7
週明けの金曜日、陽が学校へ登校してくると、教室は、騒然とした雰囲気に包まれていた。
「どうしたの」
クラスメイトに尋ねると、その場にいた全員がバツの悪そうな表情を浮かべた。
騒動の原因は陽の机の上にあるらしかった。悪戯でもされたのだろうか。
机の周囲をぐるりと囲んでいたクラスメイト達が一歩ずつ退いて、やっと目にすることができた陽の机の上には、一体の布製の人形が乗っていた。
人形は、ところどころ黒く焦げていて、燃やされた痕跡があった。
「トモダチ人形……」
陽は思わず呟いていた。
教室中が、はっと息を呑み、陽の額から冷たい汗が滲んだ。
陽は首から提げている聖母マリアのメダイを、ワイシャツの上からぎゅっと握った。
「あのね、羽山くんだけじゃなくって……」
傍に居た女生徒が他の机も指さした。
市花と京介の机にも、同じように黒焦げのトモダチ人形が置かれていた。
――これは呪いだ。俺たちを呪っている。
二人はまだ登校してきていなかった。
陽が、慌てて、教室の外へ飛び出すと。
「おっと、羽山。慌ててどないしたん?」
京介とぶつかりそうになった。
「おはよう、ふたりとも」
その後ろから市花が合流する。
「……トモダチ人形がでた」
陽は血の気の失せた唇を動かして言った。
途端に、市花も京介も顔色が変わった。蒼白だ。
「机の上にある」
二人は視線を泳がせて、動揺を隠しきれずにいたが、やがて市花は心を決めたようだった。
「ふたりとも。トモダチ人形は友達のように扱うのが鉄則やからね」
そう忠告して市花は先に教室に入った。
市花は、他のクラスメイトに挨拶したのと同じように、黒焦げの人形にも「おはよう。良い天気やね」と声を掛けた。そして「この後、授業だから後でね」と言って鞄に仕舞った。
教室がざわつく。
しかし、陽も京介もこれに倣った。
その後も、休み時間の度に人形を取り出して話しかけ、機嫌を取った。
もちろん、返事はない。
昼休みにもなれば、京介に我慢の限界が訪れていた。
「これ、ここまでせなあかんか?迷信やで。けったくそ悪い」
京介は人形を食堂の床へ投げつけた。
その時、京介のすぐ横で、大きな窓硝子が突然割れた。
破片が京介に降り注ぐ。
無傷で済んだのが奇跡的だった。
すぐ傍の食堂のテーブルや椅子には、いくつもの硝子の破片が深々と突き刺さっていた。
つまり、これは単なる警告にすぎないことを示していた。
京介は青い顔でトモダチ人形を拾い上げた。
「ねえ、羽山。久我先生に連絡してくれへん?」
市花は言い、陽は、すぐに連絡を取った。
久我からの返信は早かった。放課後、学校のチャーチで待つようにとの指示があり、陽は、残る二人にもそれを伝えた。
加えて、人形の写真を送るようにとの指示もあったので、陽は、三体並べて写真を撮った。中々シャッターが降りずに何度も取り直したが、6度目にして上手くいった。
「これから放課後まで長いな」
京介がぽつりと言った。
午後の授業を告げる予鈴が鳴った。
あまりに長い午後の授業を終え、陽たちは学内のチャーチにいた。
一応は、出入り自由となっているチャーチだが、陽たち以外に、他に誰の姿もなかった。
木製のベンチに、自分たちと同じようにトモダチ人形を座らせて、陽たちは俯いて座っていた。
トモダチ人形は、手足がボタンで留められていて、ある程度、可動する構造になっている。テディベアに似た作りだ。フェルトが用いられていて、洋服もフェルトで仕立てられている。
一体は黄色いワンピースを着ていて女の子の人形に、二体は白いシャツに青いオーバーオールを着ている男の子の人形に作られていて、髪型や目鼻立ちの雰囲気が、それぞれ陽たちの特徴を踏まえていて不気味だった。
陽たちのことをよく見て、よく知っている人物でないと、この人形は作成できないからだ。
人形からは、焦げ臭いだけではない異様な悪臭がしていた。
ぎいと扉が開く音がした。
待ち焦がれていた陽たちが後ろを振り向くと、そこに居たのは久我ではなく、神父の瀨之尾だった。
彼が姿を見せると、人形から立ち上っている焦げたような悪臭が強まった。
「久我は、少々遅れますので、私が先に来ました。大変な目に遭いましたね」
瀨之尾神父は、慈愛に満ちた表情で、三人に微笑みかけた。
天使が現実に存在するならこの人のような見た目に違いないと思わせるような美しい微笑みだった。
「まずは、清めておきましょうか」
神父は、陽たち三人に聖水をふりかけた。
「お祈りの方法はわかりますね」
神父に言われて三人は声を合わせた。
「父と子と精霊の御名においてアーメン」
「では、件の人形というのを見せてください」
神父が言うので、三人は人形を置いたベンチをふり返ったが、そこには何もない空のベンチがあるだけだった。人形がなくなっている。
陽は声を失い、市花は喉をひっと鳴らして後退り、京介はうろたえて瀨之尾を見上げた。
動じていないのは神父一人だ。
「おや、嫌われたみたいですね」
瀨之尾は、身にまとっている黒い司祭服の裾を翻し、すたすたと出入口近くのベンチまで歩いて行くと、すっと背を屈めた。
そして、
「居ましたね」
長い美しい指で三体の人形を拾い上げた。
「逃げられませんよ」
と、瀨之尾は優しく端正な顔に微笑を浮かべた。
「久我はまだ間に合っていませんが、始めてしまいましょうか」
聖壇へ向かいながら瀨之尾は言った。
「では全員前の席へ。そして祈ってください」
三人は、学校の礼拝でするように、神父の声に併せて祈りを唱えた。
「天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く、地にも行われんことを。我らの日用の糧を今日、我らに与え給え。我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え。我らを試みに引き給わざれ、我らを悪より救い給え」
最前列のベンチには、人形が乗せられ、ぼんやりと神父を見つめていた。
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