ミユキという名前のガキだ。オカルトが好きで、こいつが妖精に会わせてやると言って仲良くなった。妖精?そうさ、この俺のことさ!俺はこいつともそのミユキとも仲良くしてやったからな、当然二人も仲良くなった。そうしてちょうどよく仲良くなった頃に、俺はミユキを殺してやった!トラックでぺっちゃんこだ!」

 京介は耳を塞いで蹲り、市花は声を殺して泣いていた。

 それを見た悪魔は、暴れようとして体を震わせ始め、それを見た久我が、悪魔を抑えに掛かった。

 悪魔と対峙しているのは、久我と瀨之尾を除けば、陽ひとりきりだった。

「その後、俺は教えてやった。友達の魂を呼び戻せと。でもなあ、呼び寄せた魂は俺が喰ってやったんだ。人形の中身は俺さ。ミユキちゃんなんか居やしない。他の人形もそうさ、魂は全部、俺が喰ってやったんだ。トモダチ人形の噂を流してやったら、真似したやつらの魂まで手に入った。ここは俺様の狩り場さ!」

 悪魔は、目を剥いて叫び、依り代になっている三邦は静かに涙を流した。

 悪魔は、それを喜んで笑った。

「そうかそうか!悲しいんだな!ミクちゃんは!」

 陽は、あの日回ってきた黒いメモの手触りを思い出していた。

 あれが悪魔の罠だったのだ。

 首筋にナイフでも突きつけられたかのような戦慄を陽は感じていた。

 自分たちもあの手紙に踊らされて、トモダチ人形の儀式をしてしまうところだったのだ。

「言いたいことは、これで仕舞いですか」

 絶対零度の冷たさで瀨之尾神父は言った。

「三邦さん。あなたも、よくわかりましたね。この者が、あなたの味方ではないということが。よく省みることです」

 そう言って、瀨之尾は促すように、三邦を押さえ込んでいる久我の尻を蹴っ飛ばした。

 久我は、ちっと舌打ちをして、いよいよ最期の時に備えて暴れ出そうとする悪魔を押さえつけ、瀨之尾と声を合わせた。

「大天使聖ミカエル、戦いにおいてわれらを護り、悪魔の凶悪なる謀計に勝たしめたまえ。天主のかれに命を下し給わんことを伏して願い奉る。天軍の総帥よ、霊魂をそこなわんとてこの世に現れる古き敵たちを、天主の御力によりて地獄に閉込めたまえ」

 三度唱える間に、三邦に取り憑いた悪魔はひどく暴れた。

 三邦の体を巻いている典礼帯とは別に、瀨之尾は自分の肩から掛けている紫の典礼帯を三邦の頭にかぶせ、その典礼帯越しにそっと手のひらで額に触れながら、辛抱強く祈りを唱えた。

「全能の神、父と子と精霊の御名によって命じる。悪しき者よ、地獄へと帰れ」

 陽も、市花も、京介も祈りながら、神父に声を合わせた。

 放置されていた人形達から、黒い煙が上がった。

 焦げくさい臭いが充満する。

 陽は、市花と京介の手を引いて人形から遠ざけた。

「全能の神、父と子と精霊の御名によって命じる。悪しき者よ、地獄へと帰れ」

 人形から炎が上がる。今度は、白く強い光だった。

「くそお、あの野郎め!俺の首を取りに来やがった!」

 髪を振り乱して三邦の中の悪魔ががなった。

「大天使聖ミカエル、戦いにおいてわれらを護り、悪魔の凶悪なる謀計に勝たしめたまえ。

天主のかれに命を下し給わんことを伏して願い奉る。天軍の総帥よ、霊魂をそこなわんとてこの世に現れる古き敵たちを、天主の御力によりて地獄に閉込めたまえ」

「ああああああ、やめろ!来るな!」

 白い閃光がチャーチの中を上へ下へと稲妻のように走った。

 まるで首でも落とされたかのように、悪魔の宿った三邦の体は床に倒れ伏し、チャーチの中は静かになった。

 悲しい人形達は一体残らず灰になり、崩れ去っていたが、不思議なことに置かれてたベンチには少しの煤も焦げ跡も残っていなかった。

「やっつけたの……?」

 陽は尋ね、瀨之尾神父は

「あるべき所へ帰りましたよ」

と、微笑んだ。

 久我は、すっかり気を失っている三邦をベンチに寝かせていた。

 彼女を寝かせ終えた久我は、ふり返ると陽たちの方をふり返り確認した。

「体調は大丈夫か?羽山は大丈夫そうだな。日比野と蓮見は?」

 二人は、首を横にふった。京介は、腰を抜かしていたし、市花は、膝が震えて立てなかった。彼らが持たされていたお守りのベネディクトのメダイは真っ黒に変色していた。

 瀨之尾神父が二人に近づいて、聖水を振りかけ、祝福を授けた。

「あっ」

「動ける……」

「なんか、楽になった」

「不思議」

「気持ちに左右されるものですから。楽になって何よりです」

 瀨之尾神父は、嬉しそうに微笑み、市花も京介もその美しさに思わず見とれた。

「三邦先生はどうなるの」

 市花が尋ねた。

「この時間の記憶がどうなっているか次第でしょうね。忘れている方が幸せですが。まあ、どちらにしろこんな荒っぽいことしておいて、久我が警察のお世話にならないということは、ないでしょう」

「その時はお前を主犯で引っ張ってやるからな」

 双方が美しい顔を歪ませているのを見て、この二人は啀み合わずにはいられないのだな、と陽は理解した。

 大人が当てにならなさそうなので、陽は、独断で三邦を起こしにかかった。

「三邦先生、三邦先生。しっかりしてください」

 声をかけ続けていると、やがて三邦は目を開けた。

 そして、心配そうに覗き込んでいる陽たち三人の学生の顔を見るなり、消え入りそうな声で「ごめんなさい」と言った。

「私、悪いことだってわかってたのに……」

 三邦は、震える声でもう一度謝った。

「……ごめんなさい」

 久我は、彼女に記憶が残っていることを知って、哀れそうに三邦を見遣った。

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