第2話 トモダチ人形

 大切な友達が言っていた。

「彷徨う魂は、誰かの体に入り込むチャンスを狙っているんだよ」と。

 そういう魂は、人間どころかただ体さえあれば良くて、人形の体にさえ入り込んだりもするそうだ。

 私は言った。

「アスカちゃんの魂は、天国に行けたかな」

「さあ、どうだろう?あんなにものすごい事故だったから」

「じゃあ、このお人形に呼べるかな」

 私は、手製の布のお人形を手に言った。

「呼べるよ。みくちゃん上手だもん」

 そう励ましてくれたから、私はトモダチ人形を作ることにした。

「やってみるね」

 私は人形の完成を夢見て、うっとりと微笑んだ。




 例年よりも早い桜前線の北上に、神戸の桜はあっという間に咲いて儚く散り、桜のない入学式を迎えて、陽は高校一年生となった。

 1月になって東京の学校から転校し、そこからの高校受験に苦労したけれど、それよりも大変だったのは、両親の急な事故死だった。

 両親は車ごと潰れて燃えており、陽の心理的な負荷は相当なものだった。今やすっかり、かかりつけ医となっている金城クリニックの主治医の尽力がなければ、陽は、不眠生活に逆戻りだっただろう。

 そう――、あの一件以来、陽は、どんなことがあっても不思議と眠れている。  

 陽の悪夢は、終わったのだ。

 陽は、第一志望の学校に無事合格を果たし、父の預金と保険金のおかげで入学金を始めとした支払いも済ますことができた。

 入学式を区切りとして、日常を建て直し、新たなスタートを切ることが陽の願いだった。

 そう思うと、入学式の単調な祝辞の嵐も、胸躍る新生活の賛歌として聞き流すことができた。それだけ、新生活に対する陽の期待は大きかった。

 県会議員、市会議員、町内会長と祝辞が進んでいく。

 陽が入った学校はミッション系スクールであるから、祝辞の最後には、近くの教会から礼拝に来てくれている神父が登壇した。

 すらりとしたその人物が壇上に現れると、女生徒や保護者の押し殺したであろう黄色い悲鳴や溜息がそこここから漏れた。

 陽も、別の意味で、悲鳴を上げるところだった。

「みなさん、入学おめでとうございます。これから折々の礼拝でご一緒します北野坂カトリック教会の助任司祭の瀨之尾冬馬と申します。本来なら、主任司祭がご挨拶するのですが、昨日腰を痛めまして、本日は、私が代理で来ました。この良き日に同席できますことをとても嬉しく思います。神の祝福がありますように」

 登壇した瀨之尾神父は、つい三ヶ月ほど前に、陽の悪魔祓いを請け負った祓魔師エクソシストだったのだ。

 相変わらずの輝く美貌と微笑みで、眩しいくらいだった。

 陽の周りの男子も女子も息を呑み、女子に至っては、制服の袖を噛んで悲鳴をかみ殺しているものまであった。

 登壇中は何も起こらず、陽はほっとしたが、下段後、用意されている席に戻る途中の瀨之尾がこちらに気づき、陽に微笑みかけたものだから始末が悪い。

 早速クラスメイトたちの興味の矛先が陽に向いた。

「知り合い?」

 まだ名前も知らない女子生徒が、ひそひそと尋ねた。

「……知ってる教会の神父さん」と、陽が答える。

「キリスト教徒なん?」と、別の男子生徒が訊く。

「じいちゃんが」と返事をすると、男子生徒は「まあ、俺んちもそんな感じ」と笑った。

 男子生徒は、背が高く八重歯が目立っていて、目尻のつんと上がった狐目の少年だった。「自分、名前は?俺は、蓮見はすみ京介きょうすけ

と、男子生徒は名乗った。

 色黒で目のくりっとした女子生徒も、負けじと名乗った。

「私、日比野ひびの市花いちか

「……羽山陽」

 二人は、ほお、とも、はあ、ともつかない感嘆の声を上げた。

その後「羽山くん、東京弁やんな」と言ったのは市花で「いや、標準語やろこれは」と言ったのが京介だ。

 陽としては自分は標準語を話していると自認しているが、そこには触れずに二人の関係について尋ねた。

「二人は、元々知り合い?」

余りに親しげだったからだ。

「今日が初対面」

 二人は異口同音に答えた。


 入学から一ヶ月は、瞬く間に過ぎていった。

 新入生オリエンテーリング、部活紹介に実力テスト。気がついたら、ゴールデンウィーク直前だ。

 陽は、入学式で知り合った市花と京介と結局そのまま仲良くなって、何かあると連んでいる。出席番号が近かったせいで、教室の座席も近かったこと、オリエンテーションでのグループが同じになったこともあるが、それ以上に、市花と京介のお調子者に見えて、その実よく人を見ている性格が、陽の心を開かせたからだった。

 二人は、いつもさりげなく、陽の不自由な左足のことをそれとは気づかせずに庇ってくれているのだった。

 今日は、月に一回ある神学の授業の日だ。記念すべき第一回目で、付属大学から講師の先生を招いている。

 昼食前の4限目の授業。だれた雰囲気が漂っていた。

 陽は、呼ばれている講師について嫌な確信を持っていた。

 きっとあいつが来る――。

 一年生がすべて入りきった講堂に、講師が入ってきた。

 離れていてもわかる背の高いシルエット。

――間違いない。

 陽は、年末に出会ったあの背の高い悪魔研究家のことを思い出していた。

 ところが壇上の照明に照らし出されたのは、背は高いが、どこからどう見ても美しい、きちんとした身なりの女性で、この間のようにざんばら髪をバレッタで無理矢理まとめているというような有様ではなく、丁寧に結い上げた髪をコームで留め、唇にもうっすら紅が引かれていた。

 服装も、濃紺のフレアースカートのスーツを着こなしている。

 別人かと一瞬疑ったが、あの飛び抜けて美しい面立ちを見間違えるはずがない。

 馬子にも衣装だなんて考えたのは、居並ぶ生徒の中でも陽くらいなもので、他の生徒は皆、彼女の美貌に見惚れていた。

「神学入門講座を担当します。西院大学の久我湊です。これからよろしくお願いします」

 別人であれと祈ったのもむなしく、本人が確定した。

 陽は、動揺して、一人で百面相を作った。

 陽は、あまり前を見ないようにして、手元に配られたレジュメばかり見ていた。

 授業が始まってから、十分ほど経った頃だろうか、陽の手元に、隣から折りたたまれたメモが回されてきた。

 開いてみると“怖い話、しよ。読んだらとなりにまわして”と書かれていた。誰から回ってきたのだろうと、陽はメモの表裏を確かめてみたが、誰の名前もない。

 手紙が回ってきたであろう陽の右側の列の向こうを覗き込んでみたが、皆、久我の話か、手元のレジュメに集中していて、それらしき挙動の人物は見つけられない。

 陽は、通路脇の一番左端の席に座っていたから、通路を挟んだ隣の組には回さず、自分のところで留めておくことにした。

 メモを再度折りたたんで、ズボンのポケットに押し込むと、すぐに次のメモが回ってきた。今度は少し文章が長い。「怖い話」が始まったらしい。


『トモダチ人形。学校にある古い焼却炉でお供えに火をつける。お供えは、髪の毛、血、黒猫のヒゲ、トカゲ。燃やした灰を赤ワインに溶かし、指につけて用意していた人形の背中に逆十字を書く。人形は、火をつけて燃やし、焼却炉の中に置いて帰る。トモダチ人形の儀式をする時は、誰にも見られてはならない』

 追いかけるようにして次のメモが来た。

『何日か経った夜、トモダチ人形が戻ってくる。トモダチ人形はあなたの友達。だからきちんと友達として振る舞うこと。いじわるをしたり取り扱いを間違えると、呪われてしまうから気をつけて』

『トモダチ人形から呪いを受けるとお人形にされてしまう。誰も助けてはくれない。ずっと悪魔のおなかの中。トモダチ人形、もし作ってしまったら何があっても大切にして』

 その後も、メモは次々流れてきて、陽のポケットに溜まっていった。

 変わっていたのは、このトモダチ人形の話くらいで、あとはどこの学校でも聞くようなトイレの三番目に花子さんの霊が出るとか、中庭の石像が真夜中に走り出すとか、そういったたわいのない怪談だった。

 メモの柄も、真っ黒な紙に白文字で書かれているという変わった体裁なのは最初のトモダチ人形の怪談にまつわるメモだけで、後のは付箋やルーズリーフの端を破った即席のものだった。筆跡もそれぞれ違うから、別人が話に乗ってメモを回してきたものらしい。

 陽は、もう一度横の列に目を走らせたが、誰がどのメモの主なのかなんてわからなかった。陽の隣と、そのまた隣に座っている、市花と京介が、メモの主ではないことだけが確かだった。

 そうしてよそ見をしていて、陽は何の気なく再度正面を向いた。

 それがいけなかったのだ。また手元のレジュメを見ていれば良かったのに。

 壇上の久我と正面から目が合った。

 久我は、遠目でもわかるくらいに、にたりと悪魔じみた笑みを浮かべた。


 案の定、授業後、陽は呼び出しを受けた。

 講堂の中にある講師控え室に、陽は、重たい足を向けた。

「ごきげんよう、羽山くん。いつぶりかな」

 ギラギラと光る刃物のような目で陽を見つめながら、久我は言った。

「せ、先月教会でお会いしました」

 陽は、しどろもどろで言った。

「そうだったか?まあ、いいや。今日はなんだか楽しそうな事していたみたいだけれど、私にも教えてもらえないかな」

 それはすなわち、目が合う以前から、陽の挙動を見られていたと言うことだった。

「あの上から見ているとね、ごそごそしているのは目立つんだよ」

 はじめはシラを切ろうとしていた陽だったが、久我に目の底をじっと覗き込まれると空恐ろしくなって、洗いざらい話してしまうことにした。

――どうせ、たいした話じゃない。

「手紙が回ってきてたんです、これが」

 素直にポケットにしまっていた手紙もすべて久我に渡した。

「この年頃に、一度は流行るやつだね」 

 そう言って、久我は黒いメモをひとつ摘まみ上げ、開いて中を読んだ。

「これは、君の同級生が回したのか」

「いえ、どっかから回ってきただけで、どこから回ってきたかは俺には……」

「放課後、君の友達を連れて何人かで来てくれるか。詳しい話が聞きたい」

 久我は、見たことがないくらい、にっこりと微笑んだ。有無を言わせない迫力があった。

 陽は、何度も頷いて久我に応えた。

「では、放課後に」

 そう言って久我は、講師控え室の外に陽を送り出した。


 戻った教室では、昼食の時間を遅らせてまで、市花と京介が、手ぐすねを引いて陽を待っていた。

 即座に学食へ連行されて、謎の美人講師の意味深な微笑みと呼び出しについて追求された。

「あの物凄い美人と知り合いなん?」

 市花の質問は直球だ。

 変に濁すとひどい目に遭うだろうなと察して、陽は、正直に答えた。

「前にちょっと世話になって。じいちゃんが通ってる教会も一緒なんだ」

「教会かぁ」

 京介は、教会と聞いて得心がいったようだ。自身もよく家族に教会に連れていかれており、教会での人間関係があるという事も実体験として知っていた。

「それで、何聞かれてたん?呼び出されて」

「怒られた?怒られた?」

 二人は昼食そっちのけで身を乗り出した。

「怒られてない!」

 陽は、むっとして言った。

「ほんまに?」

 市花が小首を傾げる。

 陽は、むっとしたまま答えた。

「今のところは……」

 放課後には、二度目の呼び出しが控えているのだ。そっちではどうなるかわからない。

「今のところは?」

と、京介が言葉尻に食いつく。

「放課後、もう一回来いってさ。言っとくけど、それはお前らも一緒だからな」

「えっ、俺らも?」

「ほんまに?横の列のみんな全員呼んでくる?」

「そこまでは言われてない」

 市花と京介はわかりやすく意気消沈して昼食を食べ始めた。

 陽もそれに続く。売れ残りを何とか購入したサンドイッチはモソモソして味がしなかった。

 その後、三人は処刑を待つような気分で、放課後までの時間を過ごした。

 今日ばかりは聞きたくなかった終礼のチャイムがなり、三人は思い思いに帰り支度をして、講師控え室までの道をのろのろと歩いた。この日ほど帰宅部を選んだことを後悔した日はないだろう。

「なんやねん、手紙回して遊んでたくらいで」

と、京介の愚痴が止まらない。

「ちょっと黙りぃや、へたれ!」

 猫のような目をつり上げて、市花が八つ当たりをする。

 陽は、杖をつく手も遅く、いつもより更にゆっくりと歩いて、物思いに耽り、現実逃避を図っている。

 だが教室から講堂の控え室までの道のりは、そう遠くはない。モラトリアムは呆気なく終わった。

「失礼します」

 陽は、思いきって講師控え室の扉を開けた。

「放課後に悪いね」

 室内には、既に久我が待っていた。

 午後からは二年生、三年生用の講座があったはずだが、久我は、四限目に会った時と変わらず、化粧崩れもないピリッとした美しさで、市花と京介は息を呑み、陽は二度目の強烈な違和感に襲われた。

「まあ、座りたまえよ」

 控え室の応接セットには、久我が近所のコンビニで購入してきたとおぼしきポテトチップスの袋がひとつとコーラが三本置かれていた。

「わぁ、いただいていいんですかぁ」

と、市花が黄色い声を上げる。

 京介が「花より団子……」と呟いて、足の甲を市花のローファーの硬い靴底で踏み潰される。

 悶絶する京介の肩をさすってやりながら、陽は、久我に言った。

「俺の友達はこの二人くらいです。それでも構いませんか」

「もちろん」

と言って、久我は身振りで三人に着席を促した。

 陽たちは、応接セットの二人掛けのソファーにぎゅうぎゅうと身を寄せ合って三人で座った。

 座るなり市花は、ポテトチップスの袋を開けた。「さて、お名前は」

「蓮見です」

「羽山です……」

「日比野です!」

 久我はくすりと笑った。

「出席番号順できてくれたのかな」

「そうです!入学式で出席番号順に並んでた時に仲良うなったんで」

「なるほど」

と言って、また久我は笑った。

「ところで、今日、授業中に回していた手紙のことなんだけれど、発信元はわかるかな」

「発信元ですか?」

 京介が怪訝そうに聞き返す。

「うん、特にこの黒いメモなんだが、誰が書いたのか知りたい」

 久我は、一枚目の黒いメモを広げて見せた。

「知らないっす」

 京介は、初手から降参している。

 市花は、うんと黒いメモを眺めてから言った。

「私もわからへん。けど、位置的に考えると、端に座ってた二組の子のどっちかから」

「二組の子、ね」

と、久我は繰り返した。

「君たちは、三組?」

「三組です」

「このメモの内容はどうだろう?少し前から大学生の間でも同じ噂が回っている。けれど、本格的に流行っているのは高校生の間で、だと聞いている」

「俺は、今日初めて聞きました」

 陽は答えた。

「俺は、トモダチ人形っていうのが流行ってるって言うのは聞いてたけど、内容知ったのは今日が初めて」

 京介は、首をすくめた。

 唯一、知っていたのは市花だ。

「私は、前から知ってたけど、内容がちょっとちゃうなって」

 ほお、といって久我は黒曜石の瞳を輝かせた。

 怪しく光る瞳に気圧されながら、市花は説明を続けた。

「このメモだと赤ワインが出てくるんですけど、私が知ってるのやと出てけえへんくて。人形に十字も書いたりせえへんし、人形はお供えと一緒に燃やすだけなんです。それから呪文いがもっと詳しくて」

「トモダチ人形トモダチ人形、私と遊ぼ、私と遊ぼ?」

「そう、その呪文です」

「なるほど。出回っている噂のどちらかだけでは、手順が不完全かもしれない可能性が出てきたという訳か」

 久我の目は、西洋のおとぎ話に出てくる悪魔のようにいよいよ煌々と輝いた。

「それから噂の後半も違ってて。このメモやと、トモダチ人形を大切にしないと大変な目に遭うぞ、って脅してるだけなのが、私が知ってる話やと、トモダチ人形と友達になるのを断ったから人形になってしまったという最後になってます」

「経験談に近くなっていると言うことだね。ちなみに、この話はどの程度流行っていて、どの程度実行されていると思う?」

「えっ、そんなんただの噂話やし。こっくりさんだって噂はするけど実際やってみる人なんてほとんど……」

 そこまで言って、市花は絶句した。何か思い出したようだった。

「あの…、先輩が……。友達から聞いたんですけど、二年の先輩がトモダチ人形やってから様子がおかしくなって学校来てないって……」

「名前は?」

「聞いてへんけど、たしか一組の先輩」

「ありがとう。とても助かったよ」

 久我は、心底満足そうに笑った。

 それがあまりに美しかったので、市花は、頬を真っ赤に染め、京介は、空っぽだったコーラのペットボトルをひっくり返して取り落とし、陽は、鼻からコーラを噴き出しかけた。ツンとする鼻を押さえながら、陽は、この久我自体が悪魔の一種ではないかと思った。

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