その日、久我湊は浮かれていた。

 高校の臨時講義に出るための早起きも、髪をきちんとまとめて結い上げたり、化粧をしたりする煩わしさも、すべて消し飛んだくらいに浮かれていた。

 このところ、大学内で学生たちの口の端に上る気になる怪談があった。

 糊口をしのぐために引き受けている仕事の一つである高校での出張授業をきっかけに、その気になる怪談に三つのバリエーションがあることを知ることができたのだ。

 苦労した授業の準備も、早起きしての身支度も、みんなもれなく報われたというものだ。

 にんまり笑いながら、久我は手の中の紙片を見つめた。

 これは情報提供者からせしめたメモである。

 あろうことかこの久我の授業中に手紙を回して遊んでいる不届き者達がいるのを見つけ、注意でもしてやろうかとその一味を眺めたところ、その末席に座していたのが、羽山少年だったのだ。

 この少年と久我は、昨年末の悪魔祓い騒動で知り合った間柄であり、久我にとって少年は、かつての悪魔祓いのクライアントである。

 「どうせならからかってやれ」とばかりに呼び出したところ、おずおずと差し出してきたのが手紙遊びに使われたこの紙片である。

 ほとんどは、ルーズリーフの切れ端や付箋だったが、いくつかだけ様子の違う物があった。

 真っ黒な紙に、白字で書かれている。

 紙片は、陽が自分のところで最後になるよう留めておいたものらしい。

 ほとんどがたわいない怪談話だったが、黒い紙片に書かれている話だけ、内容が違っていた。それはどれも「トモダチ人形の噂」だった。

 その内容は、大学生の間で流行っている噂とは細部が異なっていた。

「放課後、君の友達を連れて何人かで来てくれるか。詳しい話が聞きたい」

と微笑むと、陽は大慌てで何度も首を縦に振った。

 叱られるとでも思ったのだろうか、と久我は思った。

 当の久我本人には、説教をする気は微塵もなくなっていた。

 その証拠に、久我は放課後の講師控え室にジュースとお菓子を用意して、陽たちがやって来るのを今か今かと待っていた。

 やって来たのは、陽の友人だという蓮見京介、日比野市花、そして陽の三人だけで、久我は一瞬目論見が外れたかと思ったが、幸いにも市花から面白い話を聞くことができた。

 彼女から聞いたトモダチ人形の噂は、大学で話されているものと内容がわずかだが異なっていたのだ。

 久我が、大学生から聞き取った話はこうだ。


『髪の毛、血、足の指一個、黒猫のヒゲ、トカゲをあつめ、友達にしたいぬいぐるみか人形を持って学校へ行く。学内の使用されていない焼却炉を見つけ、封印を壊して材料と人形とを焼却炉に入れ燃やしてしまう。この時、誰にも見られてはいけない。火が消えたら「トモダチ人形トモダチ人形、私と遊ぼ、私と遊ぼ」と唱えて後ろをふり返らすに家まで帰らなければならない。失敗すると呪いが降りかかる。お呪いに成功すると、何日か経った夜、燃やしたはずのトモダチ人形が帰ってくる。

 トモダチ人形は本当の友達のように振る舞うので、大切に扱わなければならない。ある人は、喧嘩をしたので、自分もお人形にされてしまった。お母さんは悲しんでお人形を入院させた。お人形は今日もひとり。病院で入院中。トモダチ人形を邪険にするとその罪を償わなければならない』


「まず、捧げ物が違うな」

 陽たちが帰った後、久我は独り言を言った。

「彼女に聞いた噂よりも、大学生の間で流布しているものの方が、捧げ物が邪悪だ」

 足の指が入っている。

 魔術としてより強力だ。素材を獲得するにも並々ならぬ労力が要る。

「それと話の結末が微妙に違う」

 一人は遊ぶのを断って人形にされベッドの上、もう一人は喧嘩をして人形になり母親が入院させている。

「具体的で生々しいのが気に掛かるな。今日のメモの内容とは補完関係が成り立つような気もするし、別物と言うこともできそうだ」

 今日入手したメモの内容に従うと、ぬいぐるみに、灰を溶かした赤ワインで逆十字を記さなければならない。これは、他の話にはない特徴だ。

 そして、具体的にトモダチ人形の被害に遭った話はなく、抽象的に話が締められている。


『トモダチ人形から呪いを受けるとお人形にされてしまう。誰も助けてはくれない。ずっと悪魔のおなかの中。トモダチ人形、もし作ってしまったら何があっても大切にして』


「赤ワインと逆さ十字というのが気になる。それに、この話にだけ、唐突に、悪魔が出てくる」

 キリスト教ではワインはキリストの血を表し、イエスのシンボルである十字架を逆さまにすると一転して悪魔を表すシンボルになる。

「キリストの血たるワインを人間の血肉、魔の使いたる黒猫のヒゲとトカゲで汚し、逆さ十字を記す、か。黒魔術的だな。面白そうだ」

 久我は、このトモダチ人形の噂について、もう少し詳しく調べてみる必要があると感じていた。

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