解答編 現実はいつも煮え切らない

 ライフルを構えた猟友会の男たちが木々生い茂る斜面を等間隔に並びながらじりじりと進んでいく。彼らの鋭い眼光は木立の間を縫うように周囲に向けられる。

 トランシーバーの回線が開く音だけがして、男たちが一斉に歩みを進める。そして、包囲網が10メートルほど斜面を登ると再び足を止めて、猟師たちの目が森の中を走査する。その手に握りしめられた猟銃が鈍く光っている。

 山狩りだ。


 今淵たちのもとに情報が寄せられた。

 それは、仙石廉次郎の工房のある山にとある大学の研究室が仕掛けていた生物の動向を調査するための動体検知カメラの映像だった。

 送られてきた映像データを刑事部屋のパソコンで再生していた今淵は、問題の箇所で一時停止をして指を鳴らした。

「これだ」

 木に括りつけられたカメラが捉えていたのは、茂みの中から姿を現した1頭のニホンカモシカだった。後ろ足を引きずったそのカモシカの顔は血に濡れて赤黒く染まっていた。

「一体どういうことなんですか?」

 高梨が問いかける。今淵は椅子を回転させて、得意げな顔を見せた。その晴れやかな表情を高梨は見慣れていた。事件が解決したのだ。

「ガイシャを殺したのは、こいつなんだよ」

「えっ! カモシカが?!」

「こいつの角を見てみろ」

 今淵はそう言って画面をズームアップした。カモシカの頭には短い2本の尖った角が突き立っている。

「数年前に、罠にかかったカモシカを助けようとした人間がカモシカの角で太ももを突かれて亡くなった事故があった。今回もそれと同じことが起こったんだ」

「くじりで頸動脈を傷つけられたわけじゃなく……?」

「工房の中は不必要なほどにめちゃくちゃに荒らされていた。窓も下半分をぶち破られていた。あれは物盗りが物色した跡じゃない。工房の中に間違って入り込んだカモシカが暴れた痕跡だ」

 高梨は衝撃から抜け出せないままのようだった。

「じゃあ、被害者はそのカモシカと出くわして襲われたってことですか?」

「工房の中に金属製の工具棚があっただろ。カモシカは自分で倒したあの棚に挟まれて動けなくなっていた。ガイシャはそれを助けてやろうとして、暴れるカモシカの角でやられたんだ。調べたところ、この時期のカモシカは繁殖期で気性が荒くなっているそうだ」

「それでこの映像のカモシカは足を引きずってるんですか……」

「カモシカのウツは工房の近くを通っていただろ。こいつはどういうわけか工房の中に突っ込んじまったんだな。で、自分を助けたガイシャを殺して、森に逃げた。当然、逃げ道は森の中のウツだ」

「だから、防犯カメラに映らなかった……」

「もしカメラに映っていたら、頭をガイシャの血で濡らしたこいつが見られたかもしれないな」

 高梨は頭を抱えていた。

「なんてこった……。この事件に犯人はいなかったんだ……」

「お前ずっとガイシャの姉のあの女を疑ってただろ」

 高梨は痛いところを突かれて俯いてしまった。そんな彼の頭を今淵は書類を丸めてポンと軽く叩いた。その顔は柔らかく微笑んでいた。

「でも、どうするんですか、この後は……?」

「あの山には登山道もある。また同じ被害が出んとも限らん」


 遠くで銃声がした。

 山狩りを指揮していた今淵たちは、そこで事件に幕が引かれたことを悟った。

 やがて、猟友会の男たちが運んできたカモシカの死骸は心臓に穴を開けて絶命していた。その頭には古い血の跡がある。

「毛についた血を鑑識へ」

 そう告げる今淵の声は暗く沈んでいた。


 1か月後、非番だった高梨は都内のギャラリーで行われていた仙石廉次郎の個展へ足を運んでいた。不運な死を遂げた著名な革工芸師とあって注目度は高く、開催初日のこの日は大盛況だった。

「刑事さん」

 人ごみの中から高梨の姿を見つけて駆け寄って来たのは京子だった。

「その節はどうもお世話になりました」

 事情聴取を受けていた頃とは別人のような穏やかな口調だ。頭を下げる彼女は着飾っていて、メイクもばっちりだった。上げた顔には笑みが溢れている。

「嬉しそうですね」

 高梨は思わずそう口走ってしまった。

「あの子の個展ですから、笑顔でいてやりたいと思いまして」

 個展には展示された作品のための商談スペースがあることを高梨は知っていた。

 海野京子は仙石廉次郎の遺産相続人として、彼の築いた財産の一切を相続した。彼女のもとには、廉次郎が一代でなした膨大な遺産が転がり込んだのだ。

 京子と別れてギャラリーに展示されている作品を観て回る高梨は、歩を進めるごとに胸が詰まっていくような感覚に苛まれた。

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