解散後、京介と陽の動きは素早く、市花が夕食を終える頃には、彼女のスマホに、調査結果が報告されていた。

 陽の祖父の在学中に、トモダチ人形の噂はなく、京介の母の在学中にもなかった。京介は、母の八つ下の末の妹にまで聞いてくれていたが、その世代でもまだ、トモダチ人形の噂は存在していなかった。

 市花は、簡単な年表を頭の中で組み立ててみた。

 陽の祖父が昭和三十年から昭和三十六年、京介の母が昭和五十二年から昭和五十八年、京介の叔母が昭和六十年から平成二年、市花の姉の在学期間が平成十五年から平成二十一年だ。

 市花は思った。トモダチ人形の発祥時期は、この平成二年から十五年までの空白期間か、姉の世代そのものが発祥なのだろうと。

 その夜、市花は、姉の帰宅を遅くまで待っていた。

 姉の美月みつきは、日付がかわり、真っ暗になってるはずのリビングに煌々と灯りが付いていることに首を傾げた。

「おねえ、おかえり」

「ただいま。市花、アンタまだ起きてたん?」

「おねえを待ってた」

 姉妹は年が離れているから喧嘩をしないだけで、姉妹仲は良くも悪くもない。

 妹が自分を待っていたことなど、ただの一度もなかったから、美月は残業帰りの頭をフル稼働させて考えた。

 仕事でこんなに遅くなって帰ってきたのに、妹が起きていて、自分を待っているということは、両親と喧嘩したか、両親に言えないお願い事か相談があるに違いない。

 美月は、そう考えた。

「市花、何かあったん?」

 声を掛けると、市花は待ってましたとばかりに食いついた。

「おねえさ、またトモダチ人形の噂聞かせて」

「そんなことのためにこんな時間まで起きてたん?」

「だって気になるねんもん!」

と、市花は、甘えて悪びれない。

「晩ごはん、今日はおねえの好物にしといたからさぁ」

 市花は、冷蔵庫の中から、美月の分の夕食――グラタンを取り出して得意げに言った。

「手ぇ洗ってくるから温めといて」

 美月は、そう言って、洗面所に向かった。

 グラタンは確かに美月の好物だったし、同時に市花の得意料理でもあった。

 この頃は、美月は帰りが遅いので夕飯の用意は断っていて、レトルトカレーやカップ麺で済ますような日々が続いていたし、食事時はいつでも独りだった。

 美月は、今夜は妹を目の前に、久しぶりのまともな食事にありついていた。

 カリッと焼けたきつね色のチーズにフォークを刺すと、中からホワイトソースがとろりと溢れる。湯気の立つマカロニをふうふう吹きながら口に頬張ると、体の芯から温まる気がした。

 美月は、五月とは思えないくらい冷え切っている自身の体と心を自覚した。

 今の生活は心が冷たい。美月は長い溜息を吐き出した。

 少しでも人間らしいことをしないと。

 そう思って、美月は妹のリクエストに応えることにした。

「それで、何が聞きたいって?」

 こうして真正面から妹の顔を見るのは、2年ぶりのことだった。就職してからほとんど会っていない。妹は、自分が思ていたよりずっと大人になっていたし、体つきや面立ちだけでなく、心の配り方にも成長を感じた。

「前に聞いたトモダチ人形の噂、あれっておねえがいくつくらいの時に流行ったやつ?」

「えっとね、私が中学2年の時。その後またブームあったらしいねんけど、私高二で、留学中やったから、詳しくは知らんねん」

「二回目?二回目があったん?」

「一年間カナダ行って帰ってきて、「うちがおらん間どうやった?」って友達に聞いたら、誰が付き合って別れたとか、誰先生が結婚したとかって話と一緒に、「またあれ流行ってんで~」って感じで聞いた」

 市花は、怪談を楽しむにしては深刻な表情で美月の話を聞いていた。

「二回目に流行った時も、話の内容は同じやった?」

「それはわからへんわ。二回目は詳しく聞いてないねん。あの話、あんまり好きとちゃうかったから」

「その割によう覚えてるやん」

「当たり前やん」

と、美月は言った。

「最初に、その話が流行った時、私やって見ようとしてたんやから」

 空になった皿の上に置かれたフォークが、カランと音と立てた。

「もうひとり、お姉ちゃんおったの、市花も知ってるやろ?私が生まれてくる時、双子で、一緒に生まれてきたけど、へその緒が絡まってて死んでしもうた奈月(なつき)のこと。私、トモダチ人形で奈月が戻ってくると思ってん。ママが爪と髪の毛を大事に残してあるの知ってたから。髪の毛をちょっとだけ貰って、他の必要なものを用意した」

 美月は、落ちてきた前髪を書き上げると、しばし動きを止めて考えこんでいるようだったが、「ビール取ってくるわ」と言って立ち上がった。

 冷蔵庫からビールを取り出し、グラスに移さずに開栓した瓶ビールをぐいとあおると、美月は話を再開した。

「人形を手作りして、材料を鞄に入れて、さあ今日の放課後にやるんだと決意して家を出ようとした。そしたら、いつも朝の子ども番組見てて、私のことなんか放ったらかしのアンタが、すごい強張った顔で私のところへ来て、「ねえね、そんなんしたらあかん」って泣き叫ぶねん。パパとママが、二人がかりでひっぱっても、私にしがみついて離れへん。「やめて、そんなんあかん」って私にひっつくねん。その日、結局、学校行かれへんかった。私が学校行かへんことがわかった途端、アンタ、憑き物が落ちたみたいになって寝てしもうた」

「……全然覚えてへん」

「高校の時のうわさは、友達に聞いてみても良いけど。確か、同級生で今、学校に戻って先生やってる子がいたはず。その子に聞いてみたら?」

「え、誰先生?」

 市花は、食卓に身を乗り出した。

「あんまり知らんねんけど、三邦って子」

「……三邦先生?」

 自分を取り巻く世間のあまりの狭さに、市花は、ぞっと鳥肌が立つのを感じていた。

 市花の育った世間は狭い。

 家は家族経営の自営業だから、常に親族で固まっているし、姉も自分も、小学校から西院学院の付属校に通い、小さな世界で守られて育ってきた。自宅の周りも学校も、あっちもこっちも、顔見知りばかりだ。

 だから市花は、外の世界を見てみたい、知らないものを知りたいという願望が人より強い。特撮趣味もその一端だったし、陽や京介との友情を深めたのもそれが理由だった。これまでは、家族か小学校からの女友達に囲まれて生きてきたのだ。

 自分とは違う、一風変わった友達が欲しい。そんな気持ちでいつも友達を増やしている。

 市花にとって、友達は世界への窓だった。だから、市花には、トモダチ人形のお呪いが理解できなかった。

 人形を友達にするとは、どういうことだろう。人形は、あくまで人形だ。自分の枠を出ることはない。自分を映して遊ぶのが精一杯で、自分に備わっている以上のものが宿ることはない。

 そんな友達が必要だろうか。

 それとも、トモダチ人形の儀式をすれば自分を超越した何か別の存在を呼び込めるというのだろうか。

 市花は、ぐるぐると考えた。

 姉が、双子の姉の魂を呼び戻そうとしていたこと、自分がそれを止めたこと。

 考えれば考えるほど、得体の知れない怖ろしさが増幅していく。

 幼かったせいだろうか。覚えていないのだ。姉を止めたのは、本当に自分自身だったのだろうか。

 市花は、頭を振って余計な考えを追いやった。

 それより、今は、すべきことがある。

 教師の三邦に話を聞くことだ。

 市花は、翌日の昼休み、早速三邦に話を聞きに行った。

 三邦は、市花が同級生の妹であることを明かすと、嬉しそうに雑談に応じてくれた。雑談の途中、ふと思い出したかのように装って、市花は、三邦に問いかけた。

「そういえばね、先生。今流行ってるトモダチ人形の怪談、お姉ちゃんが高校生の時のも流行ったって聞いてんけど、先生内容覚えてる?うちのおねえは、忘れてしもたんやて」

 三邦は、うっとりと笑って、懐かしむような口ぶりで答えた。

「私は、よくおぼえてる。特別な時代だったから」

 三邦から聞いた噂は、次のとおりだ。


『髪の毛、経血、黒猫のヒゲ、トカゲをあつめ、友達にしたいぬいぐるみか人形を持って学校へ行く。学内の使用されていない焼却炉を見つけ、封印を壊して材料と人形とを焼却炉に入れ燃やしてしまう。この時、誰にも見られてはいけない。火が消えたら「トモダチ人形トモダチ人形、私と遊ぼ、私と遊ぼ」と唱えて後ろをふり返らすに家まで帰らなければならない。失敗すると呪いが降りかかる。お呪いに成功すると、何日か経った夜、燃やしたはずのトモダチ人形が帰ってくる。

 トモダチ人形はあなたの恋人。大切に扱わなければならない。惜しみない愛情を拒絶するなら、あなたも人形にしてしまいましょう。人形の胸をはさみで突いたら、あなたの命はもう戻らない』


 噂はこれまでと違い、恋愛色の強い内容になっていた。

「他の話よりロマンチックでしょう。私、この時のお話が一番好きかな。日比野さん、良かったらまた話しに来てね、生物の質問も歓迎するから」

 そう言って、三邦は、職員室から市花を送り出した。

「恋の呪いかぁ」

 市花は、天井を仰いだ。自分には、まだまだ縁遠そうだと思う。

 教室に戻ると、陽と京介が、話を聞きたそうに市花の方を見ていたが、程なくして予鈴が鳴った。


 放課後の教室で、昨日今日の成果を、陽と京介に話した後、市花は、意を決したように言った。

「私、これやってみようと思うねん」

「えっ、待てって!やってみる?それどういうこと?」

 京介が、わあっと怒鳴った。

 陽としても声は出さなかったが同じ気持ちだった。

「だって、三邦先生には話が聞けたけど、それより上の代に伝がないし手詰まりやんか。私、トモダチ人形の儀式やってみる」

「ちょっと時期尚早と違うか?」

「もうちょっと慎重に……」

 陽と京介は、二人がかりで止めたが、市花は聞かなかった。

「わかった。やろう。でも一人はあかんで!」

 京介が言った。

「見られたらあかんとはなってるけど、一人でやらんとあかんとはなっていないやろ。俺らも一緒にやるのが条件やからな」

 市花は、黙って頷いた。

 陽は、乗るとも乗らないとも言わなかったが、思案顔だ。

 決行は、今週の金曜日の夜と決まった。



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